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『マウス』&『傀儡后』~~春の牧野修祭りファイナル・第五弾~~修よ、変態の望みの悦びよ~~

 春って言ったら五月までだから、ギリギリセーフだよね。というわけで牧野祭りファイナルディスティネーションである。まずはデビュー作、ではないけど、牧野風を完成させた初期作品である『マウス』から。

 はっきり言うと、マイケルが「ポゥッ!」って言いながら大阪湾で音速ムーンウォークするくらい変態な作品である。もうドラッグと妄想とトランスセクシャルの無法地帯である。『マウス』も『傀儡后』も、舞台は大阪。地元民として素直に嬉しいし、これからも大阪を舞台に遠慮なくドンドン破壊していって欲しい。次は宇宙人が攻めてくるとか面白いんじゃなかろうか。それを大阪人がノリ突込みで倒すという、どこかの短編の話を拡大して、是非ともやって欲しいものだ。ただ、大阪の笑いもすでに衰退しているから、これからどうなることやら。いつまでも上沼おばちゃんがトークしてるのが一番おもろいとか、どうなのよ……いっそ上沼おばちゃんは実は中身宇宙人でした、そして主要な芸能人も中身宇宙人で、宇宙人に笑いの世界は乗っ取られてしまっていた、地球人は自らの笑いを取り戻すために、命がけで宇宙人の侵略に立ち向かうのである!――という話にしましょうよ。

 脱線しすぎて元の話を忘れたが、舞台は夢の舞洲あたりだ。ゴミを埋め立てて造った島。時代を先取りしている。しかも舞洲は当初の予定と違ってテナントガラガラの準・廃墟状態。優れた作家というのは、その優れた感性によって時代を先取りするものだが、これもその例に漏れない。

 廃墟のネバーランドに住むのは、ヤクチュウのピーターパンたち。少女もいるのだが、話によくでてくるのはなぜか少年だ。スラム街でドラッグと言えば、もはや売春は当然セット。これだけならよくある話なのだが、そこにドラッグによる混濁した意識の変容も付け加わることにより、シュールレアリスムな牧野ワールドが香り豊かに醸造される。なんとマントラもこの頃から少し出てくる。マントラは真言系なのか? 『傀儡后』や『楽園の知恵』で出てくるのは禅だから、同じ仏教系でも違っているが、この頃から仏教がネタになっている。

 ていうか、仏教ってよく考えると麻薬と縁が深い。なんか空海とか麻薬吸ってたとかいう研究者の意見もあるくらいだ。でもまあ、4900億年後に釈迦と合体しちゃうとか言えるのは、麻薬やってるとしか思えない。あながち間違いでもあるまい。つーか4900億年後とか太陽系なくなってるよ。下手したら銀河が六道輪廻してるよ。

 さて、ストーリーだが、意味不明なのを想像していたのに反して、意外にも破滅の美学と子供の儚さを描いてあってよくできた話だった。特に第一話の『マウス・トラップ』は、一番儚さを感じさせる。『トトロ』が子供の光の側面を描いたとすれば、こちらは暗黒面だ。よく子供のときに「誰か死んでくれねえかなぁ」とか思ったことがあるだろう。そういう子供独特の負の感情を推し進めた感じ。そういや、子供の時は怪談とか流行ったものだ。今でも流行っているのか気になる。何か無性に子供の頃、幽霊に会いたいと思っていたのを思い出した。なぜなのかは全く分からない。会って何を訊きたいのかもよく分からないが、結局のところ、「人間は死ぬとどうなるのか?」という疑問に対して何か答えが欲しかったように思える。

 そういう幽霊みたいな妄想を共有するために脳波を飛ばす話が『ラジオ・スタア』。なんだかよく分からなかったけど、この話は奔放な文章表現が炸裂している。まさに妄想が現実と入り混じってまた他人の妄想が注ぎ込まれて――妄想と現実のミックスジュース状態。飲んだら大阪湾の海底に沈殿しているヘドロみたいなゲロが吐けそうです。

 『マウス』は意外にも短編集だが、最後の短編で全ての話がつながるようになっている。まあ、このまとめ方も牧野風と言うべきか……ごめん、少し笑ってしまった。ゴチャゴチャ言うのはやめとくが、一言いうと――もうほんと、この人は怪獣とか特撮ものが大好きなんだな、と思った。多分、この牧野修という変態自身が、未だに子供なのに違いない。

 そして子供というのは、えてして破滅というか破壊を望むものだ。怪獣が町を破壊したり、セガールやシュワちゃんがテロリストを破壊したりするとテンションがマックスになる。もしかしたら、そんなやつは自分だけかもしれないけどさ……

 でもこの「妄想を共有する」という行為こそ、創作全ての原点なのかもしれない。


 そして牧野小説の集大成が『傀儡后』だ。実はこれ、大学時代に読んでそのまま部屋の中に埋まっていた本。昔読んだときには「意味不明な小説だなww」とか思ったりした。そして最後のオチがたまたまその時読んでいた『ドグラマグラ』にそっくりだったので「これ、ドグマグのパクリじゃんww」とか、今思うと短絡的過ぎる感想だけ残して埃の地層へ消えていった。しかし、近年の牧野再評価の動きを経て、再読。評価は180度変わった。

 後書きにもある通り、これは牧野修の集大成的小説、いや、妄想SFなのだ。牧野流『千と千尋の性癖隠し』がこの『傀儡后』なのだ。『千と千尋』も宮崎駿の妄想が悪夢のように垂れ流しにされていて、とても面白かった。それと同じ。至る所に、今まで読んだことのある要素が形を変容させて散りばめられている。

 ぶっちゃけ、この小説にはストーリーはない。

 あるのは舞台とキャラクターだけなのだ。

 そいつらが異形の町と化した大阪で何をするのか、読者はただ見守ることしかできない。

 個人的に一番好きなキャラは蓮元と夷の老人凸凹コンビ。下らない悪趣味な遊びばかりやるのだが、その会話のやり取りが面白い。

 実際にいろんなテーマが込められているし、それも奥が深い。特に「皮膚を剥いだらとても人間とは思えない。人間とは皮膚のことではないだろうか」というようなセリフがあるのだが、これはバイオレンスジャックのスラムキングも「一皮剥けばお前も一緒なのだ」というセリフと呼応しているように思える。そして張る麻薬ネイキッド・スキン。住居装着者、皮膚が透明になる奇病、麗腐病……

 そういえば『踊るバビロン』という短編があって、かつて私も「長編化して欲しい」と言っていたが、それも取り入れられていた。重要な要素として登場するが、長編化、というのとは少し違う。でも出てきてうれしかった。

 後、登場人物の性別が交錯しまくり。男と女の境界線って、ただ本人の認識だけなのかもしれない。牧野本人の性癖とかは何も知らないけど、ひょっとしたら女装癖とかあるのかもね。

 そしてやっぱり思ったのは、やっぱり意味不明だということ。でもさ、こういうの書くのってすごい大変なんだよね。

 読む人によって評価は分かれそうだけど、私は最大限に評価したい。これこそ牧野小説の金字塔だと思う。そして日本の怪奇SFというジャンルの金字塔でもある。クトゥルフとか銀河の彼方に吹っ飛ばす怪奇っぷり。

 最近の著者はいわゆるエンタメ系に行っているようだが、またこういったホラーというか怪奇というか、そういうジャンルに戻ってきて欲しい。


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