29 気まぐれの護衛依頼
オリヴィア? 一体何のことだろうと思うが、王子は真っ直ぐに僕を見ている。
「な、なんでしょう? 僕の名前はジンです」
呼びかけても獣人の王子は何も答えずにただ目の前で立ち尽くしていた。
ただ、害意はなさそうだった。
先ほどは実力の一端を見せられて警戒したが、オリヴィアという名を呼ぶ王子は戸惑う少年のようだった。
パレードの時の威風もない。
もう一度、主張してみた。
「オリヴィアと言われてもジンだけど」
王子が急に正気に戻ったかのような声で僕に言った。
「ん? 君は?」
「君はってだからジンだと……え?」
その時点でやっと気がついた。
王子は返事をしていた僕を見ずに後ろに隠れていたケイを見ていたのだ。
「オリヴィアだろ?」
「ボ、ボク?」
背中の服を握る力が強くなる。震えまで伝わってケイが怯えていることがわかる。
勘違いを主張する。
「こいつはケイって名前で」
「ん?」
やはり王子は僕の話はよく聞いてくれない。
「だからこいつはケイって名前なんです」
「オ、オリヴィアでは……ないのか?」
背の高い王子は背の低いケイをまるで覗き込むように聞いた。
ケイが小刻みに首を縦に振りながら、また僕の影に入り込む。
「そ、そんなオリヴィアのはずだ……」
王子はふらふらとした足取りで、僕を回り込んでケイに近づこうとする。
ケイは尋常じゃない震え方をしているが、やはり王子にも悪意を感じられない。
するとクレアが僕の横に立ち王子の前に立ちはだかった。
進行を止められた王子が獅子のような咆哮をあげた。
「どけいっ!!!」
まずい!
氷のような殺気を放つ数人のツワモノに周囲を囲まれていることに気がつく。
「王子退いてください。クレアも」
特別、大きな殺気を放つのは……ロイドだ!
ロイドは王子を護衛しているのだから、斬るつもりなのか?
もうロードを使うしかないのか。
「すまん。ロイド卿」
突如、獣人の王子が慌てた声を出す。
「無礼を働いたのは俺なのだ。この者達にはなんの過失もない。ははははは」
王子はパレードで手を振っている時の威風に戻っていた。
周囲の氷のような殺気が徐々に溶けて行った。
「どうやら人違いだったようだ。申し訳ない」
獣人の王子は目にも止まらない跳躍で屋根も幌もオープンな馬車に戻っていた。
ロイド達も護衛の任務に戻っていたようだ。
パレードも通り過ぎて人も閑散としていく。
「ふ~。肝を冷やしたよ」
「ご、ごめん。私余計なことした」
クレアが謝る。
先ほど王子の前に割って入ったことだろう。
僕が気にするなよと言う前にケイがフルフルと首を振った。
「ううん。ありがとうクレアさん。ジンも」
クレアと顔を見合って笑う。
「ところであの王子様、オリヴィアとか言っていたけどケイさんはなにか心当たりが?」
僕が聞きたかったことをクレアが聞いた。
「ないよ」
「まったく?」
「全然」
ケイは平然と言った……ように少なくとも僕には見えた。
パレード前にロードするべきかと思いもしたが、結局なにも起こらなかったので、僕は二人とそのまま家に返った。
夜、三人でベッドで寝る。耳元でクレアにささやいた。
「クレア、ちょっと」
「ん? オッケー」
クレアはすっとベッドが降る。起きていたらしい。
どうやら話をしたいという僕の意思も察してくれているようだ。
寝室のドアをそっと閉めて隣の部屋の椅子に座る。
少し甘えた聞き方をした。
「どう思う?」
クレアにはなんの説明もなく聞いても、的確な答えが返ってくるのだ。
「ケイさんは嘘は言ってないと思う」
クレアが嘘を言ってないと言えば、それは真実なのだと僕は思っている。
「なら本人が言うように王子は誰かと間違えたのか。実はクレアには話してある能力あっただろう? あれで巻き戻ろうかとも思ったけど、やっぱり何の危険もないみたいなんだ」
「……」
意見を述べているとクレアは考え込んでいた。
「な、なにか危険を感じるのか?」
ギャンブルで一番重要なことは危険の察知能力といってもいい。
クレアが危険の感じるならそれはほとんど的中率100%だろう。
「ううん。危険は感じないよ。ケイさんのこと」
「ケイのこと?」
「ジンは本当に気がついてないの?」
「へ? なにがさ?」
「は~もういいよ」
「もういいってなんで」
「もういいから。ケイさんの問題でもあるから話すべきじゃないかもしれないし」
「気になるな」
「とにかく今日はねよねよ」
クレアは僕が気がついていないケイのなにかに気がついているようだったが、危険を感じないならいいかと思って寝ることにした。
◆◆◆
翌朝、三人で朝ごはんを食べていると玄関のドアをドンドンと叩かれた。
「ジンいるか? ジン!」
聞いたような声だか誰か思い出せない。
ただ気配から全くの素人に思えた。
念のため剣は持ってドアを開ける。
「あ、ディンさん」
ディンさんは軍学校の守衛をしている人だ。
軍学校にはここの住所も提出している。
「ジン! 団長が呼んでいる!」
「ダンチョー……誰ですか?」
僕はクレアが切ってくれたリンゴを食べながら聞き返した。
「騎士団長だよ! 王都防衛騎士団の!」
「王都防衛騎士団の騎士団長……ロイド!?」
団長と配属もされてない見習い兵士では天と地の身分差がある。
すぐにはそれとわからなかった。
「リンゴなんて食ってる場合か早く行くぞ!」
「ちょちょちょっと待って下さい」
ロイドが僕を呼び出す理由はある。昨日の事だろう。
しかし僕はケイの護衛もしなければならない。
クレアに任すのは危険すぎる。
「ケイも来い」
「えええ? ボクも?」
「そもそもお前が迷惑かけたんだろ?」
「うう。いくよ」
ディンさんが急かす。
「いいから早く来い!」
慌ただしく、家を出る。
ディンさんの案内で騎士団の宿営に着いた。
王宮かとも思ったが、ここならマチルダ先生のいる女性宿舎もある。
「ディンさん、ちょっとマチルダ先生に会ってから行きます」
「なんでそんなことするんだよ。俺が怒られちまうよ」
「ケイを途中でマチルダ先生に預けます」
ケイが驚いた顔をする。
「え? ボクも一緒に謝るよ」
「いいから! ケイはマチルダ先生のところに行くんだ」
怒鳴るとケイはしぶしぶ了解した。
「わ、わかったよ」
僕とケイは急いでマチルダ先生のところに行ってケイを預けた。
「そういうことなんでしばらく一緒にいてあげてください」
「わかったわ。兄さんによろしく」
「はい!」
ディンさんはしびれを切らしていた。
宿営の本営に案内される。
小さな宮殿と言ってもおかしくない。
「入って右を突き当たると団長の執務室になっている。俺はここで待ってるから」
どうやら一緒に着いてきたくないようだ。
これは雷も覚悟しなくてはならない。
衛兵に手短に挨拶しながら執務室もドアをあけた。
「来たか、遅いぞ。まだ配属はされてないらしいが軍籍であることを忘れるな」
「す、すいません」
執務室に入ると難しい顔をして立つロイド目に入った。
そして隣には驚くべきことに堂々とこちらを見る獣人の王子が座っていた。
「ジンとか言ったか?」
「は、はい」
「まったくお前というやつは赤風教のことといい、厄介事ばかり起こしおって」
やはりロイドはかなり不機嫌そうだった。
ところが獣人の王子は楽しそうに笑った。
「ロイド卿よ。厄介事を頼んだのは私だぞ。彼はご婦人を守ろうとしたのだ。フランシスに頼もしい戦士がいる敬意を表する」
「ケルビン王子……」
ロイドには煙たがられ獣人の王子には好かれたようだが、どうして呼ばれたかはわからなかった。
「僭越ですがどういったご用向きで」
「ケルビン王子の滞在中、お前に護衛任務を命じる!」
「なんですって? ボクが? 他に適任者はいないのですか?」
「王子のたっての希望なのだ」
苦虫を噛み潰したようなロイドの横でケルビン王子はニコニコと笑っていた。




