17 薄氷の問答
赤風教。奪い、犯し、殺せを教義に掲げ、竜族が支配する国境間際の雪山を本部としている教団だ。
教団というものの実態は各国で危険視されている犯罪集団である。
幹部は教祖である赤剣老主をはじめ軒並み高額の賞金首だ。
だが竜族を刺激するため、どの国も本部に軍を派遣することができない。
そのため多くの名だたる冒険者、騎士、魔法使いが少数で教団に戦いを挑んだが、赤風教は異常な強さでことごとくそれを跳ね除けている。
赤剣老主は楽しそうに笑っている。
「少年。我々がなぜ赤風教を名乗っているか知っているか?」
「い、いや……」
赤剣老主が血塗れの剣を掲げ、ゆっくりと下ろす。
すると赤い刀身が下りるごとに血塗れの赤剣が白銀の輝きを取り戻していく。
代わりに細かく赤い血の霧が宙に舞った。
「そんな馬鹿な……」
赤剣老主は剣の血糊を払ったのか?
僕もモンスターを倒した後に剣の切れ味を保つために宙で血糊を払うことはある。
スピードに任せて剣をふり、それを宙にビタリと止めることで血糊を払うのだ。血糊は固まって地に飛び落ちるだけだ。
赤剣老主のようにゆっくりと剣を下ろすだけで研ぎたてのように剣が輝きを取り戻すことなどない。
ましてや血が霧になって妖しく舞うなどということもない。
「ふはははは。美しいだろう。これが赤風じゃ」
赤剣老主が輝きを取りも出した剣を鞘に収める。
「ぐっ……! がはぁっ……はぁはぁはぁっ」
どうやら自分は赤剣老主の放つ剣気に当てられて呼吸もできなかったらしい。
「さきほどの少年の戦いは見事だったぞ。退屈な戦いが多いなかでワシでもすべては理解できなかった。一瞬にも関わらず、どこか長い年月を感じさせるような戦い」
やはり見られていたのか。しかも赤剣老主はこちらのスキルの本質を突いていた。
【ロード】して何もかも無視して逃げるか?
いや、赤剣老主は黒衣の男を最初から見ていたのだ。
僕は先輩達を追った時から二人の悪魔に魅入られていたのだ。
ただし、目の前の赤剣老主が魔王なら黒衣の男は小悪魔だ。
【ロード】がダメならここで【セーブ】か?
数千、いや数万、数十万とループすれば……。
いや、それもダメだ。僕の全霊で防御に徹してもヤツの一撃たりとも保てない。
それに数十万とループしても赤剣老主に食い下がれる強さになれる気がしなかった。
「驚いたぞ少年。増々気に入った。今、このワシを倒せるか胸算用したな?」
「うっ」
ゾッとした。
「ふははははは。このワシの前に立って心の中でもそれを考えたものは久しくおらんぞ。それでワシを倒せる算段はついたのかな?」
「いや……」
「良いだろう。良いだろう。勇気もあれば冷静な判断もできる。気狂いというわけでもないようだ」
赤剣老主は楽しそうに言った。
「安心するが良い。お前のことは気に入った。殺すつもりはない」
正直その言葉にほっとした。
「返答次第ではな。少し話がしたい」
「ぐっ」
返答を間違ったら殺すと言っているのだろう。
どうする? 【セーブ】するべきか? いや無意味だ。
赤剣老主が僕を殺すと思ったとき、ロードをする時間はない、正直その意志すら保てるか微妙だ。
「私が殺したこの男がなにをしようとしたか知っているか?」
「は、はぁ?」
あまりに意外な質問だったので拍子抜けする。
「なにを言いたい? こいつは死ぬ前にお前の名前を呟いた。お前の仲間じゃないのか?」
「いかにも。この男は我が教徒よ。だが何をしようとしていたのかは知らん。ワシを楽しませるから王都に来いとこの男から連絡があったからコウロウ山から降りてきたのじゃ」
「なら……何故殺した?」
「ワシを楽しませるなど大口を叩きおってからに格下のものに不覚をとったので、つい、な」
こいつ部下を殺したのを笑って誤魔化したぞ。
「元々奸計を働かす男でな。ワシらは正面から正々堂々と奪い、犯し、殺すことを教義としているというのに」
「……」
「で、何か知らんか?」
赤剣老主は笑いを消して聞いてきた。
「し、知らない。だがお前の部下は俺の友人を殺そうとしていた」
「友人?」
「ただの軍学校の見習い兵士だ」
「ははぁ……わかってきたぞ。そういえば部下は落胤がどうたらとか言っておったな。よく聞いておらなんだが」
「ら、落胤?」
「つまり、お前のそのほれ。見習い兵士の友人とやらが高貴な筋の生まれなんじゃろ」
ケイが高貴な筋の生まれ?
「回りくどい手段で殺されようとしなかったか? なにか思い当たる節はないか?」
回りくどい手段? 軍学校の卒業課題に見せかけて殺されそうになったことか? 思い当たる節もなくはない。
「高貴な筋ってどこの筋だ?」
「なぜワシの質問にお前が質問する?」
「うっ……」
赤剣老主にジロリと睨まれる。
「ふはははは。まあ良い。仮にも部下がワシを楽しませると言ったお家騒動などフランドルには一つしかあるまい」
「ま、まさか。ケイは?」
「フランドル王室の落胤じゃろ」
赤剣老主は事も無げに言った。
ケイが王室の落胤? しかも赤風教団に狙われている?
「くだらぬことを」
「え?」
「大方、王室のお家騒動で国の中枢に入り込もうとなどと画策していたんじゃろうが、国が欲しければはじめから殺して奪うわい」
人間最大の国を殺して奪うだと。
そ、それはこの際良い。問題は。
「お前は……いや老主は……僕の友人に手を出すつもりはないのですか?」
「少年の友人は見目麗しい姫だったりするのか?」
全力で首を振って否定する。
「い、いや。男だ」
「馬鹿馬鹿しい。美しい王女であれば犯し尽くして侍らすのも一興だが、ワシに男色の趣味はない」
ケイにはまだ危険はありそうだが、赤風教の教祖自体は彼を狙っていないらしい。
助かった。もしこの男に命を狙われたら終わりだ。
「ワシは常々、教徒に言っておるんじゃ。ワシはレイアだけを探していると」
「レ、レイア?」
なぜ赤剣老主が僕の義姉さんを?
「知っておるのか? 女神レイアをっ!」
「あ、あぁ……女神のほうのレイアですか。知りません」
「そうか」
女神のほうか。そりゃそうだ。
ちょっと変わっているとはいえ、赤剣老主がそこらの村娘を探しているわけがない。
しかし……この世界イヴァには……やはり女神はいるのか……?。
それよりも赤剣老主がなぜ人の神であるレイアを探すのかが気になった。
「老主は何故女神レイアを探すのですか?」
「ふはははは。美人を探す目的など一つしかあるまいて」
赤剣老主がニヤリと笑う。
「ま、まさか……」
「ワシの好みなら犯す。好みじゃなければ殺す」
「ほ、本気ですか?」
「ふはははは。もちろん冗談じゃ。ワシは使徒になろうとしておる。使徒は若返って不老になると聞くからの」
なっ!? イヴァの世界ではそれぞれの種族の神に特別愛されたものは使徒となって、他の種族の使徒と戦うと言われている。
「使徒は本当にいるのですか?」
「いる。魔貴族のベルダーがそうじゃ」
ロード・ベルダーが魔族の神の使徒だという噂は事実なのか? それとも赤剣老主の頭がおかしいのか?
「まあ使徒になるには神に愛されねばならんらしい。やはり女神を犯し尽くすことになるか。女に惚れられるのはそれが一番だからな。ふはははは。お前も覚えておくと良い」
「い、いや。それはどうですかねえ」
別人でも絶対レイアに会わせたくない。
「ワシには何人も嘘はつけぬ。残念なことに部下はくだらぬことを考えていたようだし、お前はワシに有益な情報を持っていないことがわかった」
どうやら返答は間違わなかったようだ。
「お前、名前は?」
ぐ。やはりタダでは帰れないか。
こんな悪魔とは縁をできるだけ薄くしておくに限るが……聞かれたからには答えねば命はないだろう。
「ジン……です」
「ジンか良き名だ。最近、歳のせいか記憶力が悪くなってのぅ。ワシに名を覚えられるなどそうそう無いぞ。ふははははは」
忘れてくれー!
「まあ名を覚える前に斬ることのほうが遥かに多いからな。覚えるのは犯して良かった女ぐらいじゃ」
……。
「ところでワシはジンがとても気に入った。我が赤風教に入らないか? 赤風教の剣の秘密も教えてやるぞ」
な、ななななな? 奪い、犯し、殺せを教義に掲げた教団に入れだと?
気づくと赤剣老主は肉食獣の笑いをして剣の柄に手をかけていた。
「ふはははは。ワシは気が長いから5秒も待てるのだ。5……4……」
く、くっそー! 赤風教などに入れるか!
だが断れば!
「3……」
勝ち目はあるか? 無い!
【セーブ&ロード】を使っても絶対に無い!
「2……」
ここは一時的に屈して赤風教に入ると言うか?
それしか本当にないのか。
「1……」
できるかあああああああ!
「悪党め! 覚悟!」
【フランシス王国王都、路地裏入り口。セーブしました】
念のためしたが、セーブに意味がないことはわかっている。レイアとクレアの顔が浮かんだ。学んだ技は全て捨てる。
後は剣を振り上げ、無心で赤剣老主に斬り下ろすだけだ。
「加減をしているとはいえ、ワシの剣気を受けて歯向かえる精神力とはな。見事じゃっ!」
振り下ろす僕の剣を赤剣老主は川を流れる水のように躱す。
その瞬間、僕の左胸の服がはじけ飛び、血の華が咲いた。
僕を通り抜けるように駆け抜けた赤剣老主は抜いた剣すら見せなかった。
心臓部だ。ロードも間に合わない。
「ふはははは。もしお前がワシにただ尻尾を振っていたら殺していたぞ」
「え?」
仰向けに地面に倒れていた僕は自分の胸を見る。
「なんだこれ?」
「それぞ我が赤風教幹部の証。赤華紋」
左胸は貫かれてはいなかった。代わりに赤剣老主の剣によって赤い花が斬り刻まれていたのだ。
「我が教団の教義は欲しいものは奪うじゃ。貰えるものに興味なぞない」
「くそっ! ふざけやがって!」
「ふはははは。ジンよ。案外とその紋がお前を救うやもしれぬぞ」
「どういうことだ?」
――ふははははは。
赤剣老主は、やはり僕の血で赤くした剣先の剣をゆっくりと下ろし、赤い血の霧を作り、そこに溶け込むように消え去った。




