第一話 金色の勇者 Ⅰ
……しゃよ…
勇者よ、目覚めるのです…
優しく、澄んだ声で微睡みから揺り起こされる。
目の前に広がるのは真っ白な場所。
空の彼方もわからないほど白く、足元はまるで雲の上にでもいるかのような感覚に陥る。
壁は無く、いやあるのかもしれないが、延々と白が続く。
気が狂いそうだなあとどこか他人事のように考えた。
そうしていると、声の主が優しく微笑みかける。
貴方は勇者。その素質を持って生まれた私の子…
勇者よ、いま世界には危機が迫っています…
悪しき魔王が、世界を呑み込もうとしている…
貴方の力が必要なのです…
そう言って、美しい声の主は俺の頭に金の冠を乗せる。
今こそ、貴方の力で、世界を救うのです…
離れて行く手を追うために顔をあげた。
そこにいるのは、まるで黄昏のような色の目をした、美しい女性。
すぐにこの人は女神なんだと確信した。
そして、自分が受けた信託が自分にとってどういう意味を持つのか理解して、
つい喜びの声色で返事をした。
「はい!女神様…!!」
そうして、勇者が また 一人、世界に生まれた。
焼けたように赤い大地、天井は岩で塞がれ太陽の光は届かない。
明かりになるといえばそこかしこからあふれでる溶岩と、天井から生えるように存在する光る石。
周囲の気温は耐えがたいほど熱く、空気も薄い。
ごく普通の生き物ならば10分と耐えられないだろう。
そう、普通の生き物ならば。
そこに暮らすのは人間でも動物でもない。
どろどろに溶けた生きた溶岩や、腐りながらも動き回る豚鼻の異形。はたまた自在に動く炎など。
ここは炎の世界。
異形の者たちが住まう、無数に存在する魔界の一つ。
ここも例外ではなく異形が住まい、侵入者に襲いかかる。
その炎の世界においてたった一つ、異質な存在が魔物たちの目を掻い潜り、一際大きな城へと向かっていた。
金色の髪、金の額当て、金色の鎧、金色の柄の剣…金で纏められた少年の姿。
瞳と、額当てに埋め込まれた宝石だけが、全く同じ青色をしていた。
このような危険な世界において非常に軽装であることも異質さに磨きをかけていた。
彼の名はエー。又の名を、金色の勇者。
勇者である彼は、女神の加護を受けているため、危険な世界であってもそう簡単には脱水症状に陥ったり、魔物に襲われて死ぬことはないのだ。
それでもエーは汗をぬぐいながら、魔物に見つからないように城を目指す。
「待ってろよ、炎の魔王…!」
城を睨み付けるエー。それはなにより、こんな過酷な土地を歩かされている苛立ちからだった。
それよりも彼を焦らせるものが胸の奥にはあったが…。
彼が睨み付ける巨大な城。そこには、魔王が住んでいる。
一つの魔界には必ず一人の魔王がいる。その魔王を討つことこそ、勇者に与えられた使命だった。
この世界には、世界と同じ名を持った魔王がいる。
エーはその魔王と戦いに来たのだ。
だから決して、魔物と戦えないから避けて歩いているのではなく、魔王との戦いのために体力を温存しているのだ。
と、エーは心の中で誰かに弁明した。
近づくと、巨大な城は一層巨大に見えた。
溶岩や光る石に照らされるその城は溶岩よりも熱く燃えるような赤と、輝く黄色のコントラストが美しく、一層不気味だった。
しかし間近まで来るとそれが赤い城なのではなく、白亜の城が周囲の明りに照らされてそんな色に見えていたということに気づく。
城へと続く最後の道は長い一本の橋。敵の影はない。
だが他に道も無さそうで、城の回りは堀というより崖のようになっており、その底には赤々と燃える溶岩が見える。
エーは一つ深呼吸をして、一気に橋の上を駆け出した。
馬車が二台は悠々と並んで走行できそうな幅の橋で、うっかり落ちる何てことは無さそうだった。
(橋が落ちたりしなきゃ、このまま行けそうだな…!)
そう考えながら剣を抜く。正面突破をしたのだ、城門前に敵がわんさかいるに違いない。
ぐっと剣を握る手に力を込めた、まさにそのときだった。
ガコン
足元でなにかスイッチ的な物を踏んだ音がした。
「えっ」
思わず声が出たエーが足元を確認する前に、エーの進行方向の橋の床が落ちた。
「え、ちょ、うおあああああ!!」
咄嗟に幅跳びのように跳躍する。
全てがスローモーションになったような感覚のなか、橋の穴の下、底に広がる溶岩の海を見てしまい、血の気が引いた。
転がるように穴の反対側に着地してようやく生きている実感を取り戻す。
振り替えると、橋には幅は7~8メートルはあろうかという穴が空いていた。
しばらく唖然として穴を見つめる。
あのままスピードを緩めていたら、もし咄嗟にジャンプしなかったら…きっと今頃は身を焦がす思いで一杯だっただろう。物理的に。
が、凶悪な罠に戦いている場合ではないことに直ぐに気付き、剣を握り直し再び橋を駆け抜ける。
魔王城、城門まではもうすぐだ。
城門を慎重にくぐると、そこには待ち構える魔物の群れなどなく、がらんとしたエントランスが広がっていた。
外にあった光る石でできたシャンデリア、壁には赤い炎が燃える松明が置かれ、予想したよりは明るい印象を受けた。
しかし拍子抜けしそうなほど静かで、闊歩する魔物どころか見張りの兵すらいない。
これも魔王の作戦だろうか?と考え、一層の緊張感をもって城内を進む。
エーを待ち受けていたのは数々の罠。床から壁から炎が吹き出し、床は抜けて底には針の山…
罠を予測する力も僅かながら付き始めた頃、おそらく城の最上階、エーの前には大きな扉が立ちふさがった。
(この先は、おそらく玉座…この扉の向こうに魔王が…!)
ごくりと唾をのみ、抜けかけていた緊張感を再び取り戻す。
炎を統べる魔王、本当に自分が対抗できるのだろうか。そんな不安に駆られ、首を横に降る。
(大丈夫だ、入念に準備をしてきたじゃないか!)
そう自分を励まし、エーは王座への扉を開いた。
いままでとうって変わって薄暗い部屋。
そこにあるのは、壁にあるわずかな松明と、玉座の前で揺らめく赤い炎。
そして、赤い炎を背負った人影。
その人影は、白に金の装飾が施された長いコートを着ていて、見た目は華奢で男か女か判別がつかない。
赤い髪と赤い目が炎に照らされ尚のこと赤く輝き、それだけを取れば身を奪われるような光景だっただろう。
だが白いコートの袖から覗く赤黒い手と、こめかみから赤い髪を囲うように前へと突き出た金色の角と、その脇に見える長くとがった耳。
なにより背負っている赤い炎が、直接髪に繋がっており、まるで長い髪が延々と燃え続けているような、いや炎その物が長い髪のようになっていること、
それこそが彼、もしくは彼女が異形であることを物語っていた。
彼の者こそ、エーがこの灼熱の世界にやって来た目的の人物、炎の魔王であることをエーは直感し、剣を構え、強く握りしめる。
「貴様が炎の魔王だな…!」
緊張感からか、はたまた炎の魔王の威圧感か、それとも単に暑さのせいか、つ、とエーの額から汗が流れる
「いかにも、私は炎の魔王。ようこそ私の城へ、地獄業火に焼かれに来た愚かな勇者よ」
エーの心境を知ってか知らずか、炎の魔王はにやりと笑う。
エーの鼓動が高鳴る。
それは緊張感からではなかった。
こんなに"魔王"している魔王にエーは初めて出会った。
自分が"勇者"であることを心の底から実感する。これこそが、エーが追い求めていた感覚だった。
「我が名は金色の勇者!!人の世を乱す悪しき魔王よ!女神に祝福されし我が力、受けてみるがいい!!」
力を込めて宣言し、エーは炎の魔王にむかって全速力で駆け出した。
まずは一太刀浴びせて様子を見る。もしかしたら刃が通らないかもしれない。そうなったら別の作戦へすぐに移らなければ。
そう思考を巡らせながら駆けてくるエーを見下ろし、炎の魔王は手をエーの方へ向ける。
何かをしてくる。
そう察した瞬間、
パチン
と鳴るのは炎の魔王が指を鳴らした音。
それと同時に、エーの足元でガコンと聞いたことのある音がして、エーの体を浮遊感が襲う。
ちょうどエーの足元の床が開いたのだ。
「ちょ、ま、うわあああああ!?」
踏むべき足場がなくなってしまった体は下へと落ちていく。
エーが最後に見たのは、炎の魔王の笑み。
直後に視界は真っ赤に染まり、あとは身を焦がす思いで一杯だった。