俯く像
都内某所。とある国立美術館では、近世ヨーロッパによるルネサンス期の彫刻展が開かれていた。この展覧会の目玉と言えば、世界初公開を謳い文句にしている、某有名彫刻家の未発表作品であった。パリにあった彼のアトリエの奥から発見されたしろもので、これに目を付けた日本の大手テレビ局がプロデューサーとなり、どこよりも早く日本で公開されることが決定した。もちろん、契約に掛かった莫大な費用は、すべて入場料でまかなえるという計算だ。某テレビ局の上層部の者たちは、別に芸術などに興味はなくとも、話題さえあれば面白半分で集まってくる日本人の性質をよく理解していたのだった。
その読みは、まったくもって正しかった。連日のテレビコマーシャルやイベント化の影響もあり、彫刻展の封切りが行われる日となると、美術館には長蛇の列ができていた。サラリーマン風の男もいれば、主婦と思われる姿の女性もいる。全国津々浦々の老若男女たちが、ただの興味本位で集まっていた。結局、初日の動員数は一万人を軽く越えた。
一ヶ月が経ってもその勢いは衰えることを知らず、むしろ鰻登りに増えていった。その要因の一つに、リピーターが多いということがアンケート等によって明らかとなった。いままでの動向を見る限り、この手の美術展に来る客のほとんどは、一度見てしまうともう満足してしまい、再びやって来るなどということはほとんどなかった。それが、今回に限ってはその逆らしいのだ。つまり、一度見に来た客が、二度目、三度目を見に来る機会が多いということだ。
これは、やはりどう考えても、初公開の彫刻の影響なのだろう。
「俯く像」と名付けられたブロンズ像。一人の男が、両手と両膝を地面に付け、こうべを垂らして下を見つめている。その歪んだ表情は彼の感情をリアルに表現していて、絶望に打ちひしがれる様がひしひしと伝わってくるようだった。劣悪な保管状態で今日まで至ったためか、瞳に使われている青銅が溶けて流れ出してしまっている。これがまるで、涙を流しているようで、芸術知識の皆無な日本人にとっては受けが良かった。
今日も「俯く像」の周りは人で溢れていた。
ただ一つ、観客たちには不明な点があった。それは、この像に関する説明がフランス語で書かれているため、彼が何のことで絶望をしている像なのか分からないということだった。
もともとはフランスで公開する予定だったものを、日本が半ば強引な手口で横取りしたようなものだったため、正確な日本語訳をしてもらなかったのだ。一方、日本の主催者側も、どうせそこまで深く知りたがる奴なんていないだろう、ということで、フランス語そのままの解説を紹介しているということだ。
このことは、見る側に自由な解釈を与えるという点で、またもや受けが良かった。連日、芸術評論家気取りがギャラリーの前で熱弁を振るう光景が見られるようになった。
ある日のことだった。「俯く像」について、こう解釈をした男がいた。
「この像の男性は、長い間愛し合っていた女性に裏切られたんだな。自分では一生懸命愛していたつもりだったのに、自分の他にも男がいやがったんだ。所詮、人間なんて裏切んなきゃ裏切られちまうんだ。そのことに気付いて絶望してる様子を表してるんだと思うぜ、うん」
その男は自嘲気味に一度笑うと、離婚届をひらひらさせながらその場を去った。
またある日のことだった。子供を連れた主婦と思われる女性が言った。
「この男性は、まだ本当は子供なんだと思うな。暴力を振るう父親に怯えて暮らしているうちに、この世にいる全ての人間が信じられなくなっているんだと思う。そのことについて深く絶望をしているのよ……きっと」
女は、顔中がアザだらけになった小さな子供を連れ、その場を去っていった。
またある日のことだった。詰め襟の学ランを着た男子学生が言った。
「……この人は、世の中の競争に負けて絶望しているんだと思う。自分は自分であればいいはずなのに、いつの間にかレースに参加させられていて……そんな社会の仕組みに、ほとほと嫌気がさしているんだよ。僕はそう思う」
男子は手に持っていた紙を破り捨てた。彼の受験番号が二つにちぎれていた。
またある日のことだった。髪の毛を金色に染めた男がぶらぶらとやって来て、こう言った。
「俺はよぉー、こういうの全っ然分かんないんだけどー、俺が思うにー、たぶんー、こいつ虚しくなってんじゃね? 何していいか分かんなくてよぉー、ただ毎日がぼーっと過ぎてゆくことが虚しくて嫌なんじゃねぇの?」
そう言うと男は、近くにあった展示品のケースをけっ飛ばし去っていった。
またある日のことだった。他の者が「俯く像」の自己流解説をするのを聞き、深いため息と共に首を横に振る男性がいた。彼はフランス人留学生で、一時は美術を志していた時期もあった。連日のように話題に上がるこの美術展に興味を示してやって来たが、日本人の認知力の低さに目を覆いたくなっていた。
あの彫刻は、本当は俯いたりなんかしていないのだ。また、絶望をしているという表現も正しくない。
彼は、人混みに隠れそうになっている彫刻の説明文を読んだ。
我、天の国の雲の切れ端より下界を臨む。
そして我が目を疑った。
下界の者たちは、皆、何故あれほどまで悩みを抱えているのだろうか。
私には理解ができない。
この天上とはまるで異なり、誰の顔にも苦悩が浮かんでいるではないか。
嗚呼、何と嘆かわしいことであろうか……。
そして、それを周りの人たちに教えようとして、どうせ無駄なことだと諦めた。
そのときの彼の顔は、「俯く像」の表情によく似ていた。