第一話 金色の勇者 Ⅲ
気付くとエーは、巨大な白亜の城の前にいた。
まるで猫や兎を追いかけて不思議の国に迷い混んだ主人公のように。
…笑えない話だ。とエーは思った。
ここは確かに不思議の国だが、灼熱の業火に焼き尽くされた地獄で、目の前にそびえ立つのは地獄の主の居城であって、期待に胸など膨らみもしない。
本来の目的を思い出した俺は三度の死を経て学習した罠の位置を的確に分析して避けながら、
エーは魔王の玉座へと向かう。
大きな扉、ここの前に立つのはいつまでも慣れる気がしない。
エーは剣を強く握りしめて、扉を開けた。
「魔王!今度こそはお前のめいにち…」
扉の向こうにいたのは、
先ほどまで追いかけていた白い生き物と、
四度目の再会である炎の魔王
が、玉座に寝そべり携帯ゲーム端末で遊ぶ姿だった。
エーはそれ以上声が続かなかった。
彼の目の前にいるのは凛々しく、また恐怖すら感じるほどの威圧感に満ちた炎の魔王…
が、大きな玉座の美しい装飾が施された肘おき、それの右側に背中を預け、左側に足を投げ出した状態で、
腹の上に白い鶏のような生き物を乗せ、携帯ゲーム端末を熱心に操作する姿だった。
言葉を失い立ち尽くすエーに気づいた腹の上の白い生き物が、ピャッと短い悲鳴をあげる。
「ま、まままま、まおうさま!あいつです!ゆうしゃです!てきしゅうです!!」
白い生き物が魔王の腹の上を跳ね回る。
その声に魔王は、煮えたぎる溶岩のように赤い瞳をエーのほうへ向けた。
だが、その瞳が今まで見てきたような、見据えられただけで焼き尽くされるような恐怖を投げ掛けるものではなく、
もっと自然で、ただそこにあるだけの炎のような、悪く言えば、他者に興味を無くしてしまったかのような、そんな瞳のような気がして、エーはハッと我に返った。
「あぁ、あれか」
続く魔王の言葉に、無意識にエーは身構える。
だが、当の魔王はそんなエーから視線を外し、携帯ゲーム端末のほうへと戻っていく。
「あれは気にしなくて良い」
その魔王の言葉を聞き、言葉を失っていたエーに言葉が戻ってくる。
「ちょ、っとまて!?どういうことだそれ!っていうか、これ…なんだそれ!?」
言葉は返ってきたものの、まとめられるほどエーは冷静ではなかった。
「これは私が詰んでいたゲームだ」
それに対して冷静な魔王はさらりと答える。
「そういうこと聞いたんじゃねえよ!つか魔王がゲーム詰んでたなんてこと聞きたくなかったわ!いや魔王がゲームしてるのを見たくなかったわ!!」
エーの口から溢れる怒涛の突っ込みを、魔王は気にかける様子もない。
「魔王だってゲームするし、ゲームをすれば詰むこともある。最近はお前が律儀に何度も襲ってくるからやる暇もなかったしな」
エーと魔王の問答に焦りの表情を隠せない白い生き物はくるくると忙しそうにエーと魔王を交互に見ている。
まさしく異様な空間だった。
少なくとも、エーにとってはこの魔王はやっと見つけた好敵手なのだ。
そのイメージが、ガラガラと崩れ去っていく。
「だ、だっておまえ…魔王だろ?!この地獄の王で、化け物たちの主だろ?!」
勇者として落ちぶれていた自分が、
こんな魔王に三度も負けたなんて、
そんな事実を否定したくて、勇者は吠える。
「そんなの魔王としてどうなんだよ!!」
溢れ出した不満は止まらない。
しかし、喚く勇者を魔王の赤い瞳がじろりと睨み付けた瞬間、
エーは思わず身をすくめてしまう。
そんなエーを瞳に映しながら、魔王はゆっくりと体勢を変え、玉座に本来座るべき形で座り直す。
「どんな魔王であろうと私の自由だ。勇者にとやかく言われる筋合いはない」
きっぱりとエーの主張を亡きものにし、魔王は続けて言う。
「ならばお前は、なぜ勇者をやっている」
突然自らに投げられた問いに、エーは再び言葉を失ってしまった。
何故?
「そ、それは…」
頭のなかで組み立てた言葉を、頭のなかで何故という言葉が否定する。
「俺は、俺は、世界を平和にするために…」
「なんで」
頭の中の声を代弁するように、炎の魔王が言葉を紡ぐ。
「なんでって…め、女神様に選ばれて…」
「なんで」
言葉に詰まるエーに、さらに投げられる言葉。
それはまるで子供のようで、親ならしつこいと怒鳴るような言葉であったが、
エーの心の奥にあるものを、確実に貫いていた。
「……」
ついに言葉が出なくなったエーを、魔王の赤い瞳はまっすぐに見つめてくる。
心のなかを見透かされているような、そんな気がした。
静寂に不安になった白い鶏のような生き物が、ぶわっと羽を膨らませた。
「し、しつこいんだよ!なんでなんでって子供かお前は!!俺だって色々あるんだ、魔王にとやかく言われる筋合いねえよ!!」
頭の中の疑問と、見透かされているような不安感を吐き捨てるようにエーは叫んだ。
叫んだと同時に、足はここから逃げることしか考えていなかった。
なぜ逃げたくなったのか、そんなことも考えないようにして、エーは元来た道を走り出した。
後に残されるのは、唖然とする白い生き物と、変わらず燃え続ける炎を背負った赤い魔王。
「ま、まおうさま…」
驚異が去ったことを喜ぶべきなのか、様子のおかしい勇者を心配すべきなのか、はたまた勇者が帰り道で暴れたりしないように追って止めをさすべきなのか、
判断に困った白い生き物は黒い円らな瞳で魔王を見上げた。
「……」
魔王はただ真っ直ぐに、勇者が去ったあとを見つめているだけだった。