#36:共鳴する
「……柏木さん、体の方は順調に回復しているとのことで……何より。そして気になる『記憶』の方なんですが……実際のところ、どうなんですかね?」
キャスター付きの肘掛椅子に腰かけたまま、極めて自然な笑みを浮かべつつ、シンヤはそう切り出してくる。居室なんだろうか。ひどくリラックスした様子で、デスクトップを操っているけど。
確かシンヤは横須賀の方に勤めているとさくらさんから聞いたような気がする。でも、この病院にも専用の部屋があるってわけか。じゃあシンヤは結構、この中での地位は高いということになるだろうか。まあ確かに良しあしはともかく、「出来る」感じは、いやになるほど感じているわけで。
「……」
僕の答えを促すシンヤの、色付き眼鏡の奥の瞳は笑っていないように感じられ、少し身構えてしまう。
「実際のところ、どうか」だと? 初っ端から僕の記憶がどの辺まで戻っているのか、直球で聞いて来るとは。正攻法過ぎて逆に新鮮に感じるけど、いやこれも奴の手なんじゃないかと、僕はいきなり思考が迷走してしまう。
「……徐々に戻りつつあるようです。例の『におい』とか、それと『音響』とかによって」
ここはそうかましておく。「音響」により記憶が想起されるという僕の嘘、それがさくらさんを通してシンヤにまで伝わってるかどうかは不明だけど、それならそれで、何らかのリアクションがあるはずだ。
「『音響』! ……それは初耳だけど佐倉クン? もしかして、聴覚の刺激によっても、柏木さんの記憶の『スイッチ』が入るというわけかい?」
それに対するシンヤの驚きは、自然に見えたわけだけど、いやいや早計過ぎるか。こいつは自分の感情をコントロールすることに、人並外れて長けていると思われるわけで。
「……おそらくですけど、昨日、映画館でインディ=ジョーンズのテーマを聴いた時にも、においの時と同じく、昏倒されていました。それについては以前に言ったような気もするんですけど……新谷センセ?」
さくらさんが悪戯っぽく、そう小首を傾げると、ああー、そうだったかも知れない、聞いたかもだ、とシンヤは後頭部を叩きながら、そうにこやかに返している。
そして僕は少し、この親密そうな二人の雰囲気に、取り残された感を感じていたりもする。
「……ともかく、記憶が戻っているということは、いい兆候だと思われますね。今後は……もし柏木さんが望むのでしたらですが、意図的に『におい』だの『音』だのを体感してもらって、どんどん記憶を取り戻していってもらうという……まあ少し意味合いは違いますが、『ショック療法』のようなやり方で、攻めてみるのもいいかも知れません」
シンヤはあくまで真摯な表情でそう僕に持ちかけてくるけど、おいそれとそれに乗っかるのも何か不安だ。
そして、シンヤの物言いから判断するに、シンヤは僕に記憶を取り戻させたがっている……? それが何故かは分からないけど。僕が記憶を取り戻すこと、それがシンヤの何らかの利益に結び付くとでも言うのか? わからない。こいつの「裏の顔」を知る僕としたら、尚更だ。
相変らず何を考えているのか分からないシンヤを前に、僕は何かこいつから弱みとか情報とかを引き出せないものかと、必死で思考を巡らしている。