~ 春風の たなびく髪の 乱れ様 姿を見れば 来るたと知る ~
「ふあぁぁぁ・・・・」
コハナ・リブロックは大きくアクビをした。本人の意思とは無関係にこの動作は生まれる。決授業がつまらないからとか単に疲れているからとか、ただそれだけで自然と出てしまう動作だ。
「次の問い、ミス・リブロック!」
テレジア先生が私の名前を呼ぶ。もちろん理由は教科書・・・数学の問題だ。
彼女は知っている。こういう時、人は大概慌てふためいて答えられずじまいで終わることが多いと。
「はい、x=20,y=3です!」
決してその場で思いついた回答ではない。人よりも足りないと常に思っている自分自身の知能に賭けていたのではなく、席順の並びとテレジア先生の決めた「当て方順」を読んだ上での策だった。
「正解、」
テレジア先生はそっけなく返し、次の生徒に問題を当てる。
この順番も、コハナは予想していた。横2つ縦3つ、座席をマスに見立てて彼女は生徒を選ぶ。
チェスで言う「ナイト」の動き方をするのは、テレジア先生らしい選び方だ。別に彼女の趣味がチェスという訳ではない、でも大人の遊び心としてこういう選び方は不思議じゃない。人のやり方に基準をつけれるのは本人だけだ。
私以外にもその動きを知っている子は沢山いる。そもそもチェス自体、中学生が大人ぶってやり始めるものの一つだろうから、その誰か一人からクラス中に影響が伝染して、「やったことなくても知っている」ぐらいにはなるから。かく言う私も、そのクチだ。
キーン、コーン、カーン、コーン
テレジア先生の数学授業が終わる。このあとはホームルーム、そして放課後だ。
「ではこのままホームルーム始めます」
授業とは違う声色だった。
「最近、この波士頓で連続殺人事件が起きているのを知っていますね?」
ザワ・・・ザワ・・・
教室がざわめいた。この事件はほんの3ヶ月ほど前からニュースでやっている。
今朝のボストン・モーニングニュースでも聞いた。
「放課後だからといって、夜遅くまで遊んではいけません。聞くところによると犯人はまだ見つかっておらず、集団的犯行との報道がなされております。いつどこで襲われるか、事件が解決するまで、皆さんは行動を謹んで下さい、」
それが、あなたたち日本人ができる、最大の自衛行動なのですから。
先生はそう付け加え、なんてことない話題をだしてホームルームを終えた。
「はぁ・・・」
疲れをため息に混ぜて解き放つ。それだけで疲れが取れるわけじゃないとわかっていても、不思議と自然に出てきてしまう。昔読んだ漫画に「ため息を続けると不幸になる」とかあったけど、要はテンションの問題だ。
「コハナ、これ、」
クラスメイトのナツミ・エンフィールドがメモを差し出した。
受け取り、すぐに一緒に教室を出る。放課後までは一秒たりとも残ってはいけない、
学校設立当初からある校則は、シンプルであり且つ強行的だ。
もちろん校門まで会話することも許されない。無駄を極力省き、居残りする生徒を
一人でも減らすためだからという大義名分が、年頃の女子には当然ながら重い。
保護されている立場なら、迅速に、清く、正しく、慎ましく。
強制された倫理観は表面上の取り繕いを与えているに過ぎない。
16年と5ヶ月しか生きていないコハナ達でも、それは簡単に思いつく。
かといって逆らえば、「日本人だろ!」と叱責されるのが当たり前となっている。
校門に着く、
「んじゃ、メモ読んでね、」
ようやくナツミが口を開く。バイバイまたね、と手を振ってコハナの元を去っていく。それにあわせ、コハナも手を振った。
ヤーキー駅へと向かう。いつもの日常、ただ単に帰るだけ、特別なことなんて起きるわけがない。自分が保護日本人であることも、学校の生活になじめば珍しいことでもないと気付いた。別に変でもないただの高校生だということを。
ヤーキー駅行きのバスに乗り、座席に座ってゆらゆら揺れながら到着を待つ。旧時代の建築物や現代的デザインのビル、それらがごちゃ混ぜになったボストンの街が流れていく。自分が来た時からも、そんなには変わってはいない。ただここ最近、マサチューセッツ州、アメリカ合衆国には似合わないひらがな、カタカナ、漢字が増えてきた気がする。日本人保護区に指定された以上、住民にあわせて英語が廃れてきているからだろう。事実自分も、日本語を喋っている。英語も喋れるが、この街ではどちらかといえば日本語、自分のネイティブ・ランゲージが多用されている。周りの人間が日本語で生活している以上、英語は意味を成さない。
When in Rome, Do as the Romans do.
・・・日本のことわざで言う、郷に入っては郷に従え。
先人を尊重するのであれば、むしろ英語を話すべきでは?矛盾ともいえない疑問が頭を掠めた。
「おとなしくしろ!」
ガラス越しに悲鳴が聞こえた。
ガスマスクを装備した大人二人が、若い・・・10代の少年を取り押さえているのが窓越しに見えた。
「アシガルだ・・・、」
乗客の一人がポツリと呟いた。
路上は少年と、彼をとりおさえるアシガルが二人、そして野次馬だ。
「可哀想に・・・」
同情の声が車両に響く、しかし誰一人助けようとはしない。
アシガルに逆らえば市民権を停止させられるからだ。
野次馬も同じだ。少年を一切助けようとはしない。
もしかすると少年は本当に悪いことをしたのかもしれない。
彼の風貌だけでは判断はつかない。彼は「何」を「悪いこと」として処理されたのか、乗客は思うしかない。
《米国に感謝と恩返しを!》うっとうしい程に強調されたポスターが、街中のいたるところに張られている。これ見よがしに、中央にはアシガルたちがポーズを取っている。ガスマスクを含めた全身の装備の威圧感が全身を支配する。
その姿に旧日本帝国軍のイメージを重ねる人が沢山居る。
一度平和になったという日本を忘れていないお年寄りが、そうやって侮蔑の視線で
彼らを見やる。
その旧日本帝国軍はコハナ達の世代には縁のない象徴であったが、
どう表現しようとも、彼女達の世代もアシガル達を同じように侮蔑のまなざしで見ることに変わりは無かった。少年の扱いがあまりにも横暴すぎる。
市民権停止どころではない、下手をすれば永久停止、もっと悪ければ追放だ。
それが日常、ボストンの日常だということに目をそらして生きてきた。逆らわない限りは普通の生活を送れる、それだけが大事だった。
ようやく停留所に着いた。米国でもっとも古いとされる球場、フェンウェイ・パークが大きく見えた。かつてボストン・レッドソックスの本拠地とされたこの場所では、もうメジャーリーグは開催されていない。
あるとしたら、なんてことない市民イベントや、名も知らないアーティストのコンサート、少し前までは日本の歴史資料フェスタとかもやっていた。
ヤーキー駅に入り、ニューウースター線に乗る。ウェストニュートン駅で降りれば家路に着く。何百回と繰り返してきた帰り方が、変わらない今を象徴しているみたいだと思った。変えたところで、帰るのが面倒なことだけだ。ウェストニュートンから先は自宅へ直行だ。制服のまま寄り道は出来ない。波士頓第弐女子高等学校はボストンでも割りと偏差値の高い女子校だ。格式の高いお嬢様学校の制服のまま寄り道をしようものなら、職務質問は免れない。
《大和撫子であれ!》古きよきとされる美徳が、自分たちを含め、多くの若者を縛り付けている。制服を取り入れているのは連帯性、責任感を沸きおこさせるためとか聞いたけど、制服を脱いでしまえば関係ない。
ウェストニュートン駅を降り、自宅へと向かう。
夕日が差し込んでいた。
あの時間だ、そろそろ来る・・・。
『午後5時30分になりました・・・』
合成音声で作られたアナウンスが童謡のBGMに乗せ、轟く。
『外で遊んでいる子供たちは、今日も米国の方に感謝の意を表しつつ、気をつけてお家へ帰りましょう』
アナウンスが終わる。もう子供でもない自分は、今からが遊びの時間だ。大人は皆、そう言う。外に出て遊ぶことが出来るのは、大人だけだ。
しかし世間は自分たちをまだ子供だと言う。そのくせ乗車料金は大人料金だ。
消費税だって払っている。その税金で道路が作られ、街が綺麗に、そしてアシガルの給料にもなっている。社会作りの貢献しているなら、大人扱いしてくれたっていい。夜遊びに行ったっていいはずだ。
自宅ドアを開ける。相変わらずだれも居ない。テーブルには書き置きがある。
「パパとデートしてくる、ご飯は冷蔵庫。ママより」
汚い文章でご丁寧に日本語で書いてあった。里親なのに自分は英語も喋れることを
知らないのか。
いや、里親だからこそ気遣うのか?
デートも、自分が分別つく年頃だから分かってくれるだろうと思ったからか?
どちらにせよ好都合だ。書き置きにはUp to 2:00 a.m. までとか書いてあった。
終電が25時まである以上、帰りは時間だけ気にすればよいことだ。
コハナはすぐに部屋に入り、鞄と制服を放り出して私服に着替える。地毛の黒セミロングが、茶色ウェーブヘアスタイルのウィッグに覆い隠される。
化粧も済ませ、堂々と玄関を飛び出す。来た道を戻り、来た地下鉄を戻り、来たバスを戻り、コハナ・リブロックは夜のボストンの街へ向かった。
どうもこんにちは、新堂ガイです。
ジャパネスクダークファンタジーと称しておきながら、未だにアクションシーンまでたどり着いておりません。
この場を借りて深々と頭を下げ、焦らし上手を目指して話を続けていきますので、もうしばらくお待ちくださいませ。