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『マッドマックス・怒りのデスロード』:(映画)

ネタバレ有なので注意してくださいね。

 なんか最近の感想で「レビューとしては役に立たないけど、愚痴としては面白かったです」みたいなことを言われたので、今回は思い入れのあるマッドマックス・シリーズだけに、頑張って少しは役立つレビューをしようと思う。

 という訳で、見に行きました、『マッドマックス・怒りのデスロード』である。いきなりこの映画について語る前に、まずは『マッドマックス』、『マッドマックス2』、『マッドマックス/サンダードーム』の旧三部作についてサラリと見直しておきたい。「もう知ってるからいいよ」という人は、特にめぼしい情報もないので飛ばしてけっこう。「シリーズは知らないけど、読むのがめんどくさいから本題だけ読みたい」という人も、多分読み飛ばして大丈夫。今作は単独でも楽しめるので、すぐにブラウザを閉じて映画館に行こうね!


 まずは初代『マッドマックス』から。マッドマックスと言えば、真っ先に「北斗の拳などに影響を与えた」と言われるが、あれは2以降のこと。初代に関して言えば、世界観や舞台設定などは特に設定されていなかった。

 確かに、どことなく退廃的な感じがするが、カーチェイスの舞台となる場所もちゃんと舗装された道路だし、主人公のマックスは一応警官だし、ということはこの世界には警官がいて、それを維持する組織が残っているということで、せいぜい治安の悪い近未来?のような世界観だった。

 とは言え、衝撃的なカーチェイスなど、作品の根本的な中身はこの時から受け継がれている。監督のジョージ・ミラーは「観客が交通事故にあったような衝撃を与える映画を作りたい」という、なんだかよく分かるような分からないような動機で制作に当たったようだが、確かにこの映画を見ていると「うわ、今のシーン、完全にスタントマン轢かれてるじゃん……」とか「これ死んでるだろ!」とか思えるシーンがいくつか出てくる。

 そんな交通事故を目撃したせいか、映画ファンの間でまことしやかな噂がささやかれるようになった。曰く「スタントマンが二、三人死んだ」、曰く「作中に出てくる暴走族は本物の暴走族をオーディションして雇った」などの、一種の伝説である。

 しかし、これらの伝説は実は全て都市伝説、つまり景気のいいフカシだった。死んだとみられたスタントマンも「いやぁ~、生きててごめんねww」とファンに謝罪しているくらいである。

 だが、この映画のスタントは改造した車で限界までスピードを出して行われており、本当に死人がいつ出てもおかしくない、そんな極限状態でのスタントだったことはやはり事実だ。

 また、オーディションに関しても実際の暴走族は雇っていないが、当時無名のメル・ギブソンを起用するなど、低予算という枷があったがゆえに大胆な起用をできた。しかも当時のメル・ギブソンは俳優学校を卒業したばかりで、オーディション前日には店で乱闘騒ぎを起こしている。そんな顔にあざが残る中受けたオーディションだったが、それであるがゆえに監督は「こやつ、できおる……!!」と思ったのだろうか、そのまま主役のマックス役に抜擢することとなった。メル・ギブソンも受かると思ってなかっただろう。逆に、こういう抜擢ができるような組織、というのは将来性があるのかもしれない。

 とにかく、そうやって寄せ集めた役者、低予算、という枷の中、ミラー監督の采配や演出が冴えわたり、映画史上に残る傑作に仕上げることができた。

 寄せ集めの役者には、撮影場所まで約900キロのツーリングを強行させた。何の意味があって? となるところだが、この長旅によって役者同士の絆が深まったことが一つ。長旅では本当に交通事故に遭った者もいて、これがさらに臨場感ある演技へとつながったのだろう。それに死の危険のあるスタントにも、気を新たにして挑むことができたはずだ。

 また長旅の間も、衣装は作中のものを着ていた。当然汚れるわけだが、それが自然と映画の退廃した世界観にマッチ。敵役の暴走族の凄味もこういったところから自然と醸し出されたのだろう、都市伝説も煙の出どころくらいはあったということだ。

 さて、今までは主に撮影やスタントなどを見てきたが、ここで初代のストーリーを簡単に紹介しておこう。

 主人公のマックスは警官で、暴走族を取り締まっていた。その過激な取り締まり、もといカーチェイスの末に、ナイトライダーという名前の割に昼間に爆走していた暴走族を死なせてしまう。そこに親玉である暴走族のトーカッター一味が現れ、復習としてマックスの妻と子供を殺してしまう。

この子供でも容赦なく殺す、そこが好きだ。ここだけは『北斗の拳』にも受け継がれている。子供が死ぬことで、世界の荒廃した様をアリアリと描写できるし、読者も実感できる。「子供が死ぬのはダメ、絶対!」そんなクソみたいなことを言ってるやつはすぐに死のうね。

 そして始まる、マックスの復讐劇……淡々と進む復讐が終わって、さらなる荒野へ立ち去るマックスで物語は終わる。


 そして2である。2になると急に世界観が変わる。よくある「核戦争後の荒廃した終末世界」が、冒頭のナレーションで語られる。

 こういった終末的世界観は先述の『北斗の拳』にパク……いや、受け継がれた。実際に作者二人は、この映画を見てから「この世界観で拳法家が悪を倒していくのってどう?!」みたいな感じで出来上がったのが『北斗の拳』だ。

世界観だけではない。『北斗』と言えばモヒカンと肩パッドと改造車両だが、それら3種の神器はすべて2から登場する。

 影響を与えたのは『北斗の拳』だけでなく、ゲームなら『フォールアウト』シリーズが直接的な影響を受けている。『メトロ』もやっていることが微妙に違うが、核戦争後の崩壊した世界、という点ではある程度影響があるかもしれない。そして、これは誰も言わないのだが、『ボーダーランズ』も最も影響を受けているだろう。核戦争後ではないが、荒野の惑星の光景はまさしく2以降のマッドマックスを彷彿とさせるし、敵のバンディッドは完全にモヒカンである。先ほども述べたように、終末世界ではないため、『ボーダーランズ』は全体的に明るい感じで、陰鬱さはそれほど感じない作りになっている。マスコットのクラップトラップも、憎たらしくも可愛く愛嬌がある。登場人物も、みんな癖がありつつも楽しい奴らである。

 なので、皆もハッピートリガーゲーの『ボーダーランズ』を買おう! 今ならいくらでも中古で出回っているぞ!

 ステマも終わったので本題に戻る。何が言いたいのかというと、「核戦争後の崩壊した世界」というもはやありきたりな世界観も、誰かが最初に作ったものということである。最も、荒廃した未来世界というアイデア自体はさらに昔からあったが、それをモヒカンや改造バイクなどの誰もが見たら忘れない特徴的なファッションとともに提示したのが本作『マッドマックス2』ということだ。日本のライトノベルでいう「異世界転生系」の物語は誰がやり始めたが分からないが、こっちは分かっているというわけだ。

 また、この2で出てきた暴走族(というより略奪団?)の頭領であるヒューマン・ガスは、史上最初のホッケーマスクをつけた怪人として知られている。その巨体と筋骨隆々たる肉体だけで、存在感は抜群。さらに演説の才能もあり、製油所を支配する団体への宣戦布告演説も、ちょっと聞くとヒューマン・ガス一味にだって正義はあるように錯覚してしまう(冒頭でレイプや殺戮してる時点で、どう考えてもないんだが)。また、怪力だけでなく射撃も得意としており、見た目に反して知能犯的悪役でもある。

 悪役で言えば、ウェズもインパクト大。よく見るとお尻丸出しのズボンをはいており、シリアスな場面でもユーモアを忘れない。シリだけに。また、このウェズ役の人は、あの超有名な映画『コマンドー』のベネット役でも知られており、というかそっちの方が有名なのだが、とにかくこのウェズ役もはまり役で素晴らしい。執念深いモヒカンで、主人公以上の活躍を見せてくれる。

 ストーリーを簡単に要約すると、製油所のグループと、先のヒューマン・ガスの争いにマックスが巻き込まれる形でスタートする。ここら辺の「主人公が最初は消極的」というのは以後の怒りのデスロードまで受け継がれている。

 そしてあっけなくひっくり返る、主人公の愛車インターセプター。本当に特に活躍することなく、横転して自爆して終わった。この愛車インターセプターこそ、こそシリーズで一番不遇な扱いをされているのかもしれない。

 そしてラストのカーチェイス。マックス運転するタンクローリーの豪快な手綱さばき。そして最後にあっけなく死ぬラスボス……荒野の彼方に消えていくマックス……大体この辺は「お約束」であろうか。


 そして来ました、黒歴史「マッドマックス・サンダードーム」! 荒廃した未来の世界観はそのままだし、それどころかむしろ掘り下げられているとも言える。

 舞台が「バータータウン」という、直訳すると「物々交換町」という町で、荒廃した世界であっても交易が行われ、そこで人々は暮らしてく、というようなことが垣間見えて面白い。

 入場料みたいなのが取られているのだが、そこで門番が「水か食料、あるいは女二時間」というセリフが一番インパクトに残っていた。

 ただ、インパクトもここまで。

 肝心のマックスはいきなり地下の堆肥に落とされてパッとしないし、出てくるキャラクターも面白いのがいない。何より、途中の砂漠で子供たちだけの集落があるのだが、そこは完全に神話チック、文学チックで、今までの悲惨さや荒廃した感じは一切なくなっている。本作で一番残念な部分だ。この子供たちがどうやって生きているのか、考えれば大抵売春でしかありえないと思うが、そういう部分が描かれることなく、ひたすら無垢な存在として描かれる。ここだけ浮いているのだ。

 それよりも不満なのが、アクションが詰まらないこと。

 先の堆肥落ちから脱出するために、タイトルにもある通り、「サンダードーム」という名の闘技場で戦うことになるのだが、ここの戦闘があまりにしょぼくてアホらしくて、見ているこっちの心のほうが荒廃しそうだった。

 まず、ワイヤーで吊るされている状態で戦うのだが、スピード感もワクワク感もなく、ただビヨ~ンとジャンプして戦うショボイ映像を見続けなければならない。作品中の観客と違って、画面の前の観客はシラケまくりである。

 そして肝心のカーチェイスの少なさ、ショボさ。それも最後にとって付けたように行われるだけで、ストーリー上の必然性が薄いという、もうダメダメな本作。カーチェイスの内容自体は一定の水準はあるが、どうにも消化不良感が半端ない。

 大半のファンから黒歴史扱い、クソ扱いされる本作だが、それでも「怒りのデスロード」を見ると、その内容が完全に無駄に終わっているわけでないことが分かる。

 まず、闘技場でマックスと対戦する双子の兄弟。この兄弟の設定は、デスロードの兄弟にも受け継がれている。

 また、荒野の独裁者が敵、という点もある程度の共通性がある。2までは独裁者というのは出てこなかった。

 ある意味でこの3での世界観のさらなる掘り下げがなければ、デスロードもまた少し違ったものになったのかもしれない。そういう意味では、クソかもしれないが、最終的に傑作の養分となる肥料クソだったと言えるだろう。




 ※そしてようやく『マッドマックス・怒りのデスロード』レビューだよ!

 もうね、こんなレビュー読んでないで、すぐに映画館に行って見なさい。これは映画館で見れなかった人は本当に損するから。

 といっても、このレビューがうpされる頃にはとっくに上映が終わっているだろう。映画館で見れなかった人は、ただ後悔の念を抱いて寂しい人生を過ごさなくてはならないのか?

 そんな心配はない。多分DVDブルーレイ出るから、買って見ようね。落ち込んだ時とかには絶対に見よう。そうすれば気分はいつもウィーボーイズだ。


 さて、肝心の中身だが、これはもう、今までで一番のカーチェイス映像だった。アクションに限っただけでも、デスロードは今までのシリーズ他、史上全てのアクション映画(カーチェイス映画ではない、全アクション映画だ)を上回る出来だと思う。

 大げさに聞こえるかもしれない。ただ、自分は全く大げさだと思わない。最近の映画では大抵の場合CGが使われる。むろん、「CGだからダメ」とは思わない。

 思わないが、この作品は、作中に出てくる全ての車両は実物の車を改造したものであり、その本物の車同士をぶつけているから、その迫力は尋常ではない。車のデザインも、全てバックグラウンドとなる設定があって、それに基づいて設計されている。

 普通に考えれば昔の作品を最先端の技術を使って焼き直すものかと思いきや、やっていることは昔と同じ技術が根幹で(さすがに所々CGや合成が使われているが、それはあくまで従であり、主役は本物の車であり生身のアクション)、それでなお最高到達点を更新してくると言えばこの作品のもつ凄まじさを、お分かりいただけるだろうか。

 そんな贅沢なカーチェイスが、全編2時間に渡って、ずっと続くのだ。

 この時点で、少なくともシリーズ中最高のアクションと言える。

 もちろん、これだけなら「アクションが凄いだけの娯楽作品」で終わってしまうのだが、そうはならなかったことがさらに凄い。

 ラスボスのイモータンジョーのキャラが今までの悪役と比べて遜色ないくらい輝いていた。さらにイモータンジョーの配下であるウォーボーイズ軍団も、モヒカンではないが、独特のファッションをしており、その言動は敵ながらも熱く激しいもので、観客を引き込んでしまう。ぶっちゃけ今作、主役のマックスが一番影が薄かったぞ!

 ストーリーを簡単に俯瞰しておくと、荒廃した近未来に、シタデルという要塞を築き上げた独裁者イモータンジョーがいた。彼は地下の汚染されてない水を支配しており、それをもとに弾薬畑の武器将軍、製油所の人食い男爵と同盟関係を結び、盤石の支配体制を敷いていた。もちろん、独占した水で野菜や穀物を育てるから、水だけでなく食糧もほぼ独占しているはずだ。

 ここだけでもイモータンジョーの経営者としての手腕がかなりもものだと分かるが、彼が本当にすごいのは、独自の宗教、文化も作り上げたことにある。

その文化というのは「イモータンジョーのために死んだ者は、その魂は英雄の館に招かれて生き続ける」というものだ。これも現代人からするとしょうもないインチキ宗教の類にしか見えないが、イモータンの信者、ウォーボーイズにはそうではない。作中でさらりとしか触れられないが、ウォーボーイズの寿命は、汚染された世界に蝕まれて常人の半分しかない。この常人が現代人を指すのか、それとも作中の一般人をさすのか判然としないが、とにかく寿命が短いからこそ、「どうせ死ぬならデスロードで派手に散って、英雄として生き続ける!」という、一種の生きる希望となっているのだ。これも設定同士がかみ合って矛盾がない。

 さらにイモータン教は彼らにV8エンジンを崇拝させるなど、独特の様式を持っている。だがよく考えてもらいたい。キリスト教だって十字架という処刑道具を模したものにお祈りをしているし、それほど奇抜なものだろうか。

ただ、もっと奇抜なのは、戦闘中のウォーボーイズが景気づけのために口に銀色のスプレーを吹きかけることだ。最初はスプレーに麻薬でも仕込んであって、麻薬の力で高揚するのかと思ったが、ただの銀色のスプレーのようだ。要するに、「そういう文化」なのだ。この場面は独特なユーモアもあって、ついついおバカアクションになりそうなところなのだが、それを作品の世界観にまで強引にねじ曲げてしまう力がこのV8映画にはある。

 この宗教の最も熱心な信者が、ニュークスというウォーボーイズだろう。彼はイモータンがチラ見しただけで「イモータンがこっち見た! 俺を見てくれた! うおおおお!!」という異常なテンションの上がり具合で、仲間も「あれは地平線を見てただけだよ」と嫉妬なのか、それともなだめているのか、半ばあきれたように諭すのが面白い。悪役もただの悪なのではなく、彼らの中にも独特の文化や生活があり、激しいアクションの中でさりげなくそういう面を見せてくれる。こういうところをどれだけ発見できるかも本作を見る楽しみの一つだろう。 そして発見したら、それを元にさらなる作品世界を想像・妄想する。数々の映画ファンが今作に引きつけられるのは、こういう「想像と創造の余地」が非常に大きく、緻密に作り上げられた世界観なのにフトコロが荒野よりデカいというところにある。だから、みんなそれぞれのバックストーリーを想像してしまうのだろう。

 あえて言おう。この映画の主役はフュリオサでもマックスでもない、ウォーボーイズだと! 私はこの映画のタイトルを「ナショナル・ジオ・グラフィック~~ヒャッハー~~」にすることを提案する。というか、そういう外伝を作って欲しいくらいである。ナレーションは落ち着いた眠くなりそうな声で頼む。

 先ほど弾薬畑、製油所との同盟関係、と言ったが、作中の言動をみるに、実質的にはイモータン上位の同盟のようだ。とはいえ、完全な支配下でもないので、二人の同盟者は口うるさく文句の一つも言うが、結局イモータンの水がなければ誰も生きていくことができないため、イモータンの言うことには逆らえない。

 ここが中々凄いところだ。普通は武器を持っている奴が一番強い。水がなくても、武力があれば奪えばいいからだ。そのための最強の武力としてウォーボーイズを作り上げたイモータンジョー。悪かもしれないが、独裁者としての手腕はおそらく今までの悪役でもトップクラスだろう。元軍人だけに、彼が作り上げた軍隊は強い。

 ただ、そんなイモータンも一つだけ心配の種があった。それは跡継ぎがいないということだ。息子はいるにはいるが、一人は体に障害があり、頭はいいが自力では歩けない小人コーパスで、もう一人は筋骨隆々としているがアホ(リクタス)という凸凹コンビである。なんとか自分の後継者として健康な世継ぎを残すために、イモータンは自分のお気に入りの美女を集めて、子産み女とした。まるで晩年の秀吉のようである。ただ、イモータンはかなり高齢で、残った寿命から察するに、健康な子が生まれたとして、その子にすんなり家督が継承されたかどうか怪しい。こんな乱世ならリクタスがウォーボーイズから支持される可能性は大きいと思う。何だかんだで意志力のない弱い子供ではシタデルの経営は無理だろうし、一緒に戦ってきたリクタスの方に支持が向くのは避けられまい。むろん、生まれた子供が大人になるまでイモータンが生きていればいいが、その可能性は低い。そもそも、生まれたときは健康でも、汚染された世界で健康に育つ保証は全くない。やはり、イモータンの目論見はどちらにしても成功の可能性は低いと言わざるを得ない。

 では、最後にフュリオサがシタデルの支配者になったのは良かったのだろうか? これもそんな簡単な問題ではないと思う。というのも、先ほどからイモータンの経営手腕を褒めている通り、イモータンのような経営をできるかどうかが一つ。

 そして最大の懸念は、イモータン亡き後、残ったウォーボーイズにどんな生きがいを与えられるのか、ということだ。ここを間違えば、ウォーボーイズは兵士として全く役に立たなくなる可能性すらあり、兵力、戦力ともに落ちたシタデルは弾薬畑や他の強豪種族にいいように荒らされる可能性すらある。つまり防衛問題である。このあたりは映画の外の話になるで語られていないが、自分としてはそれが一番気になった。

 話がいつも通り脱線しまくっているが、この映画のストーリー自体は凄くシンプルで分かりやすい。ここでちょっと荒筋でも書こうかと思ったが、そんな必要もないだろう。

 とにかく、一つだけ言わせてくれ。この映画は単純だが奥が深い、アクションでもおバカでもない、真摯な傑作映画である、ということだ。

 映画のメイキング本というのがあるが、それが発売されて数週間で6版まで刷られていることから、デスロードへの熱はまだまだ冷める気配がない。


やっぱ役に立たねえやww

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