第二話 氷の魔王 Ⅲ
そこは一面の青だった。
変わらず神殿のようであるが、なによりも身体中を針で刺されるような感覚、圧倒的な寒さが支配している。
トゥグルに殺されそうになったときのような、と思い返したところでエーは気づく。
「……そ、そうか……氷の魔王の居城に戻るってことは……こ、氷の世界ってことか……」
かちかちと歯をならして体を震わせながら辺りを見渡す。
神殿を形作る青の建材は、よくみるととても密度の高い氷であるようだった。
なにより床に手をついたときの冷たさが、床が氷でできていることを十二分に物語る。
「なんだ、温度に対する対策をしているわけではないのか」
見上げると、トゥグルがエーを見下ろしている。
エーは最早制御の効かない震えに任せてぶるぶると首を横に振る。
「あ、暑さ軽減の軟膏ななら、ぬ、塗ってき、きてるんだけどど」
呂律すら回らないエーをトゥグルが哀れみを籠めた瞳で見つめてくるが、そんなことを気にする余裕はエーにはない。
いよいよ青ざめてきたエーの顔色をみて、トゥグルは口許に手を当ててなにかを思い出すように天井を見上げてから、エーの頭に手をのせた。
ふわりと淡い青色の光がエーを包み込む。光はすぐに消えるが、すぐさま変化は訪れた。
エーは寒さが突然消えたことに驚いたように目を丸くした。それどころかやや暖かくも感じる。
何事かとトゥグルを見上げて、トゥグルは相も変わらず無表示でエーを見下ろして言う。
「お前のまわりだけ冷気を遮断した。しかしあまり使わない術だからどれだけ持つかはわからん。効いているうちにやつを探すぞ」
そう言って踵を返し、ここまでと同じような歩調で歩きだす。
ぽかんとその背を眺めてから、エーは眉間に皺を寄せる。
すぐさま立ち上がって、トゥグル追いかける。
簡単に追い付くような歩調だった。そう、ここまで来るまでも。
エーはトゥグルの少し後ろを歩きながら眉間の皺を濃くする。
「……感謝はする。でも、なんで俺を助けるんだ、お前も魔王だろ」
それはエーが炎の魔王にも向けていた疑問。
だが、目の前を歩く炎の魔王とは真逆の色をした真逆の属性の魔王は、炎の魔王よりも明確にエーを助ける行動をしていた。
それを、エーの中の勇者像が疑問を叫び、わめきたてるのだ。
なにかを考えるように間を置いてから、トゥグルは口を開いた。
「お前が炎の魔王の友だから」
紡がれた言葉にエーは目を見開く。
そして全力で首を横に振る。
「だから友達じゃねえっていってんだろ!俺は勇者だ!魔王を倒すのが使命だ!」
その叫びを聞いても、トゥグルは振り替えることもなく、歩調も変えずに、
ただひとつ、「そうか」と呟いた。
腑に落ちないエーはぎり、と歯を噛み締める。
気づけば場所は廊下を抜け、広い空間にでた。恐らく城のエントランス部分であろう。
高い天井にはシャンデリアのように氷が連なり、各所にある光源を反射して輝いていた。
トゥグルがエントランスの中央付近まで来て足を止めてエーを振り替えって口を開く。
「勇者よ」
その声にエーは足を止めた。
トゥグルの薄青色の瞳は鋭く、魔王特有の威圧感にエーは体を強張らせる。
「お前は幸福だ」
続いた言葉にエーは目を丸くする。
「何を言ってるんだ」そう口にしかけたが、トゥグルが言葉を続ける。
「もっといろんな魔王と会え。もっとたくさんの勇者と話せ。お前には真実を探るための目と耳と四肢がある」
真剣な声色で言うトゥグルの表示は変わらず無表示だったが、なにか熱いものを秘めているように思えた。
だが、エーにしてみればその話はあまりに唐突過ぎる。トゥグルの表情も相まって、尚更訳がわからなかった。
炎の魔王といい、氷の魔王といい、なぜ自分に説教めいた話をするのだろう。
「……なんで、」
「ああ、魔王様おかえりなさいませえ」
「何故」そう口に出そうとしたときに、エントランスの階段の上から響いた女性の声に、緊張していたエーからがくりと力が抜ける。
今日はどうにも邪魔が入る日だと頭を抱えて、その声の方をみて、また体を固まらせた。
階段から降りてくるのは二人の女性の姿だった。
長い青色の髪、潤んだ黒の瞳、
だがただひとつ、一糸纏わぬ姿であるということだけがエーを凍りつかせるには十分だった。
たとえそれが、肌の色は透き通るような青色で、体の至るところから水晶が生えるように凍っている異形だとしても。
異形の美女たちはぺちぺちと素足を氷の床で鳴らしながら、トゥグルの元に駆け寄る。
悩ましいほどたわわな乳房が揺れて、押し付けることも気にすることなくトゥグルに抱きついた二人は、エーの方を見て首をかしげた。
「あらあ?魔王様ぁ、あれはお土産?」
「食べてもいいかしら?」
美女たちは妖艶な雰囲気を醸し出しながらエーを舐めるように眺めてクスクス笑う。
トゥグルは相変わらず顔色も変えずに首を横に振る。
「あれはレーヴェの所有物だ。つまみ食いをすると溶かされるぞ」
そうトゥグルが告げると、美女たちは「やだぁ」「こわぁい」など怖がるそぶりをしてトゥグルに抱きつき直す。
凍ったままだったエーの思考回路がどうにか動きだし、なるべく視線を向けないようにしながら顔を手で覆った。
「……だ、え、どちらさまで……」
耳まで赤くするエーを眺めてトゥグルは不思議そうに首を傾げる。
「俺の世話役だ。氷の精霊、こっちがイム、こっちがリム」
端的に説明するトゥグル。紹介されたイムとリムは「はぁい」と微笑みながらエーに片手を振る。
エーは勇者であるが少年である。そして恋愛経験も片思いだけ。
あれが魔族とはわかっているが、裸の女性がいるのは目のやり場に困るのだ。
顔をそらすエーをよそにトゥグルは続ける。
「レーヴェを見ていないか」
それは二人の世話役に向けて。
二人はそういえば、といった具合に両手をぽん、と合わせた。
「来ているわ、見ていないけど」
「気温が上がったの、あの子ほんとうに体温調節がへたね」
「…………ふむ、やはりそうか……」
エーを置いて広げられる魔王とその配下の会話、
ようやく会話内容が耳に入り、理解できる程度に落ち着いてきたエー。
それでも耳は赤いまま顔をそらし続けるエーに、トゥグルの冷静な声が届く。
「おい、勇者」
「あっ、はい、なんスか」
エーは顔を背けたままギクシャクした返事を返す。
「かくれんぼとおにごっこは得意か」
続いたトゥグルの言葉に、
いままでの会話の流れでどうしたらそうなるんだよと、ツッコミの魂がエーは正気を取り戻した。