醜男と雪女
こんにちはこんばんは。
桜雫あもる です。
今作は夏のホラー企画の頃から構想を練っていたものの、ずるずると先延ばしになってしまっていた童話(?)です。
モチーフは雪国の怪奇雪女。
筆者は「雪女」と聞くと『地獄先生ぬ〜べ〜』を思い出しますが、一般的に有名なのは、小泉八雲さんの雪女でしょうか。
以前『名探偵コナン』で「物語を語る母親が、同性の雪女に感情移入して結末を変える」という描写があったのですが、それを踏まえると今作は「男性に感情移入したパターン」です。
それも、とびきり醜くて優しい男に。
自分の黒い部分が出てるなぁ、と読み返して感じました。
万人受けするとは思いませんが、今作は冬の童話祭とネット小説大賞に参加、応募をしております。
よろしければ、ポイントや感想お願いいたします。
それでは、目眩く図書の世界をご堪能あれ。
鄙吉という若者が、雪路をうちへと帰る道中でした。
山は冬も盛りにしんしんと雪がうち降り、木々は白い毛布を浴びて眠っています。
鄙吉の頭の上高くを、白い鷺が南へと飛んでゆきましたが、鄙吉はそれに気づくことはなく、静かな獣道を歩いてゆきました。
一面白に染まる山の中ほどで、蓑と笠を身につけた鄙吉は道なき道をかき分けます。
しばらくしますと、真冬の山奥だというのに、箕も笠もつけない白い女が鄙吉のまえに現れました。
凍えるように青白く染まった肌は、真っ白な薄い装束一枚に包まれているだけです。
あなふしぎと思いながら、見過ごせず鄙吉はうかがうように、女に声をかけました。
「もし、そこの方。こんな雪降りの山ん中で、いったいなにをなすってるんです」
女は、その長い黒髪を振りながらゆっくりと、顔を鄙吉へと向けました。
そして忽ち、鄙吉は跳ね上がろうかというくらいに目を見張りました。
雪風に吹かれても色の褪せない濡れ羽色の髪、その隙にのぞく愛らしい面が、瞳が、鄙吉の目に映ったのです。
白粉を塗ったような女の真白い肌に、艶のある朱が滲んでいます。珠のような潤んだ明眸は、雪のなかで一際輝いておりました。
それはそれは、この世のものとは思えぬ美しさでした。
女は申しました。
「実は雪道で迷ってしまい、心身ともに疲れ果ててしまいました。もしよろしければ、一晩だけ泊めてはくださいませんか」
鄙吉は快く答えました。
「俺なんかの家でよろしければ、いくらでもどうぞ」
「ほんに、かたじけのうございます」
女はうやうやしく頭を垂れました。
照れ笑いを浮かべる鄙吉は、その頭にかぶった笠を女の頭にかぶせ、蓑を女の肩にかけました。
怪しげな女を後ろに伴って、鄙吉は雪の山道をまた歩き始めました。
女──霰姫はそこで、改めて前を行く男の容貌を、ちらと見ました。
なんというか、霰姫にはにわかに形容し難かったのですが、概してその男は不細工でした。
顔立ちは扁平で鼻だけずんぐりと大きく、眼窩に落ち窪んだような金壺眼は薄気味悪くぎょろりと蠢いておりました。尖った顎には不釣り合いの鰐口に、かさかさに荒れてぼろぼろの肌。
肩幅だけ広いのに身体はひょろりと痩せていて、土で汚れた小袖からのぞく両の腕は、膝小僧に届こうかというくらい長く伸びていました。その裾から生える足の、大きく不揃いなこと。
醜さという醜さを綯い交ぜにしたような醜怪が、その男でありました。
霰姫は、ここで脈絡というものを無視して明かしてしまうのなら、その正体はおそろしい雪女でした。
姫はこれまでにも、雪路で手近な男に声をかけては、その端麗な身でもって艶やかに奉仕をして、惑わした男の魂を啜ってきました。
それこそ、幾人の魂を啜ってきたか覚えていないほどです。
そんな姫にも、今しがた声をかけた男の醜さは、目に余るものがありました。
もっとも霰姫はすでに現世の身ではありませんから、世の女子のように外見で男の貴賎を判別することは致しません。
けれど、そんな霰姫でも躊躇おうかと迷われるほどには、男の姿かたちは醜悪であったのです。
鄙吉と霰姫は、雪の強くなるまえに、家路を急ぎます。
* * * * *
ぱちぱちと、囲炉裏の火のはじける音が土間と床敷きだけの家の中に重なりました。
あたりはすっかり暗くなり、遠くからは微かに獣の遠吠えが響きます。外の様子は家の中からはわかりませんが、きっと雪はしんしんと降りつづけていることでしょう。
茅で葺かれた屋根の上には、いまも雪が積もっているはずです。
鄙吉は茣蓙に尻を乗せて、囲炉裏の火を浴びていました。火が絶えないよう、ときどき掻き棒で様子を見ます。
その向かいに、霰姫は火からわずかに隔てを置くように端座しています。
冬の作り出した寂しい静寂が鄙吉の家を渦巻いていました。
「すまねえな、なんにもねえところで」
「どうぞお構いなく。やにわに押しかけましたのは、妾にございますゆえ」
霰姫は差し出された粥の椀も断って、足を崩しました。
突き出した手を引っこめて、鄙吉は代わりにその粥を口の中へ掻きこみました。
ざらつくような舌ざわりを、鄙吉の喉がうなって呑み込んで、やがて椀が空になります。
沈黙をやぶるように、霰姫が口を開きました。
「優なる此方さま。お寒くはございませんか」
「うん? いや、おれは大丈夫だ。火を、強くしようか」
「ええ……。そうしていただけると、嬉しゅうございます」
鄙吉はうなずいて、炉縁に置いた火掻き棒を手に取りました。
天井から吊るされた鉤を動かして薪を焼べると、みるみるうちに火が移ります。
そこで目を向けてみると、なんと囲炉裏の向こうでは、霰姫が薄い着物をはだけさせているではありませんか。
「ど……、どうしたってんだ。熱くしすぎたか。それとも、具合でも悪いか」
「はい。……身体が火照って、動悸も」
「ちょっと、待ってな。横になって。よく効く薬を……」
「此方さま」
薬箱を取ろうとした鄙吉を、息づかいも荒くなった霰姫が呼びとめました。
「こちらへ、来てくださいませんか」
「丸薬を取ってやるから、待ってろ。そこに臥せて……」
「お早く、お願いいたします。お早く、妾の近くへ」
「………」
つらそうな霰姫の声に、鄙吉は仕方なくそばに行ってやることにしました。
茣蓙に座った霰姫をその場に寝かせます。
と、霰姫の線の細い指が、鄙吉のごつごつした腕を弱々しく掴みました。
「此方さま」
「ん」
「どうか、妾の肌に触れてくださいませ」
鄙吉はたじろぎました。
「は、え?」
「優なる此方さま、妾の肌に触れてくださいませ。妾の肩を抱いてくださいませ。身体を、重ねてくださいませ」
「……………」
霰姫の手が胸元をさらにはだけさせると、中腰になっていた鄙吉の目が、現れた白い肌に釘づけになりました。
* * * * *
霰姫には、そこから鄙吉がなにを考え、どのようにするのかが、鮮明にわかっていました。
いままでの男と、なんら変わることはありません。
うろたえ、驚きながらも、やがては内から湧きあがる情欲に抗えず、その白い柔肌を掻き抱こうと霰姫に手を伸ばすのです。
それは、いくら醜い容貌であろうと、貴なる身分であろうと同じこと。
そして霰姫は、そうして昂った醜い男の精魂を吸って啜って吸い尽くして、冷たくしてやるためにこんなことをしているのでした。
どうして、と問われても、霰姫には万人が納得するような答えを返すことができません。
何度も冬を迎え、何度も夜を迎えるうちに、そんなことは忘れてしまっていました。
おそらくは鄙吉が生まれるよりもずっと昔から、こんなことを続けていたような気がします。
それでも、霰姫の胸の内に渦巻く殿御への恨みつらみは晴れることはありません。
その痛みは、しっかりと霰姫の心の臓に刺さっています。
そんな日は、これからもずっと来ないのでしょう。
霰姫がぼんやりそんなことを思いながら、うろたえる鄙吉の顔を潤んだ瞳で見つめたときのことでした。
* * * * *
鄙吉は、堅い声で告げました。
「いいや、すまねえが、そいつはできねえ」
霰姫はしばしの間、鄙吉の言った言葉を呑みこむことができませんでした。
目の前の醜い男は、顔を赤くしてたじろぎながらも、きっぱりと麗しい霰姫を拒絶しました。
それが、霰姫には信じられませんでした。
「………なにを仰います此方さま。さ、こちらへおわしくださいまし。身体が火照って、今にも溶けだしてしまいそうにございます」
しかし、いくら霰姫がたおやかに誘っても、
「すまねえが、横になっててくれ。悪い風病に、よく効く薬を持ってきてやるから」
鄙吉は雁として首を縦に振りませんでした。
霰姫は、すこし考えました。
「……此方さまには、すでに契られた女がおいでで?」
「いいや、そんな好き者の女子には出会ったことがねえ」
「……では、お身体が不自由ですの?」
「それもねえな。こんな見て呉れをしちゃいるが、身体は十分に元気だ」
「…………」
ますます、霰姫には目の前の男の言うことがよくわからなくなりました。
あきらかに、鄙吉はいままで霰姫が惑わしてきた有象無象の輩とはその性情を異にしています。
頭を悩ませた霰姫は、素直に問いました。
「では、なにゆえに妾の熱を拒まれるのでしょう」
対して、鄙吉の返した言葉はとても簡潔なものでした。
「だってよ。あんたみてえな清らな女子と契るには、俺はちっとばかし醜すぎる」
なんでもないようなその口振りに、霰姫は今度こそ耳を疑いました。
「俺なんかと契ったら、あんたがあまりに可哀想だ」
* * * * *
「……ありゃあ、いつの頃の話しだったかね」
囲炉裏の火がぱちぱちと、二人の美醜分かれた顔を照らしています。
鄙吉と霰姫はふたたび向かいに座って、霰姫は着物の襟を直して鄙吉の話を聞いておりました。
土間と床敷きだけの家の外では、雪がだんだん強くなっているようでした。
「そう、俺がまだふもとの集落に住んでいて、親父もお袋も元気で。……十になるかならねえかのことだったかな」
鄙吉は火掻き棒でいたずらに焼べられた薪をいじりながら、訥々と語り始めました。
* * * * *
幼かった俺は、いたって平凡な二親に、同じ年ごろの子どもたちと同じように育てられた。
親父もお袋も百姓で、村のほとんどがそうだった。大してでかくもねえ田圃や畑を毎日必死こいて面倒見て、贅沢なんてできなかったが楽しい暮らしをしてたように覚えてる。
俺はよく近所の子どもたちと野山を走りまわって遊んでいた。
泥だらけんなって、叱られたこともあったな。
猪に突きとばされて動けなくなったこともあった。
まあ、そんなこんなで大きくなって、ちょうど俺が十くらいの頃だ。
俺は、色を知った。
相手は昔からよく遊んでた、村娘だった。
あんたみたいに見て呉れがよかったわけじゃあねえが、気立てがよくて働きもんで、なにより笑顔がよかった。
俺はいつの間にやらそいつのことが気になって、暇があるとつい目で追っかけるようになってた。
目が合うとそいつはいつも、にっこり笑ってくれたもんだ。
その年も、秋口に村の祭りがあった。
俺はその年はじめて、大人たちに交じって御輿をかついだ。
俺の歳で御輿をかついでいた男は、ほかにいなかった。たくさんの人が、まだちびの俺が御輿の列に加わってるのを見て、すごいとか力持ちだとか褒めてくれていた。
その中には、その娘もいたんだ。
祭りが終わってから、俺は娘を村の古松の下に呼び出した。
想いを伝えるつもりだった。
ちょうどその日はもうすぐ満ちるくらいの丸い月がのぼっていて、風もすこし吹いて、雅な夜だった。
逸る思いをこらえて古松に着いてみると、先に来て待っていたその娘はいつもの笑顔で俺を出迎えた。
俺がなんと声をかけようか迷っていると、娘から俺のほうに寄ってきて、開口一番に、祭りでの俺の姿が格好よかったなんて言いやがったんだ。
娘は楽しそうに、俺が力強かったとか、男らしかったみたいなことを早口に伝えて、俺を褒めちぎった。
俺はすっかり得意になって、やれ御輿が思いのほか軽かっただの、横のおやじがぶつかってきて困っただの、べらべらとくだらない自慢話をした。
俺は、好機だと思ったんだ。
俺は娘に、思いの丈を伝えた。
おまえを好いていると。
俺と、懇意の仲になってくれと。
娘は、それを聞くとたいそう驚いた顔を作った。
それから顔を伏せて、苦そうに笑って、当たり前みたいに俺の申し出を断った。
俺は俺で驚いて、なぜか、と尋ねた。
しばし娘は言いよどんだが、やがて古松の近くに流れる小川を指さした。
川面を覗きこむと、月が明るいせいで俺の顔がよく映っていた。
俺がどういうことなのかと訝しんでいると、娘は俺の背から、冷えた声でこう言った。
「あんたの顔の醜いのが、よく見えるでしょう」って。
その晩、俺ははじめて、自分の顔が、自分の身体が、醜いことを知ったんだ。
気がつくと、俺は家に帰って寝床についていた。
娘となんて言って別れたのか、覚えていなかった。
寝床ん中で、俺はぽっかりと穴の空いた心で考えていた。
はじめは、娘への怒りが湧いて出た。
あんなに俺を褒めて、俺に笑顔を振りまいたくせして、どうしてあんな酷なことが言えるのか。
昔からの付き合いだというのに、どうしてあんなことを言われなきゃならねえのか。
けれど、ふつふつと湧く恨みつらみは、頭のなかでふっとかき消された。
俺が醜かったから、あいつはあんなことを言ったんじゃなかろうか。
俺が醜くなければ、あいつはなにも言いやしなかったろう。
そんなふうに思った。
考えてみれば、迷惑な話じゃねえか。
こんな醜男と昔なじみで、こんな醜男と近所付き合いで仲よくしなきゃならなくて、こんな醜男に言い寄られて。
俺だって、顔だけで女子の貴賎の区別をつけたりはしねえ。
が、それでも俺があいつを好いたのは、あいつが醜女じゃあなかったからだ。
あいつの顔が俺みてえにうす汚れてたなら、たぶん俺は見向きもしなかったろう。
そう考えると、頭の奥がずぶずぶ深みにはまっていくような気がした。
そうすると、今までの俺の行動や言葉はぜんぶ、あいつにとって忌むべきものだったに違いない。
醜い俺が好いた女子に言い寄ることは、俺が女子を好いて目で追っかけることは、そいつにとっては嫌悪のほかないのだろうな。
あの気立てのいい百姓の娘に、あんな酷い嫌みを言わせたのは俺だったのだ。
俺は好いた女子に酷い言葉を浴びせられた悲しみよりも、好いた女子に知らず知らず嫌がらせをしていたような、暗く厭な気持ちのほうを深く味わった。
その晩、俺はいつの間にか眠りについていた。
端のやや欠けた望月は、俺が考えに耽ているうちに雲に隠れちまったらしかった。
俺は涙を流すのも、次の日にはまた娘と顔を合わせなきゃならねえのも忘れて、重い眠りに落ちていった。
* * * * *
囲炉裏の火が弱くなりました。
鄙吉はそれに気づいて、炉縁の薪を一片火の内へと放ります。
「……むかし話にもならねえ、くだらねえ思い出だ」
そう、鄙吉は吐き捨てるようにつぶやきました。
「そんなことが、それからも幾度かあってな。だから俺は、女子を思えばこそ、この醜い身体をそいつと重ねたりなんて毫厘もしねえんだよ」
堅い語気で、鄙吉は言いました。
なにも言わない霰姫を鄙吉は不思議に思いましたが、ふと思い出したように、
「……ああ、いけねえ。外に置いといた薪が、雪で濡れちまう。朝までやみそうにねえし、ちょっと、軒下まで運んでくらぁ」
床の上で火にさらして乾かしていた蓑を肩からかけて、
「具合がよくならねえなら、囲炉裏のそばで横になってな」
そう言って、草履を履いて土間を出て行きました。
* * * * *
言われたとおり横になった霰姫は、囲炉裏の火の音に揺られながら、驚いていました。
鄙吉の打ち出した理屈に驚き、そしてあきれていました。
しかし霰姫は胸に湧いた気持ちの形を、うまく推しはかることができませんでした。
霰姫は、静かに考えていました。
もし、霰姫がこんなことを始めるずっと前に。
鄙吉と出会っていたら、姫はどうなっていたでしょう。
そんなことを算用するのに意味はないと、霰姫はわかっています。
だってもう終わってしまったことですから。
けれど、霰姫は考えずにはいられませんでした。
彼のような男の子が昔の姫のそばに居てくれていたなら、今ごろ姫は霰の名を冠したりはしていなかったことでしょう。
霰姫を巣食う恨みつらみは、わずかながら軽くなっていたのではないでしょうか。
それも柵に囚われた今となっては、もうどうすることもできません。
霰姫はそっと、まぶたを閉じました。
* * * * *
霰姫は、自分の身体が内からやさしい熱にさらされて、溶けだしていくのをなんとなく感じました。
じわりじわりと姫の白い肌は、つやのある黒い髪は雪の粒となって、囲炉裏の火にゆっくり溶かされます。
鄙吉が、寒そうに手をすり合わせながら戻ってきました。
自分も火に当たろうとして、霰姫に声をかけようとして、その顔があ然となります。
白い衣に包まれていたのは、もう半分は溶けかかったきめ細かな雪のかたまりでした。
吹雪くかと思われた今夜、外ではいつの間にか水っぽい霙が舞っています。
雪山の腹に遁世する醜男の家では、静かなすすり泣く声が、霙に埋れていましたとさ。
めでたかりし、めでたかりし。