32 夜会の令嬢
「ふーむ。やはりジンは肝が座っているな」
王子は城の壮麗さに驚いただろうと言っているのだ。
「別に城の装飾品が襲ってくるわけではないですから」
「はっはっは! 結構結構!」
僕には日本人として生きた感覚も少しある。日本に居た時にテレビやネット等でヨーロッパの石造りの城も見ている。
もしそれを見なかったら尻込みしてしまう空間かもしれない。
緑の村で生きていた少年の自分もいて、そちらのほうの自分だけだったら迎賓館の時点で動けなくなっていたかもしれない。
僕は世界にたった一組の極めてレアなスキルを持っているだけでなく、日本に転移してから、僕はきっと異質な人間となっている。
「こんなものは国民の血税で作られているんだ」
村人の方の僕は大分やられていた。
「国民の血税か……ジンは面白いことをいうな。その通りだ。街を守る壁を高くする必要があるが王宮に贅を尽くす必要がどこにあるのだか」
「え?」
何の気なしに僕が言った言葉に王子が真面目に反応した。
「いやビーストランドも人間の国のようになってきたな」
「人間の国のよう?」
「質実剛健な我が国も国民の血税に胡座をかくようになった。おっと聞かなかったことにしてくれ」
王子は笑っている。
王子にはルドガーという兄がいて王位の継承順位で先に来ている。
ケルビン王子がルドガーを蹴落としてビーストランドの王位を狙っているという噂は本当なのだろうか?
僕は少しだけ前を歩く王子に声を細めて聞いた。
「現体制に不満があるのですか?」
「ある! 大いに!」
大きな声を出すケルビンにぎょっとする。
こんな危険なことを大声で話すのか。
「なぜ、ビーストランドもフランシスも兵を率いて魔王国を攻めんのだ。獣人と人が強固な同盟を結んでいる今こそ協力して魔族の王を討つべきだ」
「え? そちらですか?」
「そちら? なんだと思ったのだ?」
「いやなんでも」
王子また笑った後、でかい顔を近づけて言った。
今度は声を細めた。
「王位などに興味はない。俺が興味があるのは勇者ローレアのような英雄さ」
僕が王子の顔を見る。鏡を見たらきっと驚いた顔をしていただろう。
「そういう夢がジンもあるんだろう? さあ、会場の大ホールだぞ! はっはっは!」
背中をバンと叩かれる。
気がつくと目の前に開けっ放しの大きな観音開きの扉があって、中はドームのような広さに思えてしまう空間があり、金色やガラスの光が乱反射していた。
けれども僕はもう気圧されることは無くなっていた。
もちろんセーブ&ロードを繰り返して慣れたわけではない。
会場に入ると次々に洗練された物腰の男達が王子の周りにやってきた。
どうやら王子と交流を持つことはフランシス王国の上流階級にとって意味があることのようだ。
呼んだというマチルダ先生もケイも来ていない。
僕は護衛なので離れずに側にいないといけない。
「彼は? 是非紹介していただきたい」
「フランシスに付けられた護衛です」
「ああ、そうですか」
紳士達は気に入っている従者に見えている僕にまで媚を売ろうとして話しかけてくるが、ただの護衛とわかるとすぐに興味を失われる。
王子が低い声で話しかけてくる。
「まあこちらも彼らに興味はない。お楽しみはこれからさ」
「お楽しみ?」
「ふっふっふ」
フランシスコ国の王様でも挨拶しに来るんだろうか?
それは流石に興味がある。
周りの様子を見ると、来ている紳士淑女は若い世代のような気がする。
ひょっとしたらそういう縁結びのパーティーなのだろうか?
しかし、紳士淑女は王子の周りには男性ばかりが集まるが、女性は全く来なかった。会場には女性も多く、おそらく貴族の子弟だろう男性と楽しそうに話している。
「ジン! お前は何故帯剣している? いや何故ここにいる? 王族もいらっしゃるのだぞ!?」
急に怒鳴られる。
振り向くとロイドだった。軍の最高幹部に一兵卒になる前に完全に目をつけられてしまったようだ。
そして彼ですら帯剣していない。
「ロイド卿。ジンは護衛で剣士だ。帯剣は私が許可したのだ」
「しかし、ケルビン殿下」
「むしろ貴公こそ武人ならば帯剣をするべきと思うぞ」
ロイドは悔しそうに踵を返して去っていった。
「ちょ、ちょっと王子」
「なんだ?」
「ロイド団長は僕の雲の上の上司ですよ」
「ははは。だから?」
王子は笑っている。全く気にしていないらしい。
まあ、どうせこっちは最初から最前線に投入してもらうつもりなのだ。
嫌われたほうが配属されやすいかもしれない。
僕もおかしくなってきたので二人で大笑いする。
周りの紳士淑女から奇異な目で見られていることだろう。
「ははははは」
「ふふふふふ」
「どーしたの? 楽しそうね。私も混ぜてくれる?」
声のほうを見るといかにも貴族の令嬢、いや深層の令嬢というよりはわがままし放題に育てられたおてんば娘という笑いをした女性が立っていた。
金髪縦ロールが輝やいている。
「お前、ひょっとしてサラか?」
珍しく王子がやや驚いた声をあげる。
「懐かしいわね。ケルビン。殿下とお呼びしたほうがよろしいから?」
二人は知己のようだ。一体誰だろうか?
「ははは。ケルビンで構わん。十何年ぶりか? 美人になったな」
「そう? じゃあケルビンと呼ばせて貰うわ」
サラと呼ばれた女性が僕を見る。
すぐに片足を斜め後ろの内側にして、もう一方の足の膝を少し曲げ、背筋は伸ばしたまま腰を少しだけ落とす挨拶をした。
「私はメル・エルドアの四女のサラと申します。」
エルドア? 僕でも知っている貴族の家の名前がエルドアだ。
ひょっとしてエルドア公爵家の令嬢?
ランベリー領という広大な地方を治めているフランシス有数の貴族の家といっていい。
目の前の女性は物腰も完全に令嬢になっていた。
「あ、あ……」
僕はまた気圧される村人Aに戻ってしまった。
「こいつは俺の友達さ」
「もうケルビンには聞いてないわよ! 彼に聞いてるの!」
二人のやり取りが面白くて少しだけ平常心を取り戻した。
「こほん。お名前は?」
「ジ、ジンです」
「ジン様、素敵なお名前ね。どちらの?」
多分、どこの貴族の家とかどこの領地とかそんな話しだろう。
家名を持つものは貴族だ。僕に家名などない。ただの……。
「ハーゴ村のジンです。ケルビン王子の護衛として来ています」
自分がただの平民であることを告白した。
これで他の男性貴族と同じようにすぐにそっぽを向かれるだろう。
ところがこのサラという貴族令嬢はそうではなかった。
「ジン様はケルビンのお友達なのね。なら私ともお友達になっていただけるのかしら?」
「え?」
僕が面食らっているとケルビンが笑った。
「はっはっは。そりゃいいや。こっちには敵が来た」
敵? 僕は片手を剣の柄に置く。
ところがケルビンの周りにはまた紳士が集まってきたようだ。敵というのはどうも冗談だったらしい。
「ここは俺に任せろ。二人で少し話していてくれないか?」
「きゃー嬉しい。いいの? 踊っちゃうかもよ?」
「サラは後で俺とも踊れよ」
「ん~考えとくわね……」
ケルビンは紳士達に囲まれて、僕はサラと二人残された。
10月10日、第一巻発売予定!




