#47:共振する
穏やかな海。周りには人の姿はあまりない。大きな犬に引っ張られるかのように波打ち際を散歩している人影が遠くに臨めるくらいだ。
静寂が僕の周りを包んでいる。いや、本当は静寂ではないのかも知れない。先ほどから僕の頭の中でキュルキュル鳴り続けている音は、もう僕には慣れ始めて来ていて、感知できなくなっているから。他の音が聞こえない状態……それを静寂と認識しているのかも。もう僕の頭はうまく働かなくなってきているようだ。
「……」
さっきより、オレンジ色の空が黒ずんできているように見える。その時は近い。
そんな呑気なこと言ってる場合じゃないか。松葉杖に寄っかかりながら立ち尽くしている僕だけど、昏倒が起こったら、ぶっ倒れるのは必至なわけで。僕は思い切って杖を体の両脇に倒すと、少し屈みこんでから、砂浜に尻から倒れ込んだ。そしてそのまま少し湿った砂の上に大の字になってみる。
「……」
先ほどから無言のさくらさんも、そのまま僕の右隣まで来て、砂に腰を降ろした。
不思議だ。僕に記憶は無いのに、懐かしさを感じている。これは何だろう。「柏木恵一」が感じていることを、僕がおこぼれ的に享受しているとでも言うのだろうか。わからない。全てが分からないままだ。分からないまま終わる。でもそれでも全然僕には構わない。
辺りが夕闇に包まれる。そろそろか、と半身を起こした僕は、例のキュルキュル音がしなくなっていることに気づいた。波音が聞こえている。あれ? どうしたんだろう。昏倒するはずのその瞬間も、一向にやって来る気配が感じられないわけで。
その時だった。
「っはっは。当てが外れたかい? 柏木恵一。この場に来たら、記憶が戻るなんて、甘い考えだったようだねえ。まあ君の手の内はよくわかったよ」
なぜ、ここに。
「シンヤ……!!」
思わず声に出てしまう。お前は……アメリカに飛んでたんじゃなかったのか。この場に現れるなんて。想定外。
「え!? シンヤ先生? いるんですか?」
さくらさんも僕の声に驚いて辺りを見回している。僕の視線は左前方に見える大きな人影に吸い寄せられていた。屈みこんでなにやら指で砂浜に文字らしきものを書いていたその影は、例の、重さを感じさせない軽やかな仕草で立ち上がると、僕の方を見据えた。そして、
「……今まで騙していてごめんよ。ボクはキミに記憶を取り戻させないよう、言いつけられている、いわば監視人だぁ。これはもはや、決定事項なのさ。気の毒だけど、死ぬまで、記憶を失ったままでいてくれたまえ、柏木クン?」
「監視人」だと? 「言いつけられている」だと? どういうことだ。どういう……ことなんだっ……!!
「柏木さんっ!?」
僕の顔は相当強張っているんだろう。隣に座っているさくらさんが気づかうように言ってくれるけど。けど。眼前のシンヤは、分厚いコートの前をはだけ、両手をそのポケットに突っ込んだ姿勢のまま、こちらに一歩、一歩と、滑るように砂浜を歩き寄ってきている。
「お前は……お前は誰だ」
押し殺した声で、迫るシンヤに声を投げかける僕。監視してどうする? 僕の記憶が戻らないことに、どれだけの価値があるというんだ? おかしい。おかしいだろっ。
「あー、あー、納得出来ていない感じ……ひどく共感できるなあ、柏木クン。しかし、前にも言った。ボクは僕さ。キミと同じ、『柏木恵一』の……一部だよ」
何……だと?




