第五話 森の魔王 Ⅰ
炎の魔王、レーヴェはどかりと玉座に腰かけた。
執務も終わり、今日の予定はもう無い。つまりは暇になった。
今日と言う日は侵入者の連絡もなく、また王に急ぎ伝えるべき大事件も起こらない、なんとも平和な日だった。
レーヴェは暇を潰す手立てを考える。
幼馴染みは先日振り回したばかりで連絡するのは気が引けるし、
かといって他に気軽に暇潰しに誘えるような友人関係はあまり持っていない。
なんとなしに起動した携帯ゲーム端末も、
なんとなく興が乗らずに電源を落とした。
「今日は、来ないな」
レーヴェはふと、
ここ最近の暇潰したる、
侵入者として報告が必要なくなった勇者のことを思い出した。
鬱蒼と茂る森の中に金色の勇者、エーは立っていた。
蔦と花でできたゲートを背にして、エーは周囲を見渡す。
どこを見ても木と草としかなく、道らしい道はない。
高い木々に遮られた空は遠いが、木の上からぶら下がる球根のようなものが光を発しており、暗さを感じさせない不思議な森で、
少々通常よりも大きな花が色とりどりに咲いており、甘い香りが辺りを包んでいた。
「森の、世界か」
エーはゲートに入る前に天使から聞いたこの世界の名前を思い出す。
正しく森の世界だ。森以外のものが視界に入らない。
深く息を吐き出してから、エーは森の中を歩き出した。
どれだけ歩いたか、森の景色はいっこうに変わらない。
小さな虫や小動物は見かけるが、魔王どころか住居すら見かけない。
向かっている方向がそもそも間違っているのか、
魔王が不在である可能性もあることもエーは知っている。
体力はそこそこある方なので、歩き疲れた、とはならないが、いるかいないかわからないものを探すのは体より精神の方が先に疲れを訴えてきていた。
「……て、いうか、魔王にあって何を聞くつもりなんだ俺」
歩きながら一人呟く。
「知らない魔王のところへ」とランダム転送によりこの世界へやってきたエーだが、実のところ特別な作戦があるわけでもなかった。
ただここ最近の魔王への印象の変化を、氷の魔王に「勇者や魔王に会え」と言われた真意を、あの日魔王たちの集会に参加した意味を知りたくて。
とりあえず飛び込んでから先のことは考えようと行動を先にした結果、未だに無策なだけなのだ。
「あれ、こんなこと前にもなかったか?」
やや記憶の彼方に追いやりぎみな意地の悪い領主をおぼろげに思い出して、髭以外の印象が残ってないことに渋い顔をした。
「こんな突撃姿勢じゃあいつか足元掬われそうだなあ」
もやもやと考えながらため息をつく。
考えなしなのは自覚していた。
考えたってわからないものはわからない。ならば足で稼ぐしかないだろうに、と自分に言い訳している時だった。
『そうよ、だってそっちは崖だもの』
少女のような声がかけられ、エーははっとして足を止めた。
足元は相変わらず草で覆われているが、どうも進行方向の草はこちらより低い位置にあるように見える。
高さはわからないが、おそらくそこそこの高さの段差があると推測でき、エーは胸を撫で下ろした。
「助かった、ありが…」
声の方に振り返り感謝を述べかけて、その方向に誰もいないことに気づく。
周囲を見ても人がいる気配はなく、森が広がる光景に変わりはない。
『ここよ、ここ』
目に見えない誰かがまた喋った。
エーはつい恐怖で剣に伸ばしたくなる手を抑えつつ、もう一度周囲を見渡した。
森のなか、風に揺れる草木のなかに、風の動きとは明らかに違う動きをする蔦があった。
こちらに手を振るように揺れる蔦は、すぐ近くの赤色の花から伸びていた。
エーはその赤い花を見てぽかんと目を丸くした。
すると花はそれが面白かったのか、笑うようにふるふると震えるのだ。
『うふふ、面白い。きんきらのぴかぴかさん、歩き回るのはあぶないのよ、知らないの?』
それはしゃべる花だった。
しかもどこでどうしているのかは不明だが、エーをきんきらと称すあたり、こちらを視認することもできているらしい。
見たところ、魔王ではないように思う。
少なくともエーが魔王会議で見た中にはいなかったはずだ。
そんなことを考えている最中、エーの足にするりと蔦が絡み付き、そのままエーを逆さまに吊り上げてしまった。
「うおわぁ!!」
突然の視界の反転にエーは驚いた声をあげる。
それも面白かったのか、花はまた笑うように震えた。
『ねえねえ貴方は何て言う花?このきんきらは茎かしら?花びらはどこ?』
何本もの蔦がエーの髪や腕を無理やりに引っ張ったり捻ったりする。
それこそ、駆動域を知らないので曲がらない方向に腕を曲げようとしたりと、まるで子供に遊ばれる人形のような扱いをされる。
「いててててて!そっち曲がらないって、引っ張んなっ……!!」
やめろというエーの意図は伝わらないのか、花は尚もエーの腕を、足を乱暴に引っ張る。
剣をどうにか抜ければ蔦を切ることは可能だろうが…
エーはこころのなかでそれを否定する、今日は話をするために来たのだ。剣を抜くことはできない。
幸い相手は好奇心でやっていることだ、話し合いでどうにかなるはずなのだ。
『ねえねえ一本千切ってみてもいい?』
「だめ!だめだから!千切ったらもう生えてこないから!!」
早速本当に好奇心なのか不安になりつつ、エーは必死にもがいた。
「俺は!森の魔王に会いに来たんだ!どこにいるか知らないかなあ!?」
もがきながらさけぶエーに、花は大きな首をかしげた。
『森ちゃんに会いに来たの?いまどこにいるかしら』
「森ちゃん」
思わぬ魔王への呼び方につい復唱する。
"ちゃん"ということは女性なのだろうか。
「その、森の魔王って、どんなやつ?」
そうして話題を振ると、
花はしゃべる方に気をとられているのだろうか、だんだんと無理に手足を引っ張っていた蔦がだんだんと緩み始めた。
『森ちゃんはとっても優しくていい子なのよ』
「そしてお前のような小汚ない人間が大嫌いだ」
ふわりと漂う甘い香りが強くなり、知らない声が聞こえてエーは身を硬くした。
『あっほら、あれが森ちゃん』
そう言って花はくるりとエーの向いている方向を変える。