#25:企図する
映画自体はつつがなく始まった。
シンヤの諸々の行動は気になるけど、自分のとるべき行動は忘れちゃいけない。僕は尻をもぞもぞと動かすと、車椅子に深く腰掛け、映画に集中できる姿勢へシフトする。
リバイバル上映だからだろうか、冗長な宣伝映像は一切無く、いきなり本編の始まりを告げる、雪を抱いた山のオープニングロゴが流れ出した。そして、
「……」
始まって十分ほどで僕は映画に引き込まれていた。
インディ・ジョーンズ。こんな、心躍る、完成度の高い冒険活劇が、二十年以上前に公開されていたなんて。そしてこんな名作を僕は見ていなかったなんて。
いや、その記憶が失われているだけかも知れないけど。どちらにしろ、この体験が出来たことを素直に感謝する。「予言」に、そして僕の左隣で、つまんだポップコーンを口に運ぶのも忘れて見入っている、さくらさんに。
「……」
ついつい堪能してしまった。やばいやばい。途中何度もあの勇壮なテーマが鳴ったものの、話の先が気になり、僕は「作戦」を実行するのを先延ばしにしてしまっていたわけで。これじゃ本末転倒。ラストチャンス、エンディングテーマで決めるしかない!
「……」
激動の、そして感動の本編が終了し、ようやくこちらの世界に意識が戻ってきたと思われるさくらさんが、こちらの様子をちらちら気にしてくる。ほらほら、言わんこっちゃない。時間が無いぞ、作戦開始だ。
「……ご、ごほっ、ごふっ」
我ながらわざとらしい咳になってしまったが、やむを得ない。
さくらさんのいる左の方向から顔を背け、僕は右に首を捻りながら、左手で口の辺りをマスクの上から押さえる。そのまま虚偽の咳を続けつつ、マスク越しに鼻に食らいついてたノーズクリップを少しずらす。鼻孔から空気が入る事を確認しつつ、僕はさくらさんに大丈夫、といった感じで手刀を切る。
そして再びスクリーンに向き直った。準備完了。
「……」
後は思い切り鼻から吸い込むだけだ。この日のために病院の中庭に通って、少しづつ採取した、そして今着けているこのマスクに今朝、その花弁のエキスをたっぷりと染み込ませた、柊木犀の、そのクリームにも似た香りを。
「……」
鼻から流れ込む、むせかえるような強い香りと共に、三度目になるキュルキュルとテープを巻き戻すような音が耳奥で響く。ビンゴ。やはり僕の読みは間違ってはいなかった。
以前、記憶覚醒の引き金になったのは金木犀の香りだった。
そしてその次はさくらさんの薔薇のようなフレグランス。
僕はこの二度に渡る体験で、花の芳香、それが記憶を蘇らせる鉄板のにおいであると踏んでいた。なぜ花の香りなのか、それはわからないし、どうでもいい事だ。
ともかく僕としては「意図して意識を失う事のできる香り」が必要だっただけなわけで。「聴覚によっても記憶が呼び覚まされる」ということを、さくらさんに示すために。そしてそのために映画館に来たという体であるように。
……本当は「予言」に従い、それを実現するためだけなんだけれど。
無事ここまで漕ぎつけられた事に満足しつつ、シュコンと失われる今の意識と、彼方からズドムと撃ち込まれてくる記憶とに自分自身を委ねながら、僕は、静謐な水の中に投げ込まれたような感覚を全身で受け止める。