#61:挽回する/させる
駐車スペースに敷かれた、ベージュ色をしたタイルに両膝を突いて、俺は自分の頭を抱え込んでいた。両腕を、巻き付けるように。だって、何だよ、これ。
-私は、海沿いに、白い壁の小さなお家を建てて、そこで恵一と、子供たちと暮らしたいなあ。あ、それと大きな犬を飼いたい。波打ち際をみんなでお散歩。いいでしょ?
さくらさんの言葉が耳の奥に響いている。
<11が つ8にち さくらさ んとえのし まにまたドライ ブ いちおくえ んがあったらな にを するかと いうた あいも ないはな し さく らさん はしろ い かべの ちいさ ないえにす みたいそ うだ いぬず きはあいか わらずぼ くは も っとかせ げるおと こになら ないとい けないな>
そして自分の書いた「日記」の文面が、瞼の裏に浮かび上がってくる。
もう一度、今度はしっかりとその家の方を向いて、目をしっかりと開く。目を逸らすわけには、いかない。
白い壁に、臙脂色の屋根が乗っている。二階は出窓。そして小さな庭には、いまどきは見ないだろ的な、真っ赤な屋根の白い犬小屋。花壇には薄ピンクやら赤紫っぽい色の花が咲き乱れている。俺には何が何て名前かはわからないが。
さくらさんが望んだもの、望んで得られなかったものがここにあった。めぐみ……
「どうです? イメージ通りでしょう? 私が逐一指示したんですから」
運転席から降りてきためぐみが、まるで遠くを見るかのように手で庇を作って、その家を仰ぎ見ている。
「……25年ローン組んじゃいました。これから必死で働いて返していきますから……」
……「から」? から、何だろう?
「……だから……この家に住んでくれませんか。私と一緒に」
めぐみの声が、鼓膜を震わせたものの、俺はもう、うまく言葉を返すことすら、出来なくなっている状態なわけで。そんな……事を考えていてくれたのか。
-柏木さん……記憶が戻っても、戻ったとしても……私と一緒にいてくれますか?
江の島の海岸で俺の記憶が戻るその前に呟かれた、さくらさんの、いやめぐみの言葉が想起される。
さくらさんの言葉では無かった。あの時のあの言葉は、めぐみの、俺への願いが込められていた言葉だったというわけか。ようやく分かったよ。そして分かったのなら、その問いには、答えなくてはならない。
「俺は……ごくつぶしの居候なんてまっぴらだ」
一瞬の間を持って、俺が不愛想に投げかけたその言葉に、めぐみの肩がぴくりと動いたのを目の端で認識した。
静寂が俺たちの間を流れる。ややあって、めぐみがその沈黙を震えさせるように、言葉を何とか紡ぎ出していこうとするが。
「そう……そう、……ですよね。こ、こんなことして、なんだって話ですよね」
めぐみの言葉に、俺は沈黙を返すことしか出来ない。
「……私、独りよがりに突っ走っちゃっただけなのかもです。柏木さんの思い出をただ踏みにじっただけなのかも。……ごめんなさい」
震える声でそう言われた。それっきり俯いたままのめぐみに、俺は自分の両脚で立ち上がり、その側へと近づいていく。ゆっくりと、一歩一歩を確かめながら。
「……稼ぐぞ、俺は。家にはいくらか生活費入れるからよぉ、俺をここに置いてくれ」
そう、ただこの家に飼われるように居るだけの生活なんざ、まっぴら御免だ。
めぐみがはっと、顔をこちらに向けた。
「……右手が繊細に動かせなくなったからって、働けなくなったわけじゃあないからな。よし、明日から職探しに出るとするかぁ。足が治ったら、犬の散歩だって、全然いけるしよ」
そして俺は自分の娘に対しては、こんなにも不自然に、不器用にしか振る舞えないことを自覚して赤面する。まあどこの男親も大して違いはないだろう。
「……」
めぐみの震える肩に手を置く。そして俺は、伝えたいことがもうひとつあったことを思い出した。
「さくらさんと約束してるんだ。お前を連れてハワイに行きたいんだとよ。旅費はどんくらいなんだろうなあ。そうだここ、ネット環境どうなってんだ? 早速調べないとだろ? 体も冷えちまったことだし、ちょっと上がらせてもらうぞ」
白々しい言葉と共に、肩から背中に手を回して、めぐみを玄関へと促したつもりの俺だったが、そのままめぐみは俺の胸に頭突きを入れるかのように、頭をぐいぐい押し込んできた。
「……」
沈黙のまま、俺はその頭を、子供にするように撫でてやるくらいのことしか出来ない。
きっとさくらさんは今のこの光景を見ている。そしてきっと、呆れてるんじゃないかと思う。
これから挽回するよ。これから、ここから。