#08:体感する
既聴感(?)のあるキュルキュル音が耳奥で鳴り響く。やっちまった感に頭が埋め尽くされるものの、時すでに遅かった。
今回の引き金となったにおいはおそらく、さくらさんから香ってきた石鹸のような花の香りのようなフレグランス。
意識を持っていかれる一瞬前、さくらさんのその外見に驚愕を覚えた僕は、その側まで猛然と車椅子を駆って近寄ってしまっていたのだが、ふわりと漂ってきたその心地よい芳香を、興奮気味の深呼吸と共に思い切り吸い込んだのがいけなかったようだ。
現実の意識と呼ぶべきものがシュコンと遠ざかっていく感覚が襲った瞬間、別方向から飛んできた意識の塊がズドムと脳内に撃ち込まれたかのような衝撃が来る。
その切り替えのような妙な瞬間を認識できたというのが、前回より進歩(?)したところなのか、どうなのかはよく分からない。
…………
「……柏木さんは、好きな食べ物とか……何が好きとかあります? あ、いやだ、何かお見合いの席での会話みたい」
前回のように周りはぼんやりと、ピントが合っていないかのように歪んではっきりとしていない。だけど、僕の視界の中央に映るその女性は、やはり意識を失う前に見た「さくらさん」であったわけで。
予知夢……なのだろうか。屋外としか場所の特定はできないけど、さくらさんの服装は白衣ではなく、深い青色をしたワンピース……丸襟と飾りのベルトは純白で鮮やかなコントラストだ(と思う。服に関しては無頓着なのでよくは判らないけど)……病院での勤務中に着る感じではない。
ということは「ここ」は外のどこかなのだろう。優しげに、そして少しはにかみつつ語りかけてくるさくらさんは、やはり僕の想像していた以上に魅力的に感じる。
【そ、そうですね……子供っぽいと思われるかも知れないですけど、唐揚げが異常に好きなんですよね……衣がカラッとしててなおかつゴロッとたくさん付いている感じの……それだとご飯も異常に進むと言うか…】
おっと、僕の声だ。普通通り、自然に聴こえる。録音された自分の声を聴くような違和感はない。
つまりこの夢のようなものは、実際に僕が体験することなのだろうか? それにしても、もう少し気の利いた答えは無いのか、と自分に呆れてしまうわけで。唐揚げのディティールをそこまで掘り下げてどうする。そこ重要じゃないよね? しかし、そのどうしようもない僕の返しに対して、
「ええっ、私揚げ物得意なんですっ。家でも母じゃなくて私がいつも担当するんですよ。じゃあその……今度作って持ってきますね。ご飯も一緒に詰めて……」
一瞬ぱっと顔を輝かせたさくらさんの笑顔が眩しい。「唐揚げ」。最重要ワードだ。好きな食べ物を問われたら迷わずこれを答えるんだ、恵一。僕はそれだけを頭に叩き込む。今の僕自身には、自分が重度の唐揚げ好きという記憶はまったく無いけれども。
そしてもう一つ、さくらさんが実家住まいであろうということも窺い知れた。これはのちのち親しくなっていく過程時に重要となろうことであり、現時点では頭の片隅に留めておくだけにしておこう。
またしてもキュルキュル音が鳴り始めるが、僕は前日の時よりは幾分リラックスした余裕な感じで暗転する瞬間を待てるようになっている。