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『まおゆう』:橙乃ままれ

 読もうとして原作のスレの方へ行ってみた。

 読んだ、呆れた、帰った!

 以上である。とは言え、序盤で挫けた理由でも一応書いていくつもりである。

 まず、魔王が勇者を勧誘する場面だが、ここでは最初に「戦争の効用」なるものが述べられている。まずこれがダメである。戦争というのは男が魂を賭けて戦う場所だ。特に勇者という武力に溢れた人間ならば、またそういう存在がいる以上、戦場とはただ単なる仕事場である以上に、名誉を追求する場でもある。

 例えばの話、現在でもたまに安定したサラリーマンを捨てて、自営業に転職する人もいるわけだ。当然、彼らも最初から「収入が低下してもいい」とは思っていないはずだ。「あわよくば稼いでやるぜ!」とか思っているはずだ。むろん、実際上はリスクもあることは分かっているだろう。それでも、つまり安定したそこそこの収入の捨ててでも、リスクを取るのは、その先に自分の求める「仕事」があるからだ。

 現状のサラリーマンですら、仕事に求めるのは金銭だけではない。もちろん、金銭は重要である。ここで述べられている戦争の効用、つまり「誰かが儲けているから戦争をしている」というのは、確かにそうだが、ただ単に一面の真理を突いたに過ぎない。

 つまり、戦争というのは効用とか利益とか、そういうものだけが理由でも続ける理由でもない、ということだ。感情や名誉など、いろんな要因がある。さらに、主人公のいう「魔王という悪を倒す」というプロパガンダや宗教上の理由もあるだろう。経済上の効用や利益だけを見ては戦争を見誤るだろう。

 まおゆうのさらに悪いところは、ここで「戦争は悪いから止めましょう」と普通のことを言えばいいのに、というか最初は戦争のせいで経済に悪影響が出ると言っておきながら、後半には「戦争がないと経済が崩壊して人類に甚大なる被害が出る」というトンデモ理論が展開されることだろう。確かに、平和時にも環境破壊などの自然災害は発生するだろうが、どう考えても戦争のように急速、かつ破滅的ではない。結局、ここで言ってることって「人間は戦場で死ななくても、病気や交通事故、犯罪などに巻き込まれて死んでしまうかもしれない。仮にそれを潜り抜けても、いつかは年取って死ぬよ。だから今すぐ死んだ方がいい!」という程度のことでしかない。こういうのを屁理屈という。

 とりあえず、一つずつ順を追って見ていきたい。

 魔王の調査によると、魔族と人間の戦争が始まってから中央大陸というメッチャ適当な大陸の景気が上昇傾向を示したそうだ。理由は、中央は南部諸国に戦争を押し付けているため、基本的に戦場になることはなく、そのため南部諸国に武器や食料を援助することで、軍事特需のようなものが発生して好景気だという。

 ここで突っ込ませてもらうと、武器は良いとして、食糧という腐る物を長期間保存して大量に運ぶのはかなりの困難を伴う。詳しくはここでもレビューした『補給戦』を読まれるのが一番だが、簡単に言うとそれはほぼ不可能なので、だいたいの軍隊は現地で(つまり遠征先の現地で)近隣住民などから食糧を徴発や略奪して生活を立てていた。輸送した食糧は、17世紀の必需品倉庫出現の時代でもせいぜい必要量の1割程度ではなかったか、と言われている。いくら中央大陸に食糧が余っているとはいえ、それを南部諸国に持っていくことは不可能に近いのではないか。古代ローマは食糧をエジプトから輸入していたが、あれは地中海という海があるからだ。船は鉄道出現まで、最も早く大量に運べる輸送手段だった。設定を詳しく知らないため何とも言えないが、中央と南部諸国はおそらく陸続きだろう。広さについても分からないから詳しいことは言えないが、ただ食糧は基本的に現地での地産地消が基本だったのではないか。川などがあれば、もっと遠くから物資を運べるため、だいたい大都市は古今東西、川の周辺に作られている。一度三国志などで、地図を参照して調べてもらいたい。

 まあ、ここでも設定が詳しく分からないから、たとえば南部諸国――中央は陸続きだけど、そこまで距離はないので何とか運べる、としても今度は馬に食わせる秣の問題が生じる。仮に秣は南部諸国には豊富にある、もうそこら辺に秣が生えまくってる、という凄い設定にでもしない限り、やはり輸送するのは厳しい。

 というか、南部諸国の一番いい戦略って、魔族と組んで中央侵略することなんじゃあ……もう何が何だか分からなくなってきた。というか、そういう状況にした方が燃える展開に出来ると思うのだが……

 さらに読み進めると、この南部諸国というのが素晴らしく自立精神に欠けた諸国で、ほとんど日本の地方都市レベルで中央大陸に生殺与奪を握られてしまっている。中央の食糧がないと生活できない、そんな国はもはや独立国というより完全な保護国だろう。そもそも、こんな国に食糧を輸送して軍備を整えさせるくらいなら、さっさと併合して自国の兵士でも送り込んだ方が余程経済的だと思うのだが……戦時でも人口は増えているそうだから、職に溢れた若者はそれなりにいるだろう。

 人口の捉え方も意味不明だった。魔王曰く、「戦争の時でも世界人口は増え続けている」そうだ。世界人口と言っても、おそらく主人公たちの知る、既知の世界の範囲内、ということだろう。この世界人口増加が戦火を免れている中央大陸(というか、大陸中央部っていうのが正しいような……)だけの現象なのか、南部諸国でもそうなのかはまだ分からないが、話の流れから察するに南部諸国でもそのようだ。つまり、魔王の理論で言うと「戦争が始まって人口は増えている」そうだ。じゃあ平和な時期はどうだったのか、ということになる。魔王曰く「平和時には疫病や飢饉で人口が減っていった」(少なくとも増えはしなかった)ということらしい。まず、疫病や飢饉は人口や物流など、経済的要因だけによるものではないだろう。それこそ戦争でインフラが破壊されて、疫病や飢饉が発生することもあるはずだ。仮にそのような現象が発生しないような小規模の戦争だったとしよう。すると今度は「戦争特需で潤う」という部分で矛盾が発生してしまう。そんな小規模な戦争で、大陸全土の景気が急激に上向くと言うことの方がおかしい。

 さらに根本的な疑問として、魔王の言説によれば、今までは平和でも「飢饉で人口が増えない」ほどだったのに、戦争でいきなり「人口が増えた」ということだ。これに関しても、「戦争で大陸が一致団結して、食糧を融通しあったから」ということだそうだが、それだと少なくともある地域では食糧が援助するほど余っている、ということになり、少なくともそこの国の人口は増えないとおかしい。また、陸続きなら飢饉で飢えた人口は黙って死ぬ方を選ぶのだろうか? 飢えて死ぬくらいなら、隣の国の食糧奪ってやるぜ! と戦争になってもおかしくないはずで……あれ、この大陸、どこが平和なん……? まさか、この作者は北朝鮮を「戦争がないから平和国家」と認定する人なのだろうか。平和って何だろう。順子を集めて両面で上がることなのか。僕にはもう何がなんだか分からないよ……

 何にせよ、距離や人口に関しては、詳しい記述がないため細かいことは分からないが、それ以前のレベルで矛盾や不明瞭さが目立つ。俗に言う「作品としてのリアリティがない」状態だ。

 あと、魔族の状況があまり語られないが、「人間の発達度合いが信じられない」と言っていることから、相当の技術、文明の差があると思われるのだが……そこら辺は序盤で切ったので分かりません。誰か代わりに指摘してくれ。

 ただ、最後に自分を差し出すことで勇者と取引したところはリアリティがあった。要するにエロである。エロだけがリアリティなんや……

 そしてついに切った原因、最初の村である。

 そこで飛び出すメイド長からの「虫けら」発言は、いくらなんでも社会情勢などを無視した暴言だろう。自らの運命を切り拓こうとしない者が軽蔑されるのは分かるが、それは自由ある市民の場合だけで、半奴隷の農奴は他人や社会によってそれを奪われているのだから、情状酌量の余地は十分にある。いや、それどころか、この逃亡農奴こそ、「自らの運命を切り拓こうとした」として称賛されなければおかしい。

 スレ特有なのか、作者の癖なのか、ひどく冗長なセリフ、描写の数々で、まさにこちらの方が正視に絶えないのでここら辺で切った。どこにも共感できない&続きがどうでもいい&読むのが苦痛という三重苦なので無理です。続きもチラッと見てみたが、なんだか類型的なキャラばかりでどうにもこうにも……

 あと、まおゆう批判の中で「地の文がほとんどないため、情景を想像しにくい」という批判があったが、少々的外れか。そもそも想像するような情景など存在しない。強いて言うなら、ドラクエのような典型的ファンタジー世界、そういうのを共有している人間にしか分からない情景だろう。むろん、オリジナル作品としては、そういうバックボーン無しでも分かるようにするのが作家の腕の見せ所である。この作品を商業作品として出来が悪いと批判すると、すぐさま「2ちゃんのスレだから」という返答があるが、作品として値段がついて世に出た以上、スレを知らない人間から批判が出るのは仕方ないだろう。それが商業化ということである。だから作家には責任がある。『ログ・ホライズン』でもそうだが、この作者の描く小説はことごとく表現が回りくどく同じ描写を延々と繰り返すような癖がある。紙面と違って、ネットだと文字制限というのがないからだろう。物語というのは足し算も必要だが、それ以上にいらない枝を切り落とすことも必要だ。こういう「地の文がない」という批判に擁護派が「戯曲形式だから地の文ないのは当たり前ですよ」みたいなこと言っているが、一度も戯曲を読んだこともないのだろう。『ファウスト』やシェイクスピアの作品ではちゃんと最低限の情景描写はなされている。擁護の方が余程的外れだ。

 こういったネット発のコンテンツについてだが、今後も懲りることなく続けられるだろう。作家育成の手間を省けて、さらにネットで獲得したファン相手に売り抜けられるからだ。さらに「PV○○○万の話題作!」という数字で一般人にも宣伝できる。だが、そろそろ一般人も感じ始めているのではなかろうか。PVだろうと売上だろうと、数字を前面に押し出す作品は大抵が凡作かクソだということを。よく言う通り、「マクドナルドが売り上げ一位だからといって、マクドのハンバーガーが一番旨い料理というわけではない」ということである。

 実際に『魔法化高校の劣等生』や『ソード・アート・オンライン』など、同じようにネット発の作品は定期的に出て来ている。この前、書店に行ったらこのような小説を紹介したムック本が売っていた。要するに、ここの『なろうサイト』の本を紹介したムックなんだけど……好奇心からパラパラ見てみたが、どれも異世界に転生する系で、お決まりの萌え絵が表紙を飾っていた。数年経てば全てチリへ還るのだろう。このような縮小再生産をどれだけ繰り返すつもりなのか知らないが、これが一定のファンを獲得している以上、商業としても一定の市場を築き上げている以上、別のモノが出てくるまで続けられるのだろう。

 話を『まおゆう』に戻そう。普通は戦記モノというのは、社会情勢などはある程度誤魔化して描いて、逆に戦略や戦闘シーンを熱く描写することでその醍醐味というか、面白しろさを打ち出すわけである。ところが、『まおゆう』は熱い展開より社会情勢を描こうとして失敗してしまっている。これもスレで勢いに任せて書いたからだろう。さすがにある程度は世界観や設定を決めて書かないとファンタジー、それも架空戦記は難しい。おそらく、スレでリアルタイムで追いかけていた人は面白かったのだろう。元々、ただのスレだから作品の質も期待してなかったはずだ。さらに人気が盛り上がればいわゆる「祭り」のような雰囲気になって、結局は小説よりそういう雰囲気で楽しんでいたのではないだろうか。よくこの「なろう」系の小説でも、出版された途端、アマゾンのレビューで叩かれるのは常のことだ。まあ、ネットで読んでない一般読者が叩くのはまだ分かるが、ネットで読んでいた者までが、紙の本には批判的なレビューをする場合も少なくない。そこにはやはり「ネットだからこそ面白かった」というレビューもあるし、おそらく最な理由だろう。

 結局のところ、こういう本で一番の登場キャラクターというのは、もはや作者ではないのか。ネットでは作者とやり取りできる。普通の書籍では味わえない醍醐味だ。だからこそ、作者に自分の影を重ねて過剰に応援したりするのだろう。また、感想欄やレスで、気軽に感想を言い合えるのも長所だ。そういう会話から、作者の趣味などに共感できれば、ますますのめり込んでいくということになるのだろう。

 ただ、こういった要素が、即商業につながるか、というと疑問だ。最近だとユーチューバ―という存在が出てきている。これも似たような現象と言えるだろう。

 ネットの活動というのは商業とは別次元である。それは商業の方がいいとか、そういうレベルの話ではない。商業には商業作品の、ネットにはネット作品の良さがあり、それを理解せずに雑な商業化を推し進めていることこそ、問題の根本だと思う。

 私にしても、『まおゆう』が「有名スレ」でとどまるのならば、評価は全然違ったものになったかもしれないと感じている。それでも、最初の戦争と平和の状況説明や人権思想などには共感できないから、どちらにしてもすぐに切っただろうが。それでも、数々のいわれなき批判を受けることもなかっただろう。

 最後に、もう一つ『まおゆう』の、いや、いわゆるNAISEIと呼ばれる作品すべてに通じる指摘をしておこう。それは国や政府などの政策が、実際に技術の進歩に与えた影響は小さい、ということだ。鉄砲にしても、確かに最初は種子島の領主が音頭を取って導入に熱心だったが、そもそも日本の鉄工技術が高かったから、すぐに国産化に成功して広まった。

 もっというと、クールジャパンによって日本のコンテンツ産業は発展したのか? 違うことは明白だろう。「エタ・ヒニンは秀吉が生み出した」というのと同じ、権力者だから何でもできるとでも言い出いのだろうか。実際に権力者が「今日からお前らの隣人を差別しろ」と言われて「はい、喜んで!」となるかどうか、考えれば分かるだろう。

むろん、そういうのは現実であり、それをひっくり返すのが創作という広い意味でのファンタジーの醍醐味であることは分かっている。問題は、『まおゆう』にそれがあるかどうかだ。

 やはり、商業化に当たっては一回全編に渡っての検証と練り直しが必須だった。この『まおゆう』を元ネタに、もっと作品としてリアリティを深めつつ、熱く爽快感ある作品に仕上げるのは十分可能だと思う。問題は作者の力量だけだ。

 だが、そうしたとして、一体何人がその新・まおゆうを読んだのだろうか。この作品がアニメにまでなってしまう、というのは一つの大参事なのか、それとも一つの幕開けなのか、その先は誰にも分からないが、私にとってはどっちにしてもロクでもないことになりそうだと思った。


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