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ワタミの本を読んで『勝つまで戦う渡邉美樹の超常思考』『キミはなぜ働くか。』『社長が贈り続けた社員への手紙』『もう国には頼らない。経営力が社会を変える!』:(ビジネス新書)

 まあ、新書と言いながらも結構古い本もあったのだが……とにかく、とある事情があって「これはワタミの本を読んでワタミの思想を知らなければ」と思ったので、アマゾンで中古を1円購入して読んでみた。

 まず書き味だが、渡邉美樹らしく読みやすい文章でサクサク読んでいけた。文章的な描写や表現は特筆するような箇所はないものの(そりゃビジネス新書だから当たり前だが)、喩えや小話の類で、割と飽きさせずに読ませてくれる。また、そこで語られる人生訓も多くは道理にかなっていて頷くものばかりだった。特に『もう国には頼らない~~』に書かれてある日本の社会状況には多くの人がその通りだと思うことだろう。

 そう、言っていることは素晴らしいのだ。

 ただ、言っていることだけ、なのが悔やまれる。

 渡邉氏は本書でも「夢を持て」と熱く語る。それはよく分かる。夢を追いかけて生きるのは確かにやりがいがあるし、その中で人間性が育まれることもあるだろう。

 ただ、それは全てではないのだ。

 世の中には「夢追いフリーター」という言葉もある。夢を追うことを優先して正社員の職にはつかずに、あえてフリーターを選んだ人達のことだ。よくバンドマンや劇団員にこの類の人が多い。私の今の仕事の前はバイトだったのだが、その前の職場でもそう言う人が多かった。

 そう、夢を追うことは何もいいことだけではない。成功した人は「努力すれば必ず成功する」と力説するが、成功するのはほんのひとにぎりで、ほとんどは夢やぶれて妥協する。ことわざで「一将功なりて万骨枯る」という言葉があるくらいなのだ。一部の人間は成功して報われるだろうが、その報いを受け取るのは努力している人間の中のほんのひと握りなのだ。

 社会にとっての問題は、「夢を追うこと」ではなく「夢を追わない人、または夢を諦めた人をどうするか」ということである。要するに、「普通の人がどうやって生きていくか」が重要なのだ。

 そのことが決定的に分かっていない。別に渡邉氏の今までの努力は否定しないが、全ての人が夢を追って努力するわけではない。正社員の誰もが「将来社長になりたい!」と思っているかというと、そんなことはないはずだ。そこそこ頑張ってそこそこ楽しく生きていけたらいい、たいていはうっすらとそう考えているのではないだろうか。

 「夢をカラーで詳細に思い描けるようにする」――確かに目標の明確化は夢実現への第一歩だが、それは実現しないことの方が多い。むろん、渡邉氏が「そういう人間を助けてやる!」とでも言うのならまだしも、そんな人間は切り捨てているのだから、まさに「言うことだけマザーテレサ」なのである。口だけならみんないい人間になれるだろう。問題はそれを実行するかどうかだ。

 「夢を追え!」と言いながら「自分の夢とワタミの夢を重ねる」と言って、言葉巧みに労働者を使い捨てようとする論理のすり替えがものすごく上手く、このあたりが「新興宗教みたい」と言われるゆえんだろう。

 「ワタミの夢」というのは「世界でもっとも“ありがとう”を集める企業になる」ということらしいが、結局この後に「現代社会では“ありがとう”はお金に換算される」と言っている。要するに「感謝の気持ち=お金」であって、結局は金を集めるということだろうか。これなら普通の企業となんら変わらない。ここでも論理のすり替えが巧みだ。しかしこの「感謝=金」という図式も、例えば「従業員には過労を強いているから給料はたくさんあげている」というのならば、自ら実行しているから一貫性があると一応は言える。しかし実際のところ過労は強制しても給料は低いのだから、渡邉氏は従業員に対する「ありがとう」の気持ちがかなり足りていないと思うのは私だけではあるまい。

 ただ、これらの本を読んでいて渡邉氏の幼少時代について知れたのは興味深かった。元々、渡邉氏の父親は社長だったらしい。何の会社だったのかはもう忘れたが、とにかく社長ということでそれなりにいい生活をしていたし、それが誇りだったらしい。ところが、小学生の時に父親の会社が倒産してから家庭環境が一気に悪くなった。会社の倒産と合わせるようにして母親も他界、小学生のときにこのダブルパンチは相当こたえたのだろう。渡邉氏はこの頃から明確に「社長になる」という夢を抱いたのだった。また、中学生になってから正式にクリスチャンとなり、聖書を通読したりしたらしい。

 それから大学生になって、その頃になってようやく「何の社長になるのか」という目標を探しに北半球一周の旅に出た。そのときにニューヨークのジャズバーみたいなところに入って、そこで雑多な人種が分け隔てなく酒を酌み交わす様子を見て「自分もこんな店を経営したい」と思って飲食業の社長になることを決意した、というのが大まかなところだ。曖昧な記憶なので一部に間違いがあるかもしれないが、大体合っていると思う。

 それからの渡邉氏は凄まじい。大学を卒業してからはまず経理の仕事に就いた。なぜかというと、会社を経営するうえでお金の管理は重要だから、まず経理から、というわけだった。最近のCMでも「攻めるなら、経理から」とある通り、それを実行したのだ。多分、渡邉氏がけっこう細かい金勘定にうるさいのはそういう経緯から来ているのかもしれない。

 そして経理をマスターすると、半年でその会社を辞職、すぐに佐川のバイトを始める。なぜ佐川かというと、佐川は「仕事はキツイが給料はいい」という会社で昔から有名で、徒手空拳の若者が金を稼ぐには「まず佐川から」というのが定番コースだったからだ。そこで渡邉氏は3時間睡眠という猛烈な勢いで働いて一年で300万円貯めた。300万円稼いだのではなく、貯めたのが300万円なのだ。生活費も考えれば、おそらく400~500万円くらいは稼いでいたのだろう。稼ぐだけではなく、節約もせねばならなかっただろう。佐川時代は、常に懐に辞表を忍ばせながら働いていたらしい。むろん、そうやって金を貯めたのはただ単に貯金をしたかったからではなく、自分の店を持つための開業資金のためだ。この300万円というのも経理時代か大学時代か知らないが、その間に情報収集して決めた金額なのだろう。そうやって夢を明確化し、その最短距離を走り抜ける。おそらく、普通の人間なら社長になるためとは言え、安定した経理の仕事を辞めてキツイ佐川になど行かなかっただろう。絶対経理でそこそこ働いてそこそこ稼いだほうが楽だ。しかし事務仕事というのは歩合の営業のように稼げるわけではない。もちろん、歩合の営業だって常に誰でも稼げるわけではなく、契約が取れなければ給料が低くなるリスクもある。

 いうなれば、そのリスクを取って佐川へ行ったのだ。この決断は中々できるものではない。もちろん、経理の仕事も最初から「通過点」として辞めるつもりで行ったのだろうが、それでも人間は一度安定した仕事に就いてしまうと「まあ、しばらくはこれでいいや」となってしまうものだ。

 しかし渡邉氏はそうならなかった。300万円も経理の仕事で貯めようと思えば何年もかかってしまう。そこで手っ取り早く佐川で稼いだ。もちろん、このあとの開業した店で失敗してしまえば、渡邉氏は名もない夢追いフリーターになっていた可能性も十分ある。

 元々そういうリスクについてあまり考えない性格なのか、それとも考えた上で決断してやってのけたのか――そこらへんはあまり書かれてなかったため、よく分からない。ただ、渡邉氏がそういうリスクを突っぱねて、開業資金を貯めて、見事つぼ八のフランチャイズ店を持ったことは確かだ。そして、それこそが“ワタミ”の始まりだったのだ。

 並の人間ならそこそこ店を繁盛させてオシマイだっただろうが、そこからも怒涛の展開を見せる。すぐにつぼ八の中で売上トップにまで上り詰め、つぼ八から独立、これで正真正銘の“社長”になったわけだ。

 このときの様子もかなりすごい。今のワタミでは「二度おしぼり」や「二度お冷や」などが行われているが、それの基礎を築き上げたのもこの頃だ。さらにお絞りを渡すときに膝をついて渡すという徹底したサービスっぷり。社長の家に生まれたということで、普通なら高飛車な人間になりがちだが、もちろん金のためとはいえ、そこまで「お客に尽くす」ということをやってのけた発想が中々秀逸だ。今ではそこまではしなくても、割と顧客対応なども力を入れているが、当時の外食業はあまりそういうのは一般的でなかったらしい。今のようなチェーン店の外食は主流ではなく、居酒屋と言えば「頑固で愛想の悪いオッサンが営んでいる」といった感じの個人経営主流の時代だったからだ。

元々そんな業界だったので、渡邉氏のやり始めたことはけっこう受けた。

 話はちょっと変わるが、家の近くにラーメン屋があったのだが、そこのラーメン屋の味はいいのだが、店員の対応が絶望的にクソだったので「二度と行くかよ」と思うようになった。とはいえ、そこそこ旨いのでちょくちょく行っていたのだが、ある日そこのラーメン屋に行ってみたら、すでに潰れていた。まあ、潰れた原因は聞いたわけではないから分からないが、きっと店員の対応が悪かったからだと思っている。

 普段、あまり店員の対応など我々一般人は意識しないが、それを最初にやりだした(パイオニアかどうかは分からないが、おそらくそれに近い)のがワタミだった。そしてこの「お客様の奴隷たれ」というサービス精神は、ワタミのひとつの大きな基本理念となってゆく。

それ以降は居酒屋を主軸にして様々な外食チェーンを展開する。なんと一時期はお好み焼き屋もやっていたという。このお好み焼き屋を始めるにあたって、部下であり親友でもある人物をお好み焼き屋に潜入させて、一通りノウハウを覚えたら辞めさせる、という産業スパイもどきのようなことをやっている。人間なんでもそうだが、自分が正しいことをやっていると思っている時が一番残酷になれるものである。外食業界に革命を起こすと息巻いている渡邉氏にとって、必要ならば他人を踏み台にすることも厭わないのだろうか。この性質も企業間の競争に向けられているならまだしも、それが自分の従業員に向けられるようになってはオシマイだろう。企業間の争いは言わば戦争でもあるし、それに経営者は自分の従業員を守る義務がある。ある意味仕方のないことでもあるからだ。

 とにかく、そうやって始まったお好み焼き屋だったが、バブルがはじけて不況になると、わざわざ一枚千円以上するお好み焼きを外食で食べようという人は少なくなって、結局はお好み焼き事業からは撤退した。

 でもまあ、これは結局のところ、スパイしてきたノウハウが不完全だったからだと思っている。大阪には風月(これって全国展開されているのか? ちょっと知らないけど)というこれまたどんだけ高いんだよ、というお好み焼き屋があって、一枚千円以上するお好み焼きはザラにある。私もふらっと店の前を通りかかった時に「久々にお好み焼きでも食うか」と思って看板のメニューを見て10分くらい考えた末に「お好み焼きに千円以上払うとかアホらしいわ」と思ってやめた。

 それでも風月という店はそれなりに繁盛しているのだから、ワタミも頑張れば同じように繁盛できたかもしれない。たった数ヶ月でお好み焼きの真髄をスパイできると考えたのがそもそも浅はかだったのもあるだろうし、時代の流れが悪かったのもあるだろうが、とにかくワタミはお好み焼きから撤退した。

 それ以降は、あの居酒屋ワタミとしてチェーン展開し、その中でさらに様々なコンセプトに基づいていろんな居酒屋を経営してゆく。むろん、その中で様々な浮沈はあったものの、渡邉氏は社員を奮ってそれを乗り越えてゆく。さらに近年では業界の垣根を超えて介護や学校経営も始め、そして現在に至る、というのがワタミの大まかな荒筋だ。

 この中で『社員への手紙』はどうやら文面から察するに、ワタミがまだチェーン展開する以前に書かれたものらしく、そこにはチェーン展開を熱望する渡邉氏の心境が垣間見える。また、それに向けて「今一度心を入れ替えて頑張ろう」というような、だいたい要約したらそういう内容になっている。むろん、チェーン展開にも様々なリスクがあるだろう。戦国大名でも会社でも、大きくなろうと思ったらリスクを切り抜けなければならない。それに向かっていこうとする渡邉氏の気迫は確かにすごいものがある。

 私の想像だが、この頃の渡邉氏が経営者として全盛期だったのではないだろうか。渡邉氏が個人で会社全体をある程度見ていける規模だったからというのもあるだろう。渡邉氏が言っていることは、早い話が多くは根性論だ。もちろん、人生には根性を出して切り抜けなければならないときがある。もはや理屈ではなく、やるか、やらないか、という状況だ。夢を追っている者なら特にそうだろう。その根性論も、社長が率先して実行し、また社長自身が社員一人ひとりを見てやれる規模ならまだ良かった。チェーン展開する規模になると、そこまで見てやれることはまず無理だろう。そして根性論は経営理念という形で制度化される。

 ワタミの内部はまるで戦争末期の特攻隊に似ている。まだ特攻隊がそれほど一般的に組織されてなかった頃は、指揮官が一人ひとり見てやれた。だからある程度の情けや慈悲があった。もちろん、それがあったからといっても統率の外道であることには間違いないのだが、それでも慈悲はあった。しかしのうち制度化されてくると無慈悲になってゆく。そこにあるのは若者をどれだけ効率よく弾丸として戦場に送り込めるか、である。実際のところ特攻戦術は命中率も悪く、それほど画期的な戦果をあげたわけではない。それでも、軍部はいわゆる根性論で押し通した。

 経営というのは難しい。何をやっても誰かしら不満を持つ者は出てくるし、批判にもさらされるだろう。だからこそ、経営者はその中で利益以外の価値観をもって従業員を律していかねばならない。企業は利益追求団体とは言え、それだけではやはり息苦しくて居心地が悪いからだ。ワタミがやっているのは、どんな綺麗事を並べても結局のところ利益追求でしかないのではないだろうか。その結果、結局は従業員たちの自殺や過労といった事件にまでなっている。

 渡邉氏が作り出したものは二つある。ひとつはワタミという会社だ。そしてもうひとつ生み出したのが「若者を使い潰すブラック企業」の典型的なイメージだ。もしかしたら、ワタミが行った社会貢献も最たるものはブラック企業という言葉を広めたことかもしれない。

私も就職活動、いわゆる就活を行ったが、この時にたまたまワタミの説明会に参加したことがある。その時もそうだったが、結局社長を神格化しすぎだろう。神君家康並の崇拝ぶりだ。これでは渡邉氏が生きているあいだはよくても、死んだあとはどうなるかわからない。残念なことに、精神は人には伝わらない。よく「至誠天に通ず」というが、伝わらないことのほうが圧倒的に多い。最近発売された『バイオハザード6』などその典型例だろう。初期バイオを開発した人間が誰もいなくなると、ブランドにあぐらをかいたクソ作品が製造される。渡邉氏は一代で会社を起こした人物だからまだしも、それを継ぐ人は必ずしもそれほどの人間ではない可能性が高い。

 そうなったときに残るのは、根性論に基づく経営理念だけだ。それも夢を追って生きてきた渡邉社長が言うならいくばくかの説得力はあるが、そうでない人物が言えばただのスローガンだろう。

ワタミには決して卓越した経営力があるわけではないと思う。別にそれで特にワタミだけを叩こうとは思わない。人間は天才と呼ばれる人でもその能力には限りがある。一代で会社を大きくするほどだからただの人間ではないだろうが、それでも限界があるということだ。

 結局のところ、ワタミは「人材の使い捨て」で大きくなった。それは昔からそうだったのだが、おそらく会社の規模が大きくなっていくうちに使い捨ても大規模に行われるようになり、市井に広まっていったのだろう。

 『もう国には頼らない~~』にも書かれてある。ここでは会社の社長から退いた渡邉氏が、学校や病院などを自らの経営の力で立て直していく様子が語られている。

 破綻寸前の学校や病院を引き受けた渡邉氏が最初にやることは、結局は人件費の削減なのだ。それゆえ、学校では正社員を減らして非常勤講師の割合を増やしてゆく。病院でも人員整理を行った。ただ、病院でひとつ気になったのは、強い専門分野を決めてウリにしてゆこう、というものだった。むろん、病院経営を立て直すためなら仕方のない処置だとは思うが、このようなことが進んだ結果どうなったかというと、深刻な小児科医の不足だ。世話がかかる割に儲かるわけでもない小児科は、今どんどん閉鎖されていっている。

 渡邉氏はよく「社会のため」というが、それは本当に社会のためなのだろうか。「合成の誤謬」という言葉がある。一人ひとりの判断は良くても、全員がその判断をすると全体的に不利益が生じる、という現象を表した言葉だ。本来、病院というのはある意味で経営だけで動かすようなモノではないのではないだろうか。そのために医療には様々な助成や補助がある。しかし、結局はそれが上手く機能していない。

 農業についても語られていたが、そこでも同じことを言っている。要するに、農業には未だに理不尽な規制が多く、さらに本当に必要に必要かどうか疑わしい助成金や補助金が支給されている、というものだ。その通りだろう。今までに何十兆円という農政補助金がばらまかれてきたが、日本の食料自給率は一向に向上しないし、最近のTTP問題でも農業の自由化で日本の農業が潰れてしまう=それだけの競争力はない、ということが言われている。

 介護でもそうだが、結局のところワタミが居酒屋以外で進出した業界というのは、全て補助と助成でがんじがらめの業界ばかりなのだ。

 私はのさばっているワタミより、ワタミのようなブラック企業ごときをのさばらせている政府の経営の方に責任があると思う。明らかに無駄な補助金、意味不明な規制が多すぎる。それらを整理して効率良い運用=経営がなされていれば、そもそもワタミがのさばるような事態にならずに済んだはずだ。いや、もっと言うと、政府が老人福祉以外の社会福祉をおざなりにしてきたから、結局はブラック企業でも辞めることができず、働き続けなければならないようになってきている。

 この本を読むと、ワタミよりも日本の経営も方が心配になってくる。そりゃ、何でもかんでも社会福祉で解決できるとは思わない。日本の財政にも限度があるだろうし、限界はもちろんある。しかし、何十兆円も赤字国債を発行してまで膨大な予算を組んでいるのに、その恩恵を国民が全く感じられないというのは一体どういうことだろう? そのお金はどこに消えているのだろうか? 間違いなく、使い方がおかしいのだ。根幹となる政府の経営がずさんなのだから、ずさんな経営をしている企業がのさばるのも道理なのだろう。

 渡邉氏は今度の参議院選に立候補するようだが、これはひょっとしたら渡邉先生が誕生するかもしれない。いま変換で先生が「専制」と出たのだが、まさに渡邉専制君主の実現かもしれない。それならそれで、本当に無駄な政府の人件費や補助金、公益団体などをバッサリ切り捨ててくれれば、破壊者としては評価できる。だが、それも期待薄だ。

 多分、目先の利益に飛びつくに決まっている。それは今までの理念を利益にすり替えてきた前科を見てもそうなることは確実だろう。

 前のレビューにも書いたが、ブラック企業問題は日本の政治的な欠陥を写し出す鏡であると同時に、精神的な欠陥をも写し出している。

 ひょっとして、と思う。日本に松下幸之助のような経営者がまだいれば、そして政治家がもっとしっかりしていれば、渡邉氏も道を踏み誤らずに済んだかもしれない。

 見本となる大人がいないのだ。

 夢や希望を語る本を読んで、少しも気分がよくなるどころか暗澹たる気持ちになるのは、個人的な杞憂であってくれればいいのだが、どうにもそういうふうにはいかないようだ。これからますます世の中は荒んでいくだろう。

 そういう地獄へと続いていく、善意が敷き詰められた道を見た気分だ。


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