第二話 氷の魔王 Ⅰ
金色の勇者、エーは、今日こそはという決意を胸に抱いていた。
自分の心情を根底から揺るがした悪の権化、炎の魔王との付き合いも早数週間。
その間、炎の魔王と直接戦闘を行うことは一切無く、
なんやかんやと流されたり、終いには「勝ったら戦ってやる」といってやったこともないチェスをさせられ、
その結果は当然惨敗。
ルールを教わったりリベンジしたりとしているうちに、気付けばもう幾週たったか、というわけだ。
エーは今度こそ勇者として戦うのだと剣の柄を握る。
なんならチェスにでも何でも勝ってやる、と。
最早この思いこそあの魔王に慣らされている証拠ではないかと薄々気づきつつも、その足は魔王の居城へと向かっていった。
「おい魔王!!今日こそは俺と戦ってもらうぞ!!」
ばん!と大きな音をたて、蹴破るように王座の間の扉が開け放たれる。
だが、扉を蹴り開けた本人であるエーは、見えた光景に青い目を丸くする。
王座の前には見知らぬ姿があった。
腰まで長いウェーブのかかった薄紫色の髪、蒼白いといってよいほどの白い肌、薄青色の冷たい瞳。
性別の分かりにくい容姿である点は炎の魔王と似ていたが、そのすべてが炎の魔王が納める灼熱と溶岩で満たされたこの世界とは真逆のものだった。
普段は熱いぐらいの王座の間が、やや冷気を感じるのではと錯覚するほどに。
「……勇者、か」
薄青色の瞳が、エーの顔を、
いや、エーの身につけた額宛、勇者の証を見て止まる。
「な、ん…?!だ、誰だお前…!ま、魔王はどこいった!」
エーはあわてて剣を構え、一歩距離を取る。
そんな様子を見知らぬ存在はゆっくりと目で追う。
「この世界の魔王に挑みに来たか……俺の領分ではないが、仕方がない」
静かに告げられるその言葉は、まるで死刑宣告のように聞こえた。
ここ数週間のらしくない魔王との付き合いで緩んだ頭が警報をならす。
このままここにいてはいけない。
しかし、動こうとした足は縫い付けられたように動かない。
否、足元をみると、金色のグリーブが床に凍り付き、足は動かないのだ。
それが異様な光景であることはエーの頭でも十二分に理解できた。
この魔界は、炎の世界である。
正しく炎と熱が溢れて消えぬこの世界で、"凍り付く"など異常以外の何物でもないのだ。
「……っ!さむっ……!!」
異常を認識すると同じくして、空気が急激に冷えていく。
皮膚に無数の針を刺されているような凍てつく痛み、身につけている金の鎧にうっすらと張り付いていく白い霜…
先程から感じていた冷気は、錯覚などではなかった。
見れば、見知らぬ存在の腕や足がまるで結晶のように輝く青色の氷に覆われ、巨大なものへと変貌している。
この異様さを、エーは知っている。
エーは震える手で剣に手を伸ばす。
「……お前、ま、まお」
「あれ、氷の魔王さま、いらっしゃいませ」
見知らぬ存在が、"魔王"であることを察するに至ったフル回転するエーの思考は、
横からてちてちとやってきた白い塊の暢気な声に掻き消された。
「……」
"氷の魔王"と呼ばれた本人もこの暢気さに困ったような雰囲気を漂わせている。
「おや、勇者どのも、いらっしゃいませ。でも今日は魔王さまお遊びになれないかと思いますよ?」
氷の魔王と金色の勇者の様子に首をかしげながら、白い塊こと、白くて丸い鶏のような魔界生物は告げた。
「……あの勇者は知り合いか」
氷の魔王はエーを顎で示して言う。
それに対して丸い鶏はこくんとうなずいて見せ、
暫くの沈黙のあと、氷の魔王は大きなため息をついた。
凍えた手を暖炉に向ける。
まさかこの灼熱の世界で火を切望する日が来ようとは、そんなことを考えながら、エーは火の暖かさに感謝した。
「すまなかった、などとは言わんぞ勇者」
横で氷の魔王が言葉と裏腹に少し申し訳なさそうな顔で言った。
その様子を見て申し訳なさが伝染しつつ、エーは頬を掻きながら言う。
「謝られても困るからいらねえよ……」
あのあと、炎の魔王の部下である丸い鶏が「エーは最近よくやって来る勇者」であること、「炎の魔王の友人」ということ、そして「害は特にない」というエーにとって非常に不必要なことを交えて説明した。
エーは「友人である」ことは否定したが、氷の魔王はひとつ「そうか」と呟いてから氷を解除した。
それでも奪われた体温は簡単には戻らず、こうして暖炉に当たっているというわけだ。
「……俺は氷の世界の魔王、トゥグル。名乗れ勇者」
氷に覆われ巨大なものと化していたのはどこへいったのか、割りと細い腕を胸の前で組み、トゥグルと名乗った魔王はエーを見下ろす。
「……エー。金色の勇者。」
どこの魔王も偉そうだ。という感想を覚えながらエーは不満そうに答えた。
「で!炎の魔王はどこいったんだよ!」
エーはキッと鋭い視線を白い鶏に向ける。
出会った頃こそエーの姿をみるなりピーピー言ってマスコットのようなころころとした体を膨らませて緊張を体で表していたが、
いまではそのようなこともなく、かわいらしく小首を傾げて見せる炎の世界の魔族に、ちょっとかわいいななんて思ってる自分にも苛立ちつつ、エーは眉間のシワを濃くした。
炎の魔王の行方についてはトゥグルも気になるのか、同じく白い鶏に顔を向ける。
「魔王さまなら、トゥグルさまのお城に向かわれましたよ」
白い鶏がトゥグルを見上げ、エーの顔もトゥグルの方へ向く。
当のトゥグルは、少し目を見開いて何度か瞬きした。
「今日俺が来ることは事前に連絡したはずだが」
どうやらトゥグルにも予想外の出来事であるらしい。
今度は白い鶏に視線が集まる。
「逆に私から出向いてやるのだーとか言っていました。わたくしどもは魔王さまがトゥグルさまに連絡されているとばかり」
鶏がぱちくりと黒いつぶらな瞳を瞬かせる。
どうやら全てが入れ違いになっていることを理解したトゥグルとエーは、揃って頭を抱えた。
重たい空気が流れ、トゥグルが頭を振る。
「いないものは仕方がない、戻るか」
そう言って踵を返し、数歩歩いて立ち止まる。
そして、振り返り、氷の魔王の挙動を追っていたエーと、視線がかち合った。
「お前も来い、勇者」
唐突に言われた言葉に、エーは「は?」と小さく声を漏らす以外に思考が回らなかった。