『ファニーゲーム』:映画
完全ネタバレ前提。
まさにタイトル通りの『おかしなゲーム』だった。
バカンスで田舎の湖畔にある別荘にきた家族に、凶悪な襲撃者が襲いかかる、という、よくある『田舎に行ったら襲われた系』ホラー(ちなみに荒木飛呂彦氏の命名)かと思いきや、途中から大どんでん返し、というかちゃぶ台返しで台無しになる映画。
この映画の秀逸な点はタイトルにあるのではないだろうか。ホラーによくわる定番の「襲撃者vs生存者」という図式をゲームとして捉えたところは斬新だ。もちろん、このゲームというのは襲撃者にとっては「ちょろいゲーム」にすぎない、という意味も込められているのだろう。
この映画を語る前に、ちょっとこの「襲撃者vs生存者」というゲームについて色々考えてみたいと思う。
まず思い浮かぶのは同じ映画の『ホームアローン』ではないだろうか。ホームアローンはホラーではないが、家に侵入してくる泥棒を留守番している男の子が知恵を絞って撃退する、という点において、 この図式に当てはまっていると思う。
そしてこちらはまさにゲームだが、『影牢』というゲームはこのコンセプトに最も近いと思う。城に住む少女の元に、次々と襲撃者がやってくる。少女は手に入れた力で罠を張って襲撃者を倒す、という罠ゲーだ。一時期、その奇抜なゲーム内容で話題にもなった。こっちはちょっとホラーっぽい雰囲気ではある。
ここで例えば、こういうことを考えて欲しい。ホームアローンで少年が知恵を駆使して泥棒を撃退したとしよう。やった! これで勝った! 第三部完! と思ったのも束の間、泥棒は銃を手に再度侵入、少年を撃ち殺したのでした――
アメリカは銃社会だし、むしろこの方がリアリティがあるかもしれないが、もしこんなホームアローンがあったら「ちゃぶ台返しもいい加減しろ!」と誰しも思うことだろう。
あるいは、影牢で最後にやってきたのは数万人のローマ兵で、人海戦術でなすすべもなく――でも同じことを思うだろう。
両者に共通しているのは、まず迎え撃つ方がひ弱なこと。シュワルツネッガーやドルフ・ラングレンのような屈強な漢なら、普通に戦えばいい。女子供だからこそ、罠を張ったり知恵を振り絞って襲撃者を欺く必要がある。そしてその中で一種の独特な「ゲーム性」が生まれてくる。
一方、襲撃者側にも制限というか、当然ながらあまりに圧倒的すぎる力を持っていては勝負にならない。それではただの虐殺になってしまう。もちろん、虐殺を見せたいならそれでもいいのかもしれないが、こういう「ゲーム」としては完全に「ゲームバランスが崩壊してしまっている」だろう。
ファニーゲームも、最初は「襲撃者vs生存者」の真面目なゲームかと思わせてある。襲撃しに来た二人が、最初は人あたりのいい親切な人間に見せかけておいて、徐々にその本性をむきだしてゆく。「卵ください」という台詞はなぜかインパクトがあってよく覚えている。その後、犬を殺したり、主人の膝をゴルフクラブで強打するなど、なかなかに凄惨な光景が繰り広げられる。特に後半、子供に対しても容赦なくヘッドショットで処刑、電気のついたテレビに血糊が飛び散る中、呆然とするおばさんの姿にそこはかとない絶望を感じたりもした。ここらへんまでは秀逸な演出や映像表現などもあり、またホラーの定番をある意味遵守してきたと言えるだろう。「ゲームバランス」もむしろよく計算されていた。
だが、ここからだった。おばさんが襲撃者のショットガンを奪って、襲撃者のうちの一人を撃ち殺したところで、なんと襲撃者が時間を巻きもどすという、映画史上空前の暴挙に出たのだ。そして襲撃者の側から飛び出すメタ発言の数々……
ここらへんから、まさに『ファニーゲーム』の時間になる。結局、今までの光景はすべて襲撃者の計算通りであり、この襲撃者が監督・主演のスナッフ映画を、我々観客は被害者の視点で「ゲーム」っぽく見させられていた、ということになる。
実は「ゲーム」になっていないのを、途中まで真面目なゲームとして見させられていた――監督のやりたいことは何となくわかるが、到底面白いとは思えない。これはほとんど後出しジャンケンで勝ったと喜んでいるようなものであり、麻雀で言えばイカサマで勝ったのと同じ。もっというなら将棋で盤の外にコマを打って「俺無敵だからww」とか言っているに等しい。ゲームでいうならアクションリプレイを使った攻略を「こんないい攻略法があるよ」とドヤ顔で語っているに等しい。もうひとつ言うなら、何かのカードゲームで自分で勝手に最強のカードを作って、使って勝って喜んでいるようなもの。
自己満足としては監督のやったことは達成されていると思う。ただ、それを商業映画でやってしまうというのはどうだろうか。もし商業映画でやりたいのなら、最初から襲撃者側に「こういう能力がありますよ」というのを示しておくべきだっただろう。途中でいかにもな伏線はちょっとだけあったが、後で思い出して「ああ、あれか」という程度で、ほとんどいきなりの騙し討ちにひとしい。ラストに希望がなさすぎるのもそうだが、襲撃者側の立場にも特に共感できる何かはなく、結局テーマも何もない。エンターテイメントとしては製作者側のイカサマによってふいにされた感じ。
確かに、既存の枠組みをどんどん壊していくことでジャンルや娯楽というものは発展していくが、これは壊し方があまりにもマズ過ぎると思う。
それに超能力モノなら、先に述べた荒木飛呂彦氏の奇妙な冒険もあることだし、真面目に作ろうと思えばいくらでも作りようはあったはずである。超能力を取り入れたモノとしてもスティーブン・キング氏の作品を筆頭に傑作が多い。『デッドゾーン』なんかは才能は人を決して幸福にはしないというテーマすら感じさせる傑作だ。
とにかく『ファニーゲーム』における超能力の使い方は、一方的に観客を突き放すだけのバランスブレイカーにすぎなくなっている。
というか、観客を一方的に突き放すためだけに超能力を持ってきた、というべきだろうか。これが超能力なのか、何なのかも私にはよく分からない。
要するに、結局おもんない。
これにつきる。
それでも途中までは絶望とあがきを見せてくれて面白かったのだが……それも計算なんだろうけど、計算だろうがなんだろうが――
結局おもんないです……
もし面白い映画にするなら、むしろ映画という枠を超えるしかないだろう。今流行りの海外ドラマなんてどうだろうか。主人公(ここでいう襲撃者側)が絶対的な力を駆使してひたすら相手に絶望を与えてなぶり殺しにしていく、という内容のドラマの「序章」としてなら、むしろ評価できる出来だと思う。これだけの超能力をもってしても、果たして警察から逃げられるのだろうか? などなど、疑問は尽きないし、真面目に考えて作れば意外に面白くなるのでは? とも思ったりする。
ただし、この映画自体はちょっとやりすぎ。観客は「クソ映画だから」と言っても時間を巻き戻せるわけではなく、クソ映画に費やした時間は二度と返ってこないのだから。




