『水滸伝』:北方謙三(小説)
突然だが、実を言うとこの作品は私がだいぶ前に書いた『涼宮ハルヒの絶望』のきっかけとなった作品である。『涼宮ハルヒの絶望』とは、要するに私の同人小説のことである。
と言っても水滸伝にハルヒに通じるような内容があったわけではないし、別に私の書いたこの同人小説に水滸伝的要素が含まれているわけでもない。
この北方版『水滸伝』に惹かれたのは、これが原典の『水滸伝』を翻訳したものではなく、原典にのっとりながらもその原典に現代的なテーマを与えて改変し、「北方オリジナル」の領域まで高めたことにある。私は原典を読んでない。いや、正確に言うと、自動向けダイジェスト版のような水滸伝は読んだことがある。だが、決して記憶に残るようなものではなかった。むしろ同じようなダイジェスト版に『モンテクリスト伯』があったのだが、一部とはいえそっちの方が内容をよく覚えている。要するに、原典『水滸伝』はあまり面白くなかった。話も断片的で、登場人物も「108人の英雄」とは言うものの、実際にはほとんど活躍しない人物も多く、「これのどこが英雄?」と疑問に思ったりした。活躍しないならまだしも、どう見ても悪人と分類したほうがいいような人間もいる。
話的にもあまり盛り上がらない。断片的なエピソードを並べただけで、要するにそれが子供のときに読んで「全く覚えていない」という状態につながっているのだろう。それはダイジェスト版だから特にそうなっている、というのもあるだろうが、原典でもどうやらそうらしい。唯一覚えているのは、最後に梁山泊は宋の手先となってしまう、ということだ。そして方臘との戦いで仲間の多くを失ってしまう。
何だかよく分からない終わり方だが、これが原典、つまり古来から伝わる「原作」の荒筋だ。
北方謙三氏は、その水滸伝に現代的な「反政府」という思想を与えた。このことによって現代の読者にも非常に感情移入しやすい物語となった。
でもそれだけではもの足りない。戦うと言っても国相手であり、当然その手段は武力対決=戦争。戦争には莫大な費用がかかるが、それも「闇塩」という、当時の実際の社会情勢を利用した設定を新たに追加することで、無理なく調達させることに成功した。さらに言うと、当時の塩は国家の専売であり、国家権力の象徴でもあった。それを「梁山泊が裏で扱う」ということで、反権力のシンボルとして物語に組み込むことに成功。よりテーマが印象づけられることになった。おそらく、「現代の思想を持ち込んだ」ことより「闇塩という設定」の方が、物語における役割は重要だし、従来にない斬新な試みだと思っている。この設定があるから、読者は常に「テーマ」を突きつけられる。政府もそんなことを許す訳もなく、当然「塩」をめぐる争いも起きるわけだが、それがまるでイデオロギー闘争を象徴しているかのようである。塩はただの塩だ。その「ただの物質」に「それ以上の象徴」を持たせることで、現実性を失わない、大人のファンタジーを見事作り出すことに成功したと言えるだろう。原典でも妖術などのファンタジー要素が出てくるが、そういう「荒唐無稽なファンタジー」を「リアルなファンタジー」に力づくで作り替えた、まさに北方氏の豪腕炸裂といったところか。北方『水滸伝』の続編、『楊令伝』も、面白いことは面白い。ただ、それでも『水滸伝』を超えることはなかったな、と思う。純粋な物語の魅力といったものが、やはり違う。『楊令伝』にはあまりにも超人的なキャラクターが多く出過ぎた。何か「スーパーサイヤ人のバーゲンセール」状態に、私は思えた。もちろん、『楊令伝』は面白い。だが水滸伝はもっと面白い。
つまり、北方『水滸伝』は原典に新たなテーマを与えて、キャラクター、物語を一新し、オリジナルというレベルにまで高めた、という作品である。
これがなぜ、冒頭で述べた「私が同人小説を書いたきっかけ」になったのかと言えば、平たく言うと北方氏の行ったことは同人、二次創作だからである。無論、これは私が勝手にそう思っているだけだ。それよりも歴史小説と言った方が無難だろう。だが、「他人の作品を元に自分の作品を作り上げる」という手法は明らかに二次創作と言えるのではないか。
もちろん、ちまたのエロ同人誌とは違う。「原作がある」という点では同じだが、エロ同人誌は原作人気に依存している。北方『水滸伝』は、原作とは完全に違った、オリジナルの魅力を打ち立てた。
しかし、それでも「原作がある」という点では同じだ。北方『水滸伝』も原典なしでは存在し得ない。それにエロ同人誌といえども、「エロをテーマにして原作を作り変える」という手法だけ見れば、北方『水滸伝』もその手法は同じなのではないか。
とまあ、ここまで考えたところで私は思った。北方『水滸伝』は二次創作の最高傑作だと。そして、そのとき無謀なことに「自分もどうせ同人やるならこういう風にしよう」と思ってしまった。
まあ、結果からいうと、オリジナルにはできたかもしれないが、色々と反省すべき点もあった。いきなりマネしても、そんなに全部はうまくいかない、ということだった。
ただ、収穫も多かったことは確か。
北方『水滸伝』自体も超面白かったが、そういう読者としての思い出以上に、人生の思い出ともなった作品だ。




