第一話 金色の勇者 Ⅴ
そこにいるのは、白いフード付きのマントを羽織り、フードを目深に被っていたが、フードから除く赤い髪と、赤い瞳はまさしく、
「お、おまっゲホッゴホゴホゴホッ」
驚いて立ち上がり、喋り出すと同時に口に含んでいた牛乳が気管に入り込み咳き込むエー。
「なんだ、勇者さんと知り合いかい、お客さん」
店主がエーの驚きように驚いた顔で、エーの隣にいる赤色の客を見た。
「まあお互いに面識があるという意味で言うなら知り合いであろうなあ」
そう笑う赤色は、
まさしく、エーの隣にいるのは、
炎の世界の魔族を束ねる主、赤く燃える髪と、金色の角と、マグマのように煮えたぎる瞳を持った地獄の王、
炎の魔王
そうとしか考えられなかった。
もっとも、髪は燃えてはいないし、フードに隠れてはいるものの、金色の角も無いように見えるが。
「っ…!お、おま…!なんでここに…!!」
無意識に剣に手が伸びる。
だが、エーを気にすることなど微塵もなく、赤色は店のメニューに赤い目を輝かせていた。
「そんなことより、ここのオススメはなんだ?あと、生憎私は金銭を持ち歩いていなくてな、物々交換だと助かるのだが!」
「おう、堂々と無銭発言か、すごいねお客さん。どういう物と交換かによるかねえ」
そんな他愛もない会話を始めだす、店主と炎の魔王を見て、軽く頭痛を起こしながらエーは炎の魔王の腕を掴んだ。
「おまえ、ちょっとこい!」
予想以上に軽かった腕は、エーの力でも簡単に引き寄せることができた。
絶賛交渉中だった炎の魔王は不満そうに顔をしかめながらヤダとかヤメロとか喚きながらエーに引っ張られ、そうして二人とも店から出ていってしまった。
「……」
店主と、騒がしさに目を向けていた他の客だけが、
ついていけずにぽかんとした顔で取り残されていた。
「なんでこんなところにいるんだおまえは!!」
魔王に向かって、金色の勇者は剣を向けた。
「私がどこに居ようとお前には関係あるまい」
にやりと笑う、白いフードの下の赤い瞳。
「関係あるわ!魔王がこんなとこに居て良いわけあるか!!」
ぶんぶんと剣を振るエーを、炎の魔王はにやにやして見下ろしている。
「ひゃあ!やめてください!正体ばらしちゃだめですよう!」
バッとフードが跳ね、魔王の顔が露になる。フードをはね除けた元凶は、魔王の肩に乗っていた鶏の様な白い生き物だった。
白い生き物だけが状況に慌てるように小さな羽をパタパタさせている。
「おい!?それお前んとこの魔族だろ!こっちの世界に持ちこんでんじゃねーよ!!」
今度は白い生き物に切っ先が向けられる。
ぴい!と短い悲鳴を上げて白い生き物は炎の魔王の頭の後ろに隠れてしまった。
「来なくて良いと言ったのに私のことが心配だからと強引に着いてきたのだ。おかげでわざわざマントを用意してきたのだぞ」
「お前は元々は顔だす気満々だったのかよ!」
剣を振り回しながらツッコミを入れ続け、
一段落したところでゼェゼェと息を吐きながらエーは炎の魔王を睨み付けた。
「ふざけやがって、状況考えろよ、くそっ…」
色々な思いを込めての悪態だったが、炎の魔王は気にする様子はなく、ふむ、と頷いて腕組みをした。
「状況。そうだな、本当に悪い状況だな、この街は」
予想していない炎の魔王の言葉に、エーは困惑した顔で見上げた。
そこにいた炎の魔王は、ふざけた笑みではなく、魔王らしい威圧感ある顔でもなく、真剣な顔で悩んでいるようなそんな魔王だった。
「…街の話なんかしてねえだろ」
困惑しながら声を投げるが、魔王はエーの方を見ない。
その目線はこの街の中央のほうへ向けられているようだった。
魔王が街を見定めているなど侵略の兆候ではないか、とどこか他人事のような考えが浮かんだ。
「だってそうだろう?どうしてこんなにも日の当たらない場所が多いのだ?」
単純に、子供のように疑問を持つ魔王。
エーは、魔王の言わんとすることが何となくわかっていた。だがあえて、わからないふりをして魔王に尋ねる。
「表の建物が成長すれば、日陰ができるのは当たり前だろ…なにがそんなに不思議なんだよ」
その言葉に、魔王の顔がエーに向けられる。
「知らぬとは言わせんぞ勇者」
まるで心の中を見透かすような、透き通った赤い瞳がエーの姿を捕らえていた。
逃げ出したくなる気持ちがゆっくり近づいてくるのを感じながら、エーは炎の魔王を睨みつける。
この瞳に負けてはいけない、そんな気がした。
「なぜここの王は恵みを恵みとして捉えない者たちに恵みを与えているのだ?もっと必要としている民が大勢いるというのに」
心のそこから不思議そうに話す魔王は、事情を知らぬものが見れば魔王などと気づきもしないだろう。
そんな魔王を睨み付けたまま、エーが答える。
「そりゃあ、偉いから、色々あるんだろうよ。あと、ここに住んでるの王じゃねえから」
その言葉に、尚更不思議そうな顔をした魔王がエーを見下ろした。
また、なんで、が来る。そんな気がして、エーは無意識に身構えた。
身構えたところでなにもできないであろうが。
「偉くて至福が肥えるのならば私はゲームに埋もれて生きるぞ」
しかし、帰ってきた言葉はまったく予想していなかった言葉だった。
とても自分勝手な言葉だが、魔界の王が言うと重みが違う。
……いや、まったくそんなことはなかった。なんど考えても自分勝手な言葉だとエーは思った。
「お前はなんとも思わんのか。無関係な話ではあるまい」
エーは続いて投げられた言葉に不意打ちを食らう。
確かに関係のない話ではない。
あの領主は忙しいといいながら髭の手入れしかしないし、余計な装飾や豪邸を作るぐらいならもっと金の使い道があるはずだと何度思ったことか。
実際、自分の上げた成果がどれだけ故郷に反映されているかは知れたものではないし、
同じように成果を提供している勇者たちからは不満の声をきいたこともある。
「……仕方ないだろ」
仕方がない。
この街に不満を持つものは皆、この言葉で締め括るのだ。
「なんで」
また、炎の魔王の疑問が募る。
もう何度目かの導き出せない答えを求められ、エーはぎりっと歯を強く噛み締めた。
「………なんだっていいだろ。そういうもんなんだ」
うつむき、圧し殺すように吐き出した言葉。
エーは魔王の顔が見れなかった。またあのすべてを見透かすような目で、純粋な子供のような顔で何故と言われたら、
きっとまた逃げ出してしまう。
「……魔王のくせに、魔王のくせになにも知らなさすぎなんだよ!どうにもできないことだってあるんだ!」
逃げ出したい気持ちを振り払うように、エーは叫んだ。
黙ったままの魔王、静寂が恐ろしくて、エーは顔を上げられずにいた。
「ああ、そうだ」
突如、いつもの何故ではなく、
肯定の言葉が魔王から返ってきた。
「私はなにも知らない。何故なら、私はお前達と住んでいる"世界"が違うからだ」
一瞬皮肉かと思ったが、そっと見上げた魔王の顔を見て、そうではないとエーは思った。
魔王は、魔王らしい邪悪に満ちた顔でもなく、なにも知らない子供のような顔でもなく、
真剣に、真っ直ぐにエーを見ていた。
「だがお前は違うはずだ」
続く魔王の言葉が、
「お前はこの"世界"に生きている」
エーにはなぜか、
「ならば知っているはずだ。知ることができるはずだ」
すごく悲しげな言葉に聞こえた。
「お前が仕方がないということの真意を」
エーは無意識に拳を握りしめていた。
逃げ出したい思いは確かにある。
「そして、お前自身が何をしたいのかを」
しかし、それすら忘れるほどのなにかに縫い止められたように、脚は動こうとしない。
「……そんな、そんなものは、ただの理想だ」
絞り出すようにエーは言う。
「仕方がないもんは、どうしようもない。どうにもできないんだよ…」
いつからそう思うようになったのだろう。
いつから、理想など抱いては行けないと、思ってしまったのだろう。
そんな他人事な疑問がエーの頭のなかで顔を上げた。
「おまえは勇者だろう。勇者が理想を抱いて何が悪い」
その疑問を殺すように、
魔王の言葉が突き刺さった。
「……は……?」
あまりに突拍子もない謎理論に、ぽかんとしてしまうエー。
「そうであろう?古今東西勇者とは横暴にも自分の正義を振りかざし、自分の理想で世界を変えるものだ」
「なんか、ものすごく嫌なやつみたいに言うなよ……」
どや顔で語られる勇者像。
「当然だ。"我々にとって"はお前達は嫌なやつでしかない」
その語り手が、魔王であるということを改めて思い出した。
「だが、その理想で人々が不幸になる話はあまり見ない」
そう言った魔王は、
真剣な顔が崩れて、くあ、と大口を開けて欠伸をした。
「…ちょ、おい!いま真面目な話してただろ!欠伸すんなよ!台無しになるだろ!」
突然の気の緩みに思わずエーも真面目な顔が崩れてしまう。
そんなエーを見るのをやめた魔王は、眠そうに目を擦りながら白いフードをかぶり直した。
頭の後ろに隠れていた白い生き物が、そっとフードの隙間からエーを見る。
「飽きた」
そう一言簡潔に言って、魔王は踵を返す。
「あき……飽きた?!お前いま飽きたっていったか?!俺の人生全部ひっくりかえすかもしれない重要なこといってたくせに飽きたっていった?!」
あまりの傍若無人っぷりに開いた口が塞がらない状態のエーを気に止めずに、自由に自分の言いたいことだけいった魔王は夜の闇のなかを歩いて行く。
「これ以上は余計なお世話というものだ。勇者につかう余分な労力は無い。精々悩むと良い、フハハハハ」
魔王らしい高笑いと共に、魔王らしからぬ魔王は闇のなかに溶けていった。
残されたエーは、唖然とした顔でその闇の向こうを見つめ続けて、はあ、と深くため息をついた。
「もう十分に余計なお世話だっつの…」
がしがしと頭を掻き、手にぶつかった金の額当てをそっとなぞった。
米神の左右に自分の瞳と同じ色の宝石が装飾された、
まさしく"勇者"である事を示すそれは、夜の風に当てられ少し冷たかった。
「……俺自身が…何をしたいか……」
その呟きは、誰にも聞かれないまま、風にのって消えていった。