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『補給戦』:戦略書(マーチン・フォン・クレフェルト)

 今まで『孫子』やクラウゼヴィッツの『戦争論』を読んできた方はそう多くはないだろうが、読んでいるとふと気づくことがないだろうか。それは補給に関する概念がほとんどない、ということだ。特に孫子では顕著に補給の概念が抜けているような記憶があるが、読み返してないので分からない。ただ、孫子といえば「兵は神速を貴ぶ」(だったかどうか覚えてないが、だいたいこういう意味のこと)であり、「城攻めは下策」というのが全編に共通して言われていることだ。では、なぜ城攻めが下策なのだろうか。それは補給の概念がない戦争では食糧は周囲から取ってくるしかなく、一箇所に長くとどまると周囲の食糧が尽きてあっという間に飢えてしまうからだ。


 本書のタイトルからして挑戦的である。補給にわざわざ『戦』とつけてある。これが原題なのか、それとも和訳時の意訳なのか分からないが、このタイトルは本書の中身を一言で言い表している。

補給こそ、まさに戦争そのものなのだ。そんなこと、言われなくても分かっていると私は思っていたが、実は全然わかっちゃいなかったのだ。そもそも、補給については今まで歴史家、軍事専門家が取り上げてきた事例がほとんど少なく(これも本書を読んで初めて気づいた)、本書ほど具体的な数字を挙げて補給を論じている書は他に見当たらないだろう。

全体的な内容をザックリ言うと、最初は前置きとして16世紀~17世紀の戦争について述べ、次はナポレオンに焦点を当てている。特に三帝会戦とロシア遠征の二つを取り上げ、補給について詳しく論じている。それからモルトケの鉄道戦略の実態、第一次世界大戦のシェリーフェン作戦、第二次世界大戦と、順々に補給がどのように変化していったかを論じている。大体、自活(要するに現地で徴収や略奪すること)から補給によって戦線を支える方向へシフトしていっているのが分かる。そして本書の最後に登場するのは、史上初めて、100%計画された補給で戦争を支えた軍隊、つまりアメリカ軍の登場によって、幕を閉じる。そりゃ米軍は強いわな。ただ、米軍を取り上げた章にきて、少し論調が変わってきたのが意外だった。それまでは「補給がいかに大事か」または「いかに困難か」に対して論述してきたのに対し、この章になると急に「補給も大事だけど、それより果断な決断とか機智、機転が大切」という、最初からは想像もつかない結論に達してしまう。だが、これもある意味で当然の結末なのかもしれない。補給が100%達成されれば、後は純粋に戦略や戦術の出番になるのは仕方ないと思う。ロンメルのところも興味深かった。ロンメルは補給を無視して砂漠で機動作戦を行ったのだが、イラク戦争でアメリカはどういう補給を行っていたのだろうか。まあ、イラク戦争の規模は小さいから、そもそも前提となる条件が違うかもしれない。

ただ、一つ明らかになったことは、アメリカの覇権はまだまだ固い、ということだ。米軍は世界中に軍隊を派遣しているが、これも補給体制が整って初めて可能になる。世界中に軍隊を派遣して、それを維持させることができる国は現在アメリカしかいない。中国がどれほど台頭しても、中国軍では米軍に対抗できないだろう。せいぜい東アジアの覇権くらいだ。そもそも、中国軍はまともな軍隊と戦って勝った経験がない。東アジアという地域覇権は狙えても、世界覇権はとても無理だろう。これは中国だけでなく、アメリカ以外の国全てに当てはまると思う。


さて、特に勉強になったのは16世紀~17世紀の戦争について述べた箇所だった。というのも、近現代史について詳しくないため、そもそもシェリーフェン作戦とか言われてもそれ自体知らなかった。ある程度の予備知識がある人でないと、読んでもよく分からないと思う。

まあ、この16世紀の戦争についても、全く知らない戦争ばかりだったが、だいたいの原則は世界中、どこの軍隊でも通ずるものだ。

実はこれ以前の軍隊には、ほとんど補給という概念がなかった。よく戦争というと、本拠地から補給線が伸びて戦線を支えている、という風に考えてしまいがちだ。もちろん、それは近現代の戦争では正しい(それでも完全に補給できていたわけではないが)。だが、古代、中世では当てはまらない。私も今までずっと近代戦争と同じように考えていた。

古代、中世では輸送力の限界があった。陸上では馬に頼るほかないが、馬は人間の10倍の量の飼葉を食う。そのため、完全に補給しようと大量の馬車を持っていく→馬車をひく馬に食わすエサを補給するために、また大量の馬車が必要→その馬車を補給するのにまた大量の飼葉が必要→……とキリがない。そのため行われるのは、現地での自活である。敵地に侵攻し、そこの食糧で軍隊が生きていく、というものだ。兵糧も持っていくことは持っていくが、基本的に行きの分だけで、前線に到着したらあとは自活である。だから、この時代の軍隊は一度通った土地を横切ることはできなかった。また、冒頭の孫子でも述べていた通り、城攻めなどで一箇所にとどまるとその地の食糧が尽きて軍隊が飢えてしまう。城攻めを行えるというのは、それだけで名将の証なのだ。

この本は戦史研究家には是非読んでもらいたい。基本的に西洋の戦史を扱った本だが、できれば東洋戦史でも本書のような視点で戦争の究明が行われることを望む。

さて、この本を読んで思ったのが、秀吉の文禄・慶長の役である。この戦争において、名将李舜臣の活躍で日本の補給線が途絶されたことが敗因の一つとして挙げられているが、本当はそこまでの打撃ではないことが分かった。李舜臣が燃やした兵糧というのは、所詮は行きの分の兵糧に過ぎない。おそらく、必要な兵糧の10分の一にも達しないだろう。もちろん、それでも打撃には違いない。兵糧がなければ兵士はすぐに統率を失い、暴徒の群れと化すのだから。

だが、本当に打撃だったのは、朝鮮半島が貧しかったことだった。朝鮮半島にはザックリ日本軍合計15万、明軍7万弱、朝鮮軍延べ17万となる。数については諸説あるので正確なところはハッキリしないが、この数字を合計するだけで約40万である。ちなみに当時の朝鮮半島の人口がだいたい500万人。日本は2200万人、明は1億5000万人程度と推測されている。

人口500万人の国に40万の軍団がひしめき合って、食糧を奪い合えば、そりゃあ食糧不足にもなるわな。結局のところ、日本軍敗退の決定的原因は食糧庫(多分、現地からかき集めてきた食糧が備蓄してあったのだろう)を守り切れずに失陥してしまったことだった。とはいえ、李舜臣が名将なのは代わりない。彼の活躍によって、兵糧不足はより深刻になったわけだし、なにより「勝つ」というのは士気を高める。これだけでも十分な効果だろう。

どうすれば良かったのだろうか? 多分、素早く制圧して突き抜けるしかあるまい。人口の少ない=食糧の乏しい地域で大軍を維持することはできないのだから、なるべく早く抜けるに限る。それには外交で根回ししておくことや、統一した指揮系統など、様々なものが欠けていた。

さらに言うと、この朝鮮役は本来船で行われる予定だったらしい。ただ、ポルトガルに外洋船の技術提供を頼んだが断られたため、仕方なく朝鮮半島一本でいくことになった。もし外洋船で直接明への殴り込みが可能になれば、そちらに兵力を割けるため、朝鮮での深刻な兵糧不足は回避できたかもしれない。この場合、明も朝鮮半島に援軍を送ることができなかったかもしれず、そうなるとさらに兵糧問題はもっとマシにはなっていた可能性がある。

後は官渡の戦いであろうか、あれも最終的に兵糧を焼き払うことで決着がついた。しかし曹操軍は追撃しなかった。これも恐らく袁紹軍が通った後は食糧が徴発されているから、その後を追って行けば必然的に兵糧不足に陥るからであろうか。どちらにせよ、曹操軍も兵糧不足で追撃するほどの余力がなかった。ここら辺はよく分からないが、もっと詳しく研究解明されることを望みたい。他の東洋戦史も、補給戦の視点から一度解剖してみて欲しい。

さらに中国史で今まで謎だったのが、古代の匈奴である。確かに騎馬民族で強いのは分かるが、わざわざ労力をかけて壁を作るというのが今までよく分からなかった。中国の王朝がその気になれば、いくらでも兵士をかき集められるのだから、それで突撃して皆殺しにすれば楽勝じゃん、とか思っていた時期がありました……鉄道もない時代に、遠方から兵力輸送するのはほぼ不可能ということなどを考えると、動員できる兵力自体限られてくる。その上、北方は不毛の大地である。当然人口過疎地域で、大軍で殴り込めばすぐに兵糧はつきて自滅するだけだろう。逆に匈奴から見ると、攻めるのは容易い。殴り込めば、そこは農業国で、人口と食糧が豊富にあるのだから。古代ローマ叱り、中国しかり、侵入してくる蛮族を防ぐのがどれだけ大変か、また、彼らを蛮族と呼んで見下していた気持ちも少し分かるようなきもする(今となっては中国が蛮族化しているが……)。

よく、旧日本軍を「補給がダメだった」とドヤ顔で批判しているのを見かけるが、これも戦争の変遷の歴史を無視して、結果だけで言っているだけだろう。完全補給が成立させえた軍隊は、地球上で米軍しかいなかった。その米軍が勝ってから「米軍みたいに補給してればよかったじゃん」というのは結果論としか言いようがない。本書でも述べられているが、完全補給には大量のトラックが必要で、それほどのトラックを生産できる強力な自動車産業が発達していなければ、そもそも不可能だ。当時の日本にそれはない。資源が豊富にあったとしても、日本軍の補給線は維持できたか怪しいと思う。仮にトラックがあったとしても、今度は道路などインフラ整備の問題がある。当たり前だが、道路がなければ車は走れないこともないが、走る速度は落ちるし、車の耐久度もグングン減っていく。

かと言って日本の戦略を擁護するわけではないが、むしろ補給以前に外交と指揮系統の統一がなってなかった事の方が大きいと思う。

結局のところ、日本の戦争に足りないのは全てこれである。指揮系統の不統一は、リーダーシップを嫌う日本人らしい。安倍が「独裁者」として批判されるなど、欧米が聞いたら失笑ものだろう。だから官僚が「暴走」する。軍部と同じ構造だね。

意外と知ってるようで知らない補給の話。読むのはかなりの労力が必要だが、それに見合った価値は十分に与えてくれる。それに読むだけで、このように色々妄想ができる。願わくば、この本のような視点から東洋戦史を問い直すような戦史研究が出てきて欲しい、ということだ。


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