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『七人の侍』&『乱』:黒澤明

 まずは『七人の侍』から。

 とりあえず、長すぎだ。堂々の200分である。しかし見ていて長いとか思わないことはなかったが、これだけ長い映画を集中して見続けられたのは、やはり面白かったからだろう。

 とりあえず、映画のリアリティーがすごい。農民のオッサンが本当に小汚いオッサンでリアル。喋り方も農民の訛りまくり。訛りのせいもあるが、音声が昔の映画で聞き取りにくいこともあって、最初は何を言っているのか分からなかった。なので初めて日本映画で字幕をつけて鑑賞した。

 農村の様子も、その時代にタイムスリップして撮影してきたのか、と思うくらいだ。逆に白黒だからこそ細かい粗が目につかず、リアルに感じたのかもしれない。今の鮮明な映像だと、逆に嘘っぽく(というか現代っぽく)なってしまうのかも。特に与平の描き方は、似非平和主義者、偽善者に対する痛烈な批判になっている。こんなやつ、おるよな。しかも顔も殴ってやりたくなるくらい情けない顔をしている。実際に野武士の強襲で背中に矢を受けて死んでしまうのだが、ある意味野武士死ぬよりスカッとした。

 ストーリーも単純明快でいい。農民が野武士の略奪から身を守るために、侍を雇って村を防衛しようとする。最終的に七人の侍が集まった。

実際にこんなことはあったらしい。当時は土地を継げない次男、三男が社会からあぶれていた。こういった浪人たちは、村で用心棒として雇われることによってしばらく腹いっぱい食わせてもらえた上、村を去るときは当面の弁当も持たせてくれた。

ところで、白いごはんのことを銀シャリというが、この映画を見ていると「銀シャリ」ということを実感できる。黒っぽい画面の中に浮かび上がる山盛りの白いごはんは、まさに銀シャリに相応しい存在感がある。鑑賞後には炊きたての白いごはんを食べてみることをお勧めする。おいしさが普段の3割増しになっているはずだ。

しかし、農民はこの映画のようにひ弱ではなかった。というか、武士と農民の区別がはっきりと出来たのは太閤検地以降、江戸時代に入ってからだ。そもそも武士とは武装した農民であり、戦国時代は農民も武器を持って戦っていた。

だからと言って、農民が武器を持って戦いました、めでたし、めでたし。では何の話か分からない。やはり映画独自の設定というか、改変は必要だ。

前半は侍集め。ここは個性豊かな侍を描いていき、後半は待ちに待った野武士との戦い。戦いも防衛あり、奇襲ありで、飽きさせない。そして定番の次々倒れてゆく仲間たち。侍の個性をちゃんと描いているから、その死にざまも印象に残る。一人死ぬたびに、菊千代が土盛りに刀や槍を突きさしていくのは絵画的で、白黒映画でここまでできるのかと思った。さすがに日本映画最高傑作と言われるのはだてではない。

ちなみに、あらすじだけ聞くと虐げられる農民を守る高潔な武士の話かと思うが、農民の底意地の悪さも描いており奥が深い。

あと、鉄砲が出てくるが、この映画を見ると鉄砲が戦争を変えた理由が言葉でなく心で理解できるのでお勧め。鉄砲は鎧を貫く威力もさることながら、音でも士気を挫く効果がある。

そして戦闘シーンだが、ここはちょっと不満が残った。常に引いたカメラで撮影するのではなく、アップとか取り入れて華麗な殺陣とかもビシッと決めたりとか……騎馬武者をいとも簡単に斬り落としているけど、走ってくる馬の迫力とか、もっと描かないとあの武士の勇気がよく分からないと思う。あと、これは当時の技術的に無理だったんだろうけど、斬っても血がでない。やはり迫力ない。血のりなし、引いたカメラも相まって、戦闘シーンは時としてワーワー言って竹やりで追いかけ回しているだけのように見えた。

ただ、戦闘シーンには今の時代に感じられないものも感じた。この映画、1954年の作品なので、役者もほとんど戦争経験者なのだろう。

落馬するシーンとか、かなり痛そうに感じた。また、落ち武者に群がる農民たちの様子も、実際に戦国時代に戦場カメラマンを送り込んだように錯覚した。ちょっとグダグダなのだが、実際に戦争というのはああいう風にグダグダしたものなのだろう。現代戦争だって、FPSのように華麗に敵を撃ち殺していくわけではないのと同じだ。ある意味で、本当に乱世を経験した人間が乱世の様子を描いた映画を撮って演じているのだから、これ以上のリアリティはあるまい。

あと、これは映画の評価とは関係ないのだが、パッケージの裏に書いてある「日本映画史上、最高傑作!」という宣伝文句が見ていて痛ましい。この映画が作られてから60年たっているのに、これ以上の映画が全く生まれてない、というのは日本映画がそれだけ長い間停滞していたということに他ならないのではないか。よく「七人の侍は海外にも多大な影響を与えた」などと言われる。実際にその通りだし、この作品が色あせない作品であることもその通りだと思う。でも、いつまでも昔の白黒映画を「海外に影響与えた!」と言ってるのってどうなの? 葛飾北斎とかでも「ゴッホなど、海外に影響を与えた」と言われるけど、実際には浮世絵自体、西洋絵画の影響なしに成立しえなかった。それを無視して、浮世絵が海外に与えた影響だけを取り出すのはどうなんだろうか。

 現状、今の邦画業界は死に体で、とてもではないが黒澤監督に誇れるような映画環境ではないだろう。芸術性もエンターテイメント性もかなぐり捨てて、あるのはテレビでの宣伝と洋画締め出しだけ。それで辛うじて命脈を保っているに過ぎない。映画だけでなく、日本の放送業界にこそ、「七人の侍」のような人間が必要なのかもしれない。



 もう一つが『乱』。これも長い。160分。これは中盤くらいまでは長さを感じなかったが、落城してからは冗長に感じた。この作品は1985年作なので、もちろんフルカラー。白黒映画見てから見たこともあって、色彩が鮮やかだ。一応、原作はシェイクスピアの「リア王」らしい。読んでないから知らないが、要するにどちらも家督相続を巡る悲劇を描いた物語だ。一文字秀虎は70歳になって「そろそろ戦争にも飽きたし、長男に家督譲ってゆとり老後ライフ楽しむわ」と言い出して長男に家督を譲るのだが、やがてこれが一家を巻き込む壮絶な家督争いへと発展してしまう。ていうか家督譲るの遅すぎだろ……普通は40代で形式的には家督を譲ることが多い。もちろん、40代ではまだまだ現役だから、ご隠居として実権は持ち続ける。それなのに一体この爺さんは、50、60の間なにしてたんだろうか。

 それはさておき、この映画はどこか印象派的だ。まず城下町とか出てこない。城は荒野か野原の真ん中に突っ立っている。明らかに時代背景は戦国時代をベースとしているが、城の雰囲気的にロード・オブ・ザ・リングの気配を感じた。指輪物語も荒野にポツリと城があったりしたし。鮮明な色彩も相まって、何かのファンタジーっぽい。さらにカメラは遠景から撮っているのが多い。ぶっちゃけこれって、PS時代のFFじゃね? あれも(ゲーム的お約束とはいえ)フィールドにポツリと町があるし。特にPS時代のFF789あたりは、マシンパワーもあって背景までポリゴンにできなかった。一枚絵の背景のため、視点を動かすことができず、固定されたカメラで撮ったようなカメラ視点だった。PS2になって背景もポリゴンになってから、背後をカメラが追いかけてくるTPSのような視点が可能になった。

 要するにこれって黒澤明的ファイナルファンタジーなんだろう。城下町のない城も、敢えてそうしたに違いない。余計な要素を排除し、荒野に登場人物を突き放す。どう考えても日本が舞台なんだけど、どことなく日本っぽい雰囲気がしない。最初はどっか海外でロケしたのかと思ったが、やはり日本らしい。荒野は阿蘇山の麓で撮影したとか。城がポツン、ということでICO的な臭いすらする。ただしものすごく血なまぐさいICOになってしまったが。

 そのどれもに共通するのは、シーンが一枚の絵画のようだということだろう。これはもはや動く絵画だ。

 この映画の見所は、やはり落城シーンだろう。敵がなだれ込んでくる有様は、もはや合戦ではなくただの虐殺だ。途中で音がすべて消えて笛の音だけになるのも印象的。それからようやく状況を理解したのか、音が元に戻る。そこらじゅうに転がる、針山と化した死体……燃え盛る城郭。おそらく本物を作って燃やしたのだろう。このシーンでの俳優は大変だと思う。だってセリフ噛んじゃったらそれで燃やしたセットもパー。絶対緊張するし、緊張したら余計噛みそう。

 しかし、この秀虎が落ち延びてからが長い。ピーター演じる道化役が、最初は物語に絡んで面白いのだが、この落ち延びてからはイマイチ歯切れが悪い。何か説教臭いし、愚痴ばっかだし。どうせなら時代を先取りしてレッドドラゴンになりなさい。何となくドラゴンとかいそうな世界観だし、意外と似合うかもよ。しかも君主の名前は秀虎。まさに竜虎相見えるだ。

 役者では楓の方という、長男の嫁が麻呂まゆ毛と共に異様な存在感を放っていた。これは相続争いの悲劇を描いた映画だが、楓の方を中心に見れば復讐ものや怨霊ものに捉えることもできる。

 最後の次男と三男の合戦シーンは、まるで往年のクソゲー『トータル・ウォー』を彷彿とさせる。壮大なマスゲームで、実際に戦国武将はこんな風に戦ったのかと錯覚する。ここでも山の稜線に並んだ兵士たちが印象的だった。ただ、肝心の合戦シーンが物凄く単調な銃撃戦で飽きた。まるでマシンガンのように放たれる鉄砲の前に、騎馬隊が落馬する様子が延々と続く。普通、前衛やられたら残りは算を乱して逃げると思うぞ……こんなに高性能な鉄砲マシンガンがあれば、日本は世界に先駆けて植民地時代を築き上げただろう。

 んでまあ、結局のところ悲劇というのだが、特に悲しいと言う感情もなく、何か淡々として終わった。というのも、肝心の主人公である秀虎が途中で狂っちゃったために、どうにも盛り上がりに欠ける。城が落ちてからは老人介護ゲーである。ハッキリ言ってここだけはクソゲーだ。そこから何かもっと盛り上げたりあれば良かったのだが、一番盛り上げてくれたのは楓の方だけ。でもこれは秀虎と三人の息子の話なのだから、そこで魅せてくれないと面白くない。それにいくら年老いて家督を譲ったとはいえ、一文字家の隆盛を作った猛将なのだから、ここで秀虎がもうひと踏ん張りしてくれれば面白かったのに。やはり、家督は形式的でもいいから早めに決めておくべきだったのだ。いきなりパッと決めても家臣たちの忠誠心も固まらない。早めに譲って徐々に長男中心の体制を固めておくことが大事だったのだ。

 ちなみに、この一文字家のモデルは毛利家と言われているが、一番この映画に近い大名って織田家だと思う。織田家も兄弟、特に次男と三男の仲が悪かった。ここを秀吉に突かれて、結局は落ちぶれてしまった。また、鉄砲がどうやら大量にあるというのも織田家の特色だ。ちなみに織田信長は40の時に家督を長男・信忠に譲ったが、結果はご存知の通り本能寺の変で当主もろとも討死したため、結果相続でもめた。しかも長男の息子、信長の孫までいた。秀吉はこれを利用して、織田家の天下を簒奪していくことになる。

 この映画で描かれるのは、虚しい権力争いと、その果てにある虚無だけだ。最後の方はもっとセリフを切り詰めて良かったと思う。いきなり饒舌に神とか仏とか語りだされても……せっかく風景を見せてるんだから、そこは「是非も無し……」とか思わせぶりなこと言って、炎上する一の城でも映しとけば良かったんじゃなかろうか。最後は秀虎の被害者が廃墟を立ち去る場面が映るが、それより城が燃える場面だろ! 一文字秀虎が一代で築き上げたものが、全部燃え盛って灰になって消えてしまうから無常を感じるんだろ! それか、ひょっとしたらあの廃墟は一の城の跡なのかもしれない。そういえば、秀虎がかつて自分で攻め落とした城の廃墟をさまよって「ここは地獄じゃ!」とか言ってたけど、あれは一の城の末路を暗示していた、というより、あの廃墟そのものが未来の一の城だったのだろう。そう思うと、さすが、よく計算された映画だと思う。


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