第9話 たぬきの月見酒
「のう、縁子よ。俊平はどこへ行ったのじゃ?」
「え? 俊平君!? 本当だ、どこにもいない!」
王様から翻訳の指輪を渡してもらうことを確約してもらい、とりあえず王宮内で各々の部屋を割り当てられた生徒たち。
クラスメイト達の様子まで注意深く観察していた妙子が、違和感に気付く。最近は俊平と仲のいい縁子に俊平がどこに行ったのかを聞いてみたが、縁子もしらないらしい。
「………まさかまたチンピラ信号機かのう」
しかし、チンピラ信号機も俊平のことは頭の中からすっかり忘れているようだ。
妙子が、俊平の姿が見当たらないことに気付いたのは、俊平がイルシオと部屋を出て10分後のことだ。
妙子と縁子が騒いでいるのを聞きつけて、クラスメイトたちも俊平の姿を探し始める
「王よ、このくらいの小さな男の子を見なかったかのう」
手を自分の胸あたりまで上げて身長を示す妙子。
「イルシオと同じくらいの子かのう。済まぬが見ておらぬ。そなたらの仲間か?」
「うむ、一緒にこの世界に来たはずなのじゃが………むう、そうか………まあ、生きては居るじゃろ」
ションボリと肩を落とす縁子を励ましながら、妙子は一旦俊平の事は頭から外した。
「イルシオとネマの姿も見えぬ………おい、誰かイルシオとネマの姿を見た者は?」
王の言葉に、一人のメイドがおずおずと声をあげる
よもや何も知らぬ勇者たちが誘拐などということはしないだろうし、イルシオと同じ年の男の子も居ないとなると、それは一緒に行動していると考えてもよさそうだ。
「イルシオ様は、ネマ様と小さな男の子を連れて、お手洗いの方へと向かっていました」
妙子も、メイドのセリフから俊平の関連性を導き出す。
俊平は見た目が子供で人懐っこく人望もあるが、気が弱い。
幼き王子らしき人物は、寡黙だが観察眼と行動力がありカリスマがあると妙子は一目で判断していた。
おそらく、メイドが言っていることは正しいだろう。
同じくらいの年に見える俊平がトイレを我慢しているのに気付いたから、連れて行ってあげた、といったところだろうか。
妙子はそう結論付けた。満点である。
噂をしたところで――ガチャ、玉座の間の扉が開いた
「………やっとついた。お城って無駄に広いから嫌だな」
「僕からしたらうらやましい悩みだね。僕んちは貧乏だもん」
「すぅ………すぅ………」
イルシオが王座の間の扉を開け、ネマは俊平の背中に負ぶさり、で無防備に寝息を立てている。
イルシオと俊平が仲良く話しながら王座の間に戻ってきたのを確認して、王や妙子、縁子もほっと息をついた。
「むう、王宮の中とはいえ、護衛も付けずに行動するとは………」
王宮とはいえ、城の中は多くの文官や侍女が行動する場所だ。
当然、権力闘争などもあるだろうし、不用意に一人でいるのは危険なことであるのだが、幸いにして第一王子としてイルシオが次期王となることが確定しており、城の中は殺伐とした雰囲気はないのが救いである。
いつの間に持ち出したのか、イルシオの指には言語翻訳の指輪が嵌められているおかげで、俊平と会話することができるようになっていることが理解できる。
イルシオの行動に眉を寄せる王だったが
「………まあよい。聡いイルシオのことじゃ。客人を案内してあげていたのじゃろう。今回は不問としよう。ダン、彼らの案内を頼む。」
王はうなずいて、王の後ろに控えている、鎧をまとったおじ様を前に出した。
「私が騎士団長の“ダン”だ。これからキミたちを部屋へと案内する。ついてきてくれ」
そう言って、団は玉座の間から出ていく。
なんとなく、その後ろに並んでついていく生徒たち。
俊平も、寝息を立てるネマをイルシオに預けてから「またね」と手を振り、イルシオもコクリと頷いたことで俊平は人の波に沿って歩き始める。
「俊平君、どこ行ってたの?」
ひょこっと俊平の隣を陣取る縁子。
後ろ手に手を組んで前かがみになりながら俊平の横顔を伺う。
「トイレだよ。あとついでにイルシオにお城の案内もしてもらってたんだぁ」
「イルシオって、あの小さい王子様?」
「そう。イルシオが気づいてくれなかったら、今頃漏らしてたかも」
すこし恥ずかしそうに告白する俊平に、縁子は頬を緩ませる
そこで俊平の頭にポンと柔らかい手が乗った。
「たしかに、この世界に来る前にトイレに行けるわけでもなかったからのう。しかたあるまい。みなで俊平を探していたところなのだ。しっかり礼を言っておくのだぞ」
「うん、ありがとう、妙子ちゃん」
妙子は「よいよい」と手を振って俊平の頭から手を放す。
パタパタと生徒の一人ずつに礼を言って回る俊平を見て、縁子は妙子に視線を向ける
「葉隠さんって、俊平くんのこと、よく気にしてるよね。中学校の頃から一緒みたいだし」
「そうじゃな」
「なにか理由があるの?」
妙子はなにかと俊平のことを気にかけている節があった。
妙子は少し思い出すように視線を上に向けると
「まぁの。今は亡き俊平のご両親に託されただけじゃ」
「えっ!?」
「………かかっ、冗談じゃ」
妙子は酒の入った瓢箪の紐を肩にかけて歩き出す
「………へんなの」
縁子は、頭に葉を乗せて瓢箪をかつぐ少女を見送るしかなった。
☆
勇者として召喚された俊平たちは王宮で歓待され、豪華な食事と部屋を与えられた。
翌朝にはステータスプレートが人数分届き、同じく人数分の言語翻訳の指輪も支給されることになる。
ともかくすべてが始まるのは明日から。
しかし、朝っぱらから召喚された俊平たちだが、この世界ではすでに夕方。
もうすぐ晩餐という時間だった。
そんな状態で夜を迎え、各々に与えられた部屋で夜を過ごしていた。
生徒たちが落ち着く時間を作るためにもちょうどよかったかもしれない。
「ん………眠れない」
ただ、俊平は枕が替わると眠れないタイプの人間だった。それに、夜9時には寝るという規則正しい生活をしていたため、通常の学生のように夜中まで携帯ゲーム、テレビゲーム、麻雀、勉強などといった不規則な生活はしない。
故に、眠気など襲ってくるわけがなかった。
王宮の料理はおいしいし、王宮の人々は異世界人である自分たちによくしてくれているため、過ごしやすい。
だが、言語の通じない土地での暮らしは落ち着かないし、どうしても緊張が続いてしまうものだった。
クラスメイト達は早々に床に就くことにしたようだが、いくら寝ようとしても目は冴え、眠れなくなっても仕方のないことと言えた。
「………トイレに行こうかな」
こういう時は通常ならばスマホをいじるに限るのだが、異世界では充電はできないし、そもそもネットにつなげられない。
できることもないので、とりあえず膀胱の中を空にすることだけを考えた。
部屋のドアを開けると、夜勤で巡回中の騎士が眠そうに歩いているのが見える
「§´ω〇 ?」
騎士がこちらに視線を向け、何事かを呟く。
おそらく「どうかなさいましたか?」と聞いているであろうが、残念ながら、言語翻訳の指輪を持っているのは担任である矢沢聡史・リーダーである虹色光彦・指輪を要求した葉隠妙子・インテリメガネ委員長の“硝子烏”・おっさんの佐藤篠の5人であるため、言語は通じない。
「あ、その、トイレに行きたいんですけど………」
もじもじしながらボディランゲージで伝えてみると、どうやら伝わったらしく、ろうそくの入ったランプを手渡してくれた。
電気の通わない城の中は、壁にかかったろうそくでようやく道が見える程度しかない。
騎士さんは予備のランプにろうそくをセットして火を移すと、再び勤務体制に戻る。
俊平は騎士に一礼すると、そそくさと厠へと足を運んだ。
………
……
…
すっきりして厠から出ると、ふと中庭につながる窓の外から明かりが差し込んでいるのが見えた。
「………この世界にもお月様はあるんだぁ」
月明かりが照らす窓の外、街灯などない外の世界は日本にいるときよりも、より幻想的に星空を映し出していた。
俊平はよく見ようと身を乗り出して中庭に視線を向けると、月明かりに照らされて、一つのシルエットが浮かび上がる
どうやらそのシルエットはお月見の最中らしい。俊平も、日本では味わえない満点の星空を望み、心が踊る。
気がつけばその幻想的な光景を見るために中庭に足を踏み入れていた。
パタリ、パタリ、と一定のリズムを刻みながら大きな石に座って青く輝く満月を見上げるシルエット。
どこか昔を懐かしむように目を細め、そのシルエットは背を向けながら俊平に声をかけた。
「この世界の星空は美しいのう。そう思わんか。俊平」
「.………うん。日本では絶対に見られないや。妙子ちゃんはお月見?」
妙子は少しだけ体を右に寄せ、左手でポンポンと石を叩いてそこに座るように促した。
俊平は疑うことなくその隣に腰を下ろす。
肩が触れ合うような距離だが、お子様の俊平には特に何かを感じることはない。妙子の方も特に何かを考えている様子はない。
「うむ。日本に戻れないとなると、どうしても心が荒ぶってのう。こうやって月見酒でも呑んで落ち着けなければやってられないんじゃよ」
妙子がいつも腰からぶら下げている瓢箪から、グイッと酒をあおる。
手の甲で口元を拭うと、瓢箪を俊平に差し出した
「飲むか?」
「じゃあ、いただいちゃおうかな」
瓢箪から漂う米の香り。どうやら入っていたのは日本酒のようだ。
渡された瓢箪に口をつけ、両手で瓢箪を傾ける。どうやら瓢箪の中の酒はまだまだ大量に残っているみたいだ。
ちゃぷん、という音と共に、俊平の口内に酒が侵入する。
「こふっ!」
当然、アルコールになれていない俊平は吹き出してしまった。
「うぅ~………辛いよぉ」
「かかっ 俊平にはちと強すぎたかもしれんのう」
喉にひりつくアルコールの感じがまとわりつき、俊平は瓢箪から口を放してむせる
妙子はからかうように笑いながら、俊平から瓢箪を取り上げて口に栓をする。
その横顔は、酒を飲んでいるからか、すこし頬が朱色に染まっているように見えた。
視線を少し上げれば、妙子の頭部には、普段乗っけている葉っぱが見当たらない。
かわりに、丸い耳がついていた。
まるで、タヌキのように、丸まった動物の耳がついていたのだ。
「妙子ちゃん、酔ってる?」
「少しのう。」
「耳と尻尾、出てるよ」
さらには、規則的にパタリ、パタリ、と揺れる縞模様の尻尾。
それは、妙子が人間ではないことを示していた
「変化も解けておったか。これは油断したのう。よほど余裕が無いようじゃ」
ピタリと尻尾の音がやむと、妙子は頭に葉っぱを乗っける。
そして、ポンっという小さな音とともに、耳と尻尾は消えた
「こういう夜間の会話は、将来俊平の嫁になりそうな縁子とするのが普通のイベントなのじゃろうが、そういうこともあろうな」
妙子は一人ごち、からからと笑う。
「俊平」
「なにー?」
妙子に名を呼ばれて、のんきに返事をする見た目の幼い少年。
「儂はのう。日本に残してきたものがあまりにも多すぎた」
「………」
「じゃから、何が何でも戻るぞい。魔王じゃろうがなんじゃろうが、儂は死なんし、殺させん。俊平、お主ものう。」
「………」
「これを持っておれ。御守りじゃ」
妙子は懐から葉っぱを取り出すと、ポンという音と共に白い人型の紙に変わる
「………これは?」
「式神じゃ。ポケットにでも入れておけばよい」
それは、妙子が情報収集に使うときに放つ式神。
彼女は式神を通して情報を集め、情報屋としての活動をしていたのだ。
俊平が式神をポケットに入れるのを確認すると、妙子は頷いて座っていた石から立ち上がる
「さて、そろそろ夜も冷え込む時間じゃ。儂は一足先に部屋で休ませてもらうかのう。月見酒に付き合ってくれてありがとう。じゃあの、俊平」
「うん、またね」
青く輝く満月を背にほほ笑む妙子。
明日から始まる壮絶な日常に、覚悟を決めた女の顔だった
俊平は手を振って妙子と別れ、しばらく何も考えずに星空を見上げた。
地球とはまた違った星の配置。天の川のように連なった小さな星々。
それらを見つめ、ちっぽけな自分という存在を見つめなおす。
<アビリティ>という能力を手にして、この世界で自分には何ができるだろうか。
魔王を倒す。いやいや、そんなことはできるはずない
自分にできるのは、光彦の背に隠れて震えることくらいだ。
自嘲気にそんなことを考えて、そんな自分にできることは何もないと結論付けた。
吹き抜ける風にブルリと身を震わせ、俊平は立ち上がる
「どうせ明日<アビリティ>がわかるから、その時に考えよう」
今はただ、目の前の現実を認めるところから始めるしかないのだ。
覚悟を決めた妙子の姿を見て、俊平はどこか夢見心地だった視界が開けた。
部屋に戻った俊平は、ランプの灯を消して、毛布で冷えた体を温めながら床に就くのであった。