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過去との対峙

 親に捨てられた? アルベリヒさんが? どういうこと?

 唐突な告白に、わたしも戸惑ってしまう。しかもそれが衝撃的な内容なら尚更。


「俺には子供の頃の記憶がない。気づいたらこの王都で泣いているところを保護されたらしい。迷い子かと思われていたが、俺の情報があちこちに公開されても迎えにくる者もなく、近隣に行方不明として届けられている子供もいなかったとか。きっと遠くからわざわざこの王都に捨てていったんだ」

「……そんな、まさか」

「その後義父に引き取られ、この屋敷で暮らす事になった。幸いにも俺には魔法使いとしての素質があったらしいから。義父は俺に良くしてくれた。けれど、俺は心から養父を慕う事ができなかった。本当の家族じゃないという事が、俺と彼との間に壁を作っていたのかもしれない。義父だけじゃない。フユトに対しても……思えば俺は、過去のことが原因で、どこかで心から人を信じることができていなかったんだろう」


 アルベリヒさんにそんな過去があったなんて。その過去が今でも彼に陰を落としているんだろうか。女性を遠ざけるのもそのせい?


「でも、初めてお前をあの街で見た時、お前は泣いていた。その姿を見て何故か放っておけなくなった。今まで他人の事情に深く立ち入ったことも無いのに。思わず近づこうとしたら、黒い子猫に先を越されて……」


 ロロのことだ。確かにあの時アルベリヒさんはわたしを見ていたと言っていた。


「その後もお前の事が何故か気になって……俺にできる事ならどうにかしてやりたい。笑顔にしてやりたいって思った。それでお前の事を調べて強引にこの家に連れてきて……お前は、ここでの生活が幸せだって言って笑ってくれたよな。正直、嬉しかった。あの日泣いていたお前をやっと笑顔にできたんだって」


 そこでアルベリヒさんは顔を背ける。


「だが、お前に思いを打ち明けられた時、どうしていいかわからなかった。俺はどうしても怖いんだ。実の親から愛されなかった俺が、他の誰かを愛する事ができるのかって。誰かを本当に愛するという気持ちも、愛されるという事も理解できないんじゃないかって。だから、お前にもあんな態度を取ってしまって……それでまたお前を泣かせてしまった。お前を笑顔にしたいって思っていたはずなのに。俺は馬鹿だ。本当にすまない」


 アルベリヒさんが女性を遠ざけていたのはそういう事情があったからなんだろうか。自分には誰かを愛する事ができないかもしれない。その意識が現れていたのだ。

 これからも、この人は誰かを心から愛するという事を信じられずに苦しむ事になるんだろうか?

 そんなの悲しすぎる。

 わたしはしばらく逡巡した後、思い切って口を開く。


「アルベリヒさん。それなら、わたしの魔法で試してみませんか? 記憶には残っていないけれど、何があったのかは魔法を使えばわかるかも。アルベリヒさんは親に捨てられたって思っているだけで、本当は違うかもしれない。その当時に何が起こったのか、明らかにしてみませんか?」


 問うと、アルベリヒさんは目を伏せる。


「実は、俺もそれは何度か考えた事がある。俺がどうして王都に取り残されたのか、あの当時の真実を明らかにしたいって。だが、いざとなると怖くてできなかった。実の親に捨てられた事が真実だったらと思うと、どうしても躊躇ってしまって……」


 この人は今までずっと葛藤していたのかもしれない。

 真実を知りたいけれど、それが自分にとって残酷なものだったら……そう考えれば躊躇う気持ちも理解できる。


「アルベリヒさん。本当のことを知るのは怖いかもしれない。でも、それでも、過去に何があったのか知りたいと思っているから、そんなに悩んでいるんでしょう? だったら、もう答えは決まっているようなものじゃないですか?」


 わたしは立ち上がるとアルベリヒさんの正面に立ち、手を差し出す。彼がその手を取ってくれるように願いながら。

 わたしの魔法で真実が明らかになれば、彼は救われるかもしれない。けれどその逆だってあり得る。これは一種の賭けだ。わたしは、彼が救われるほうに賭けるのだ。


 アルベリヒさんはしばらく逡巡するようにわたしの手を見つめていた。わたしが言った言葉の意味について考えていたのかもしれない。

 やがて決心がついたのか、おずおずとわたしの手を取った。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 気が付けば賑やかな通りを歩いていた。周囲には石壁の建物が建ち並び、行き交う人々はみんなわたしが見たことの無い服を着ている。白っぽい布でできた上着は太ももくらいまでの長さ。腰の辺りを布で縛っていて、その下に同色のズボンをはいている。袖や裾には不思議な模様が描かれていた。

 

 これがアルベリヒさんの記憶……? 右手に何か持っている。赤い林檎だ。子どもの頃から林檎が好きだったんだろうか。

 左手は誰かの手を握っている。見上げると、長い黒髪を持つ黒い瞳の綺麗な女性。

 この人がアルベリヒさんの母親なのかもしれない。どことなく面影がある。

 これから何が起こるのだろう。何かの事情があって王都に取り残されるのか。それともアルベリヒさんの予想通りに……?


 その時、わたしの手を握っていたアルベリヒさんが腕を引っ込めようとした。もしかするとアルベリヒさんも同じ事を思ったのか。これから起こる出来事を見るのが怖くなったのかもしれない。

 わたしは咄嗟にアルベリヒさんの手を強く引っ張って、自分の方に引き寄せる。そしてそのまま逃げられないよう背中に腕を回して抱きしめた。


 お願い。怖がらないで。もしもどんなに辛い真実が待っていたとしても、わたしがそばにいます。わたしが誰よりもアルベリヒさんを愛します。だから真実を知ることを恐れないで。


 強く願いながらわたしは呪歌を歌い続ける。

 その間にもアルベリヒさんの記憶は頭の中に流れ込んでくる


 黒髪の女性はこちらに優しく微笑みかける。どこにでもある親子の様子を表す一幕だ。

 と、その時、突然地響きのような音と共に地面が揺れた。

 あちらこちらで人々の戸惑いの声や悲鳴が上がる。皆足を止め何事かと様子を窺っているようだ。

 その中の一人が上方を指差した。皆もそれに習うように顔を向ける。

 その先にはもうもうと灰色の煙を上げる大きな山。それが突然噴火したのだ。不気味な地響きもそれが原因なんだろう。


 次の瞬間、何かが上空から降り注いできた。硬いものがぶつかるように地面にあたり跳ね返る。それは、いびつな形の石。大きさは大人の頭くらいのものや、拳ほどのものだったりと様々だ。

 周囲は一転して混乱したような怒号や悲鳴が飛び交う。逃げ惑う者、その場にうずくまる者、降り注いだ石が直撃したのか倒れこむ者、それを助けようとする者。

 噴煙で太陽が遮られ、空が一瞬で暗くなる。人々の恐怖が膨れ上がる様が目の前で繰り広げられる。

 同時に灰黒色の塊のようなものが山の斜面を勢い良くなだれ落ちてこちらに迫ってくるのが見えた。今にも町を飲み込むように。


 アルベリヒさんは助けを求めるように隣の女性を見上げる。それとほぼ同時に、彼女が抱きしめるようにこちらに覆いかぶさってきた。

 直後に彼女は悲鳴をあげ、アルベリヒさんを庇ったまま地面に倒れこんだ。

 何が起こったのかと周囲を見回すと、すぐ隣に大きな石が転がっていた。おそらくそれが女性に直撃したのだ。


「おかあ……さん……?」


 顔を上げると、女性は手を地面について上半身を起こす。頭から流れ出た赤いものが頬へと伝い、顎から流れ落ちる。


「アルベリヒ。大丈夫だった?」


 頷くと、女性は安心したように微かに頬を緩めた。


「よく聞いてアルベリヒ。ここはもう駄目かもしれない。あの黒っぽい煙のようなものが見えるでしょう?」


 女性は迫り来る火砕流をちらりと見やる。


「あれがもうすぐこの街を飲み込んでしまう。そうしたらみんな無事じゃすまない」

「それってぼくも? おかあさんも? おとうさんも?」


 女性は一瞬言葉に詰まるが、すぐに真剣な目をこちらに向ける。


「いいえ、あなたは死なせないわ。あなただけは。ああ、もう時間が無い。早くしなければ」


 そう言うと、女性が自らの流れる血を指先につけ、それをインク代わりに地面に何か書きつける。同時に呪文のようなものを口にすると、次の瞬間、アルベリヒさんの足元の地面に文様が現れ、光を発する。魔法だ。


「アルベリヒ。おかあさんね、あなたとはもう一緒にいられないみたい。ここでさよならよ」


 母親は苦しそうに肩で息をする。頭部から流れ出した血は首筋を伝い、もはや胸のあたりまでを真っ赤に染めている。


「どうして? そんなのやだよ」

「そこを動いちゃだめ。お願い。おかあさんの言うことを聞いて」


 足元の文様は輝きを増し、アルベリヒさんの身体が光で包まれる。


「あなたはこれから遠くに旅に出るの。ごめんね、一緒に行けなくて。本当は、あなたが成長する姿をこれからも見ていたかったけれど、それももう無理みたい。でも忘れないで。私はあなたの幸せを願ってる。愛しているわ。アルベリヒ」


 ぼんやりと薄れてゆく景色の中、彼女の身体がゆっくりと崩れ落ちるように倒れていくのが見えた。


 次の瞬間、周りの光景は消え失せ、真っ白な空間にいた。上も下もわからない、ただ白い空間。

 だが、それも一瞬のこと。目の前に再び景色が現れた。見覚えのある街並み。王都だ。

 けれど、アルベリヒさんにとっては初めて見る光景。不安と恐怖からか頼りになる大人を探して周りを見回す。けれども彼の求める母親の姿はどこにもない。


「おかあさん?」


 母親を呼んでみる。いつもならばすぐに駆け寄ってくれて手を繋いでくれるはずの存在はそこにはいない。

 手の中には母に買ってもらった赤い林檎があるだけ。

 自分とは全く違う衣服を纏った大勢の人々が、こちらを気にする事もなく、目の前を通り過ぎてゆく。


「おかあさん」


 もう一度呼ぶ。けれどやはり応えはない。

 先ほどの彼女の「さよなら」と言う言葉が思い出された。自分はもう二度と母親には逢えないのだろうとどこかで理解し始める。最後に見た悲しそうな、それでいて優しい笑顔が思い出された。


「おかあさん……!」


 頬を涙が伝う。悲しみと絶望の入り混じった感情。それが溢れて、堪えきれずに大声を上げて泣き出してしまう。


「まあ、ぼうや、どうしたの?」


 顔を上げると、泣き声を聞きつけたのか、人の良さそうな中年の女性が屈みこんでこちらを覗き込んでいた。

 けれど、幼い子供には冷静に説明できるわけもなく。


「お、おかあさんが……」


 しゃくりあげながらそう言うのが精一杯だった。

 そのころには、幾人かの大人が周りに集まっていた。


「こりゃ迷子かねえ?」

「憲兵の詰所に連れて行ったら? この子の特徴を書いた紙をそこら中にばら撒けば、親だってすぐに迎えに来るさ」

「そうだな、それがいい」


 大人たちは口々に意見を交わす。

 けれど、母親はここにはいないのだ。もう二度と逢えないのだ。

 それを思うと涙が止まらなかった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 呪歌を歌い終えたわたしは少しの間ぼんやりとしてしまった。

 目の前で起こった恐ろしい光景。母親が魔法を使う瞬間。その理由。


 長い沈黙の後、アルベリヒさんが口を開く。


「……俺は、捨てられたんじゃなかったんだな。おそらく母親は、俺を守ろうと転移魔法を使ったんだ。どうりで親の情報が全く出てこなかったわけだ。俺はここから離れた異国の地、いや、もしかすると別の世界、別の時代からこの国に転送されたのかもしれない」

「お母さんもきっと辛かったでしょうね。アルベリヒさんを守るためとはいえ、そんな魔法を使って離ればなれに……」

「それなのに俺誰にも愛されていないと思い込んで、勝手にいじけて、心を閉ざして……まったく、救いようのない馬鹿だ。もう遅いけれど、できる事なら謝りたい。本当の母親にも、俺を引き取って育ててくれた義父にも」


 自嘲気味なその口調には多分な後悔も含まれているようだ。

 なんとか慰められないかと考えたその時、アルベリヒさんに抱きついたままだった事を思い出した。咄嗟の事とはいえ、わたしはなんて事を……。

 慌てて離れようとしたが、それより早くアルベリヒさんがわたしの身体を抱き寄せ、力強く抱きしめた。


 え、な、なに? わたし今、どうなってるの?

 混乱するわたしの耳元でアルベリヒさんは囁く。


「お前のおかげだ。さっき、お前の声が聞こえた。誰よりも愛してくれるって。それを聞いて何故だか安心した。過去を見る覚悟が持てた。真実を知る事ができた」


 アルベリヒさんは素直に自分の思いを口にする。この抱擁は感謝の気持ちなんだろうか。そう考えていると、アルベリヒさんはそのまま静かな口調で続ける。


「コーデリア。俺もお前の事が好きだ」

「え……?」


 わたしは思わず顔を上げる。


「ほ、本当に?」

「ああ。今までの俺は、お前の好意に対してどうして良いのかわからなくて……でも、今ならはっきりとわかる。自分の気持ちが。誰かを愛するという事も、愛されるという事も。お前が思い出させてくれたんだ。思っていたよりずっと良いものなんだな」


 言いながら、アルベリヒさんは片方の手でわたしの髪を撫でる。

 その手がとても優しくて、彼の言葉が真実なのだと伝わってきた。


「わたし、これからもこのお屋敷にいていいんですか? アルベリヒさんのそばにいていいんですか?」

「当たり前だ。コーデリア、ずっと俺のそばを離れないでくれ。いつか庭で一緒に紅茶を飲んで、それで、冬になったら公園でスケートをしよう。約束だ」

「……はい。楽しみにしてます」


 わたしは溢れそうになる涙を隠すように、大好きな人の胸に顔を埋めた。

 それに応えるように、彼も再びわたしを強く抱きしめた。

 ああ、幸せだ。一度は諦めかけた恋がこうして叶って、好きな人のそばにずっといられるんだ。

 しばらくそうしていると、アルベリヒさんが静かに口を開いた。


「できればもう少しこうしていたいが、もうひとつやらなければならい事がある。お前のおかげでそれを思い出した」


 アルベリヒさんは名残惜しそうにわたしの頬の涙を拭うと、そっと身体を離した。


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