#33:検討する
―昨日は楽しめましたか? 何か私だけ堪能した感じで、後から思うと申し訳なかったな……なんて思ってたりもするんですが。
正午前、穏やかな陽の光が差し込む病室で、僕はまどろみにも似たぼんやりと宙に浮いたような気分だ。
壁に取り付けられた白いスピーカーから降り落ちてくる声は、今日も涼やかで、心地よい。面と向かってだと、あるいは間近で意識してしまうと、途端に緊張して心安くは聞けなくなってしまうその声を、僕は、この機械を通してだと、すごくリラックスして聞くことが出来る。
さくらさんもその辺りが分かっているのだろうか、あるいはこれがカウンセリングの一つの手法なのだろうか、この「対話」は決まった時間に二回、ちゃんと毎日続けられている。
さくらさんの申し訳なさそうな声色に、い、いえ、映画もアザラシも凄く楽しめましたと慌てて返す僕。一瞬後、くすりと笑ったように聞こえたスピーカーから、確かに温かさを持った声が流れ出してくる。
―柏木さんの記憶を取り戻す……そのために行ったわけですけど、何か、私も記憶を辿る旅に連れ出された感じで……すごい、ノスタルジック感でした。
そう言えば、「お父さん」との言葉がよく出ていたよね……さくらさんの子供の頃の記憶、それが蘇ったのだろう。いつかは会うと思われるその人……少し、僕は知っておいた方がいいのではないだろうか。
「……さくらさんのお父さんは何をやられている方なんですか?」
無難なところから聞いてみた。さくらさんの年齢から考えると(はっきりとした歳を知っているわけではないけど)、まだリタイヤするには早いと思われたからだ。
しかし、ほんのわずか、間が空いた。普通なら見過ごすほどの瞬間だったけど、僕にはさくらさんとこれまで積み上げてきた対話の場数があるわけで。ミリ単位の違和感を、さくらさんの応対から感じ取ってしまった。でも、何でだろう、その真意までは分からないのだけれど。
―医師、です。外科の。
ぽつりと投げかけられた言葉は、しかしやっぱり不自然な感じがした。何か……父娘の間に確執でもあるのだろうか。そんな感じを受け取ったわけで。
―今はもう、一線からは退いていた……いるんですけどね。
? やはり、不自然さは拭えない。けど、家族には色々ある、はず。あまり突っ込んで聞くわけにもいかない僕は、さりげなく話題を変えることとする。
「……さくらさんは、海、好きですか?」
しかし、おいおいと言いたくなるような僕の不自然さよ。ストレートの暴投を投げ放ってどうする。しかしそんな僕のクソボールを、さくらさんはキャッチすることに長けているのであって。
―海は好きです。子供の頃から。記憶が来たんですね、『波打ち際』って……おっしゃってましたもんね。
見事に回収してくれたさくらさんは、僕の次の言葉を待つかのように、穏やかな沈黙を続けてくれている。さあ、どうする? 僕。