#49:懐疑する
「柏木さん……柏木さんっ!!」
僕の肩に再び掛けられた手が力を込めて揺さぶってくる。さくらさんの切迫した声も耳には届いてはくるものの、僕は、四つん這いになったまま、シンヤの姿を目で追うことにすべての注意を傾けていた。
いや、実際にそこにはいないのだろう。僕にしか見えない虚像だ。もう影でも無い、周りの光を呑み込むような真っ黒の「闇」のような質感の人影が、砂浜からほんの少し浮いて、僕を見下ろしている。
―ニセモノくん。ボクと協力して、『柏木恵一』を封じ込めないかい? んん? どうやるかって? ああー、例えば記憶が戻ったと見せかけるって案はどうだい? ボクの持つ記憶の断片と、キミが『におい』で得ることの出来る記憶の断片。それらを継ぎはぎすれば、『本物』と、もう遜色なくなりはしないかい?
つらつらと紡ぎ出される言葉と共に、何とも言えないねちっこさを伴った笑いが、僕の頭の中に反響していく。陽は完全に没し、辺りは海と空の見分けがようやく付くくらいの暗闇が包んでいる。海岸線を走る車道の街路灯や、建物の照明が、遠くの方に、やけに明るく光を放っているのが見えて、そのせいか、僕らの周囲はさらに暗く感じるわけで。
―『本物』だよ、もうそれは。ボクらは晴れて本物の『柏木恵一』となる。いいことじゃあないか。そうすれば、佐倉めぐみを愛せるぞ? キミの想いはボクも共有している。ボクを道連れに消え去りたいとか考えているみたいだが、本当にキミは消えたいのか? ボクは御免だ。せっかく生まれたんだんじゃあないか。この世界に。
「生まれた」。生まれたと……言えるのか? 僕たちは。
―ベースはキミでいい。ボクはたまに『外』に出てこれればいいよ。もちろん互いに持っている記憶は共有する。それで新しい『柏木恵一』の出来上がりだぁ。見たいだろ? 本物の未来を。キミの愛する『さくらさん』との輝いた未来を?
「予知夢」で見せられたさくらさんとの「過去」は、確かに眩しくて、暖かな空気に包まれているかのようで……。
こんな未来が待っているのなら、このままでいたいような、僕は、先ほどの決意も萎んでいき、そんな誘惑に引きずり込まれてしまいそうになる。しかし。
それは柏木恵一のものだ。僕が横取りしていいものではない。そう思うや否や、くふふ、と意味深なシンヤの含み笑いが聞こえてくる。そうか、僕の思考は読まれているんだった。
―偽善的な考え、キミっぽいねえ。いいかい、自分勝手に心を閉ざし、僕らにケツ持ちさせたのは、他でもない、柏木恵一なんだ。そして必死こいて記憶を探り、悩み、考え、行動し、大怪我からままならない身体をキツい思いをしながら着実に修復させていったのは、キミだ。自分では何ひとつしようとせず、キミや佐倉めぐみに引き上げられるのをただ体の力すら抜いて横たわっていただけの男に、レストアした身体を無償で明け渡し、なおかつ後腐れなく消え去っていく? おいおい、もっと貪欲になれ。いくらわかいじぶ……あ、いや、いくら和解の道を模索しようと、こればっかりは無理だと思うねえ。
相変わらず舌の回ることで。思わずその言葉の群れに翻弄させられてしまいそうになる。本当に僕と同一の脳から生み出された者なのか? 饒舌すぎるだろ。
いやそれよりも。
……最後、何かおかしかった。「いくらわかいじぶ」と言いかけて、言い直した。無理やりっぽい言葉を付け足しながら。言い淀むことなんか今まで無かったから、やけに目立った。違和感を感じた。
何を言いかけた? 何を口走り……かけたんだ?
まだ隠している。まだ何かをシンヤは僕に伏せているんだ。僕には自分の思考が伝わっていないと思っている。それは事実だけど、僕にだって考えることは出来る。考えて、推測することは出来る。考えろ。こいつの真意は……何だ? 僕を欺こうとしている、出し抜こうとしている、こいつの、裏の思考は。