第七話 獄炎の魔導士 Ⅰ
それはメイレーの話から二日後の話。
悩める少年、金色の勇者エーは、己の進む道について悩んだ。
一農民でしかなかった彼に将来の夢などそもそも無く、
勇者というものに抱くのは物語のような憧れだ。
悩んで、悩んで、悩んで、答えは出ないまま、
エーはなんとなしに炎の魔王の玉座の間に乗り込んだ。
「おーい魔王、勝負……って、あれ、いないのか」
空の玉座。
時折いなくなる自由な魔王だ、いないことに関してはそんなにショックではないが、何か進展を求めてきただけにエーはやや気を落とす。
「まおうさまならおでかけのじゅんびをしているのできょうはあえませんよ」
玉座を磨いていた地獄鳥(小)が告げる。
「おでかけの準備で今日は会えないって一日かけて準備するのか?王様ってのは大変だなあ」
エーはつまらなそうに頭を掻いた。
魔王にも用事はあるのだ、いないものは仕方がない。
そう踵を返した時だった。
「あっ、ゆうしゃどの」
地獄鳥がエーを呼び止めた。
何事かとエーは振り返る。
「ゆうしゃどのはいまどのあたりにおすまいですか?」
どのあたりにお住まいですか?
妙な質問に、エーは青い目を丸くした。
「えっ、ハルダムの街の宿屋だけど…」
その唐突で妙な質問にエーは素直に返してしまう。
聖界のそれほど大きくない街のひとつだ。
「さようですか、かしこまりました」
ぺこり、と地獄鳥は頭を下げて、また玉座を磨く仕事に戻ってしまった。
なんだというのだろうか?
それを聞いて、このちいさなニワトリモドキはなにをしようというのか。
そもそも聖界の地理などわかるのだろうか。
そんなちいさな疑問が浮かびはしたが、
このときのエーはさして気にしないことにしたのだ。
それはきっと、この地獄鳥は特に害はなく、またあまりに純粋でピュアな黒い瞳だったから。
それはきっと、自分の目下の悩みのほうが重大だろうと思ったから。
その判断が、
あんな大変な一日を呼び込むとも知らずに。
それは沸き上がったちいさな疑問などすぐに頭の片隅にすら居場所がなくなり、聖界に戻って剣の練習をして、疲れて、眠って、次の朝。
日差しと鳥の鳴き声が朝を告げる。
なんとなく、もう少し、あと三分ぐらいこのままベッドに沈んでいたい。特に急ぐ用事もないし。
そう自分への甘えを許していたとき。
「……しゃ…………勇者よ……」
どこか遠くで声がする。
自分を呼んでいるのだろう声は、どこかで聞いたような、まどろむ頭では答えにたどり着かない。
「……」
なんとなくまわりの温度が上がったような気がするのは日差しが入っているせいだろうか。
むしろそれが心地よいのだ。朝のこの、もう少し寝ていたい時間の、なんと幸福なことだろう。
このちいさな幸福を邪魔するものなどいるはずがない。
「……お、き、ろーーー!!!!」
「ぎゃー!!」
はずがない、などということなど、ないのだ。
唐突に世界がまわる感覚を覚えたエーはまどろみから強制的に連れ戻される。
それはどうやら、失敗したテーブルクロス引きのようにベッドのシーツごとひっくり返されたことによるものだった。
何事かとエーは頭に被さったシーツをはね除け、微睡んでいた目を見開いた。
エーのささやかな幸せの一時を邪魔した人物が、狭い部屋で仁王立ちをしている。
白いフードつきのマント、そのしたに覗くロングコートもまた白く、金の刺繍が施されている。
白いフードから見えるのは焼けた大地のような赤い髪、エーを見下ろすのは燃えるような赤い瞳。
エーはその人物を知っている。
今はもうずいぶんと前のことに思えるが、まだいまよりももっと勇者について悩んでいるとき、
酒場で子供扱いされていた最中に当たり前のように現れて当たり前のように人の心を掻き乱していった諸悪の根元。
「まお……!!」
そう、彼の者は炎の魔王、の人間に化けている姿。
だがそれはエーの言葉を制するように手のひらを前へ突きだす。
「私は炎の魔王ではない」
どこか自慢げに、どこか誇らしげに、炎の魔王は胸を張った。
「私は、獄炎の魔導士!!金色の勇者の旅に加わった、優しくてかっこよくて頼れるパーティメンバーだ!!」
一瞬の長い静寂が訪れる。
その間も獄炎の魔導士を名乗ったそいつはカッコよさげなポーズを取り続けている。
「……おまえ、なにしに来たんだよ」
エーは剣に手を伸ばしながら睨み付ける。
魔導士は、勇者がノってこなかったことが不満だったのだろう、やや眉をしかめて腕を組んで尚もエーを見下ろす。
「最近のお前は遊んでくれない!つまらん!あと私が仲間になってやると言うのだから喜べ!」
そして出てきたのは子供のような台詞だ。
「遊びになんて行ってないしだれが喜ぶか!帰れ!」
「誰が帰るか!解約金は30マカロンだ!」
「なんで単位マカロンなんだよ!むしろ30個のマカロンで帰ってくれんのか!?作るぞ!?」
ついには剣を構える勇者と臆することなど微塵もない魔導士。
その不毛な口争いは、この場のシチュエーションにあっさりと静止させられることになる。
「おい!!朝からうるせーぞ!!!」
ドンドンドン!と壁が叩かれ、隣の部屋に泊まっているのであろう野太い怒号が響いて、水をかけられたように二人はしんと静まる。
そう、ここは人間の街の小さな宿屋だ。
騒げばやはり、全うに怒られるのだ。
一度顔を見合わせる。
珍しく意思が一致したのだろう、
エーの鎧を引っ付かんで二人は宿の外に出た。