ブラック企業――日本を食いつぶす妖怪――:(新書)今野晴貴
この本で、久方振りの小説以外の書籍のレビューをすることになった。
ある事情によってブラック企業とワタミについて調べることになったのだが、そのときに買った本がこちら。
ブラック企業問題というと、個々の企業としての取り上げられ方しかされてこなかった。つまり、「世の中にはこんな労働環境の悪い企業がある」という程度の取り上げられ方しかなかった、ということである。“ブラック企業”という言葉自体、定義が曖昧で、曖昧であるがゆえに実態のない、つかみどころのない問題としてしか認識されてなかった。実は私もそういった人間の一人だった。ブラック企業の多い業界は確かにあるにせよ、基本的に「そんなところに就職しなければいい」という程度にしか捉えてなかった。
しかし本書においてはブラック企業問題というのを社会全体の枠組みの中でとらえなおしており、斬新で目からウロコだった。ブラック企業は、労働環境全体の中でとらえ直す。
おそらく、今までこれを言ってきたのは一部の有識者だけだろう。主にNPO団体の人間が多いように感じる。本書の作者もNPO団体の人だ。あと他に労働環境を労働者側に立って論じた人間は小林よしのりくらいしか思いつかない。さすがに感性のある漫画家らしく、物事の本質を見抜く目と常識(大人の言う、一部の人間にとって都合のいい常識ではない)を持ち合わせており、その分析は大いに的を得ている。しかし、結局小林よしのりの対策は「昔に戻れ」、つまり年功序列、終身雇用といった日本型雇用への回帰でしかなく、根本的な解決策は見いだせてない。本書も正直言ってそこらへんの解決策は全く提示されていない。「これから労使間で新たな雇用形態を模索しながら落としどころを探していくしかない」と締めくくってあり、今のままではいけないが、かと言って「これがいい」という解決策を提示しているわけではないのが残念である。
とはいえ、ブラック企業問題はもはや「ブラック企業」という個々の企業がどうのこうのという問題ではないのだから、それは社会全体が解決を目指していくしかないのだろう。
このブラック企業という問題の厄介なところは、マスコミも企業も問題があるのは「若者の意識」だとしているところだ。ブラック企業という言葉自体が最近出てきた言葉であり、若者の側の言葉である。つまり、ある年齢以上の世代には全く知らない造語であり、これがマスコミによって間違った認識を植えつけられることによってさらに問題を隠蔽してしまっている。
本書では若者の離職率が高いという現象に対して、明確に「ブラック企業のせいだ」と結論づけているが、これは相当の勇気だと思う。マスコミは若者を批判する。テレビも見ないけしからん若者など、マスコミにとってどうでもいい。それよりスポンサー企業のご機嫌取りと、テレビくらいしか娯楽のない年寄りへの媚び売りが第一課題だ。
新卒を使い潰すブラック企業に警鐘を鳴らすどころか、その企業に媚びるようなマスコミにジャーナリズムや社会の公器としての役割など期待できるだろうか?
若者がテレビから離れていくのも仕方ないだろう。
話題が逸れた。
とにかく、ブラック企業の問題は奥が深く、確実に日本全体を蝕む病理となっている。少子化の中、新卒は使い潰され、将来の生活を設計できず、結婚もできず、ますます少子化が加速してゆく。ここら辺、格差社会とも関連がある。まさに入った企業がブラック企業かどうかで格差が発生してしまう。これで「問題があるのは選び間違えた新卒」とか「若者に根性がないから辞めただけ。自己責任である」などという暴論がまかり通るなら、「戦争で死んだものは全て弱かったから、あるいは危機管理能力がなかったからで、すべての犠牲者は自己責任」と言っているようなものである。
これは私見だが、ブラック企業がまかり通るどころかむしろ擁護さえされるのは、海外ではありえないことで、日本だけの現象だろう。本書でも述べられている通り、ブラック企業は今までの信用を利用して新卒を集めて使い潰している。
経済界には「ブラックでも業績を上げて経済成長に貢献している」という根強い反論があるが、これも本書では「その背景で未来ある新卒が大量に使い捨てられているなら、その経済成長は実質的な成長を全く伴っていない、むしろマイナスですらある」と手厳しい。厳しいが、これこそブラック企業の現実なのだ。
そしてそのブラック企業問題のさらに問題なところは、それが社会問題として認知すらされていない、という点である。
そのブラック企業を社会問題として位置づけ、日本の労働環境の中で語る本書は、「ブラック企業撃退マニュアル」と呼べるに値する。著者の今野晴貴氏は、本当に情熱をもってNPO活動をされているのだろう。普通はこういう問題こそ「左翼」が取り上げて、労働者側に立って議論すると思うのだが、日本の左翼は反原発で脳みそ停電状態なため、そんな議論を左翼系に期待するのは無駄無駄ラッシュである。
こういった問題提起がもっと社会に広まり、ブラック企業が世間の目にさらされる――まずこれが問題解決への第一歩だろう。そういう点では、本書はある一定の成果をすでに果たしているとすら言える。
ああ、ちなみに反原発で思い出したので一つ小話をば。
そのまえに、最近ブラック企業大賞に見事輝いた東電さん、ならびに市民賞を受賞されたワタミさんにお祝いの言葉を申し上げます。両者の社会破壊活動が広く世間に認知されたこと、誠におめでとうございます。
んで、これは東電というより原発の話なのだが、原発作業員という職業をご存知だろうか。文字通り原子力発電所で作業をする人のことで、福島原発問題で自らの危険を顧みず作業に徹して放射能物質漏洩を全力で阻止したことでマスコミにも注目された。私も今一度、この場で彼らを称えたい。
ところで、この原発作業員というもの、実は派遣である。では、この派遣作業員、一体いくら位の日給なのだろうか? 二万? 三万? それくらいもらっていても良さそうだと思う。
だが、実際は1万円くらいだ。
なぜこんなにも安いのだろうか。答えは簡単、いくつもの派遣会社が途中で抜き取っているのだ。
まず、東電から派遣要請がある。この時点での日給は聞いた話によると8万くらいらしい。あくまで噂だから本当かどうかは分からない。
そして、これをAという派遣会社に頼む。AはBに発注し、BはCに発注し……というふうにいくつもの派遣会社が絡んで最終的にあの日給になる。
これはすごいことだ。東電は日給8万払っている。ところが、現場の労働者は1万しかもらっていない。法律での規制がないと、際限なく搾取されるという好例だろう。この場合、搾取されているのは原発作業員の健康である。
それはそうと、東電の払っている日給は当然ながらそのまま人件費として電気料金に上積みされているのだ。実際に労働者に渡っていなくとも。そしてこれは推測だが、この途中に挟まっている派遣会社、確実に東電の天下り先なのだろう。東電もなんのことはない、一緒に労働者を食い物にして、その利益をちゃっかり頂いているのだ。社員は高給・高福祉で囲っておいて、さらにこのような天下り先まで用意。もちろん、原発の運営は税金だ。その予算は総コストに5%上乗せした金額、と決まっている。つまりコストを減らすより、むしろ増やした方が上乗せされる金額は増えてしまう。
このような理由から先ほどの派遣の日給8万円説は、本当だと思っている。8万じゃなくてもしかしたら5万か6万かもしれないが、金額がちょっと変わっても問題の本質は変わらない。
そしてこの状況で、果たして悪いのは東電だろうか、それとも派遣労働者なのだろうか? 派遣労働者が意識を高めて(どこが高いのか意識の低い私には全く理解できないが)東電社員になればよかったのか? それとも原発という危険な場所に来ているのだから、本人の自己責任なのだろうか?
もはやどちらが問題で、誰の責任なのかは明らかだろう。




