『ICO』:宮部みゆき(小説)
ついに読みました、イコの小説。結果から言うと、微妙って感じでしたね……
まず本書の出来だが、出来そのものはそれほど悪くはない。ただし、前半のイコの村の描写がながったるしい上に詰まらないので、もうちょっとどうにかして欲しかった。
とりあえず、ゲームでは何も語られなかった物語部分について、オリジナルキャラも出して補完しており、かなりストーリー重視の内容になっている。問題はそのストーリー。完全に光と闇の二元論的戦いになっており、女王も悪者扱い。まあ、最後の女王の言い分もある程度の義はあるものの、あれだけ残虐行為を平然と行っておいてそりゃないわな。ゲームでは女王についても特に何ら描写がなく、そもそも悪役として描かれてもいない感じではある。どちらかというとヨルダの保護者であり、イコに対しても「別に邪魔しないならさっさと出て行っていいよ」的なスタンスであった。
ゲームの中心である謎解きだが、さすがにこれを中心に据えるのは小説では無理という判断なのだろう。これは間違ってはいないと思う。ゲームをプレイしたから「ああ、これはゲームのあの場面か」などと想像することができたが、もしゲームを知らない人間が読んだらかなり想像しにくい描写になっていると思う。さすがにあの仕掛けを文章で描写することは難しいだろう。
結局、霧の城の歴史などが幻覚として挿入されたりすることで、何とか間をもたせている感じ。
原作のゲームでは物語性を徹底的に排除して、ひたすら情景の描写に努めた。それが逆にプレイヤーに何とも言えない感情を湧き立たせた。以後、この手の「雰囲気ゲー」なるジャンルが確立されているかは分からないが、そういうゲームに大きな影響を与えたことは間違いない。洋ゲーだが『風の旅人』も絶対影響受けてるだろ、あれ。
物語性の排除は背後の設定にも及ぶ。この小説ではどう考えても古代か中世のファンタジー設定だが、ゲームでは「いつとも知れない、どこだが分からない場所」という設定とも言えない設定になっている。これは設定だけの話でなく、実際のゲームでも段ボールや蛍光灯が出てきたりと、時代背景のよく分からないようにしてある。別にイコの生きている時代は古代や中世でないのかもしれない。それこそ、核戦争後に滅んだ人類が魔術を発展させた超古代文明、としてもいい。それかイコの帰る先には、今の都会のようなコンクリートのビルが立ち並んでいるのかもしれない。イコは現代人で、『千と千尋』のように異界へ迷い込んできたのかもしれない。この想像の余地の広さこそ、イコの素晴らしい点の一つである。この小説版イコは、良くも悪くもそれを全て固定してしまった。やはり、ここにこそ微妙感、「いや、確かにいい物語だけど、なんかなぁ……」というあのサイズの合わない靴を無理矢理はいているような違和感があるのではないか。それぞれが自分の「イコ」を想像しているのに、それを小説で完全に固定してしまったから、小説の内容的には出来が良いのに「これじゃない感」がこみ上げてくる。
実際に物語の出来自体はかなりいいと思う。矛盾は少ないし、ゲーム内の断片的な要素をうまく組み込んである。物語を補完するためのオリジナル要素も、ちょっと本編食いすぎと思わないこともないが、雰囲気を崩さずにちゃんとストーリーを盛り上げるのに役立っている。最後の女王との決戦も、ゲームファンなら思わずニヤリとするくらい忠実に再現されていたし、最後のエピローグも完璧だった。ただ、エピローグに至るまでのいくつかの印象的なエピソードが削除されており、ゲーム版の感動には及ばずと言った感じ。
一番印象的だった、最後の崩れた橋を飛び越えてヨルダに向かってジャンプするシーン、なんでカットしたんだろ……あの後のヨルダの行動も切ないし、あの表情も何とも言えないせつない気持ちにさせてくれる。女王の出てくるタイミングも完璧だった。やはりゲームは至高にして究極なんや……
この小説版イコは是非ともプレイした人には読んで欲しい。きっと合う、合わないの激しいものになると思う。この小説はあくまで「宮部みゆき版イコ」であり、一つのバージョンに過ぎない。自分としては、漫画版イコ、なんてものも出てきて欲しい。絵があるなら、ゲームの内容もかなり再現できる! でも今度はゲーム版そのものになりそうな気がしないでもない。いっそ外人が映画にしてくれないか。外人の評価が高かったし、そんな素敵な企画もないものかと思うけど、今度はキャスティングでイメージと違うことになりそう。だってイコの登場人物って人種も曖昧だし、別に白人って感じの顔じゃなかったし……
やはり、ゲームはゲームが最高なのだ!