04.喪われゆく世界
静寂がゆるやかに二人をつつんだ。口にするべき言葉が見あたらなかったのかもしれない。
「飛天は滅んだ。──だが実のところ、滅んだのは飛天だけじゃない」
空になったカップをそばの小さなテーブルにおく。その姿をラインは少し眉をひそめて見やった。
「飛天だけじゃないって?」
その視線の先で、シイロンはゆっくりと扉へむかう。そしてそのとってに手をかけた。
「そのまんまだよ。飛天だけじゃない。〈古よりの人々〉もさ」
云いながら扉を内へひく。
扉がひらいたそこには、フィリスがいた。
「おかえり、フィリス」
シイロンがにっこりと微笑みかける。扉をノックしようとした、まさにその瞬間の姿で彼女はかたまっていた。無理もない。
ノックのためにかかげた手をそのままに、フィリスはシイロンを見上げた。
「ただいま。よくわかったわね」
少し乾き、呆れた口調になってしまうのは否めない。いつもそうなのだ。
「〈古よりの人々〉云々ってきこえたけど、何の話?」
ラインと同じく手慣れた様子でその辺のものをどけ、腰を下ろしたフィリスはシイロンから紅茶をうけとる。
「飛天だけじゃなく〈古よりの人々〉も滅んだ、っていう話」
フィリスが怪訝な顔をする。その横ではラインも同じような顔をしていた。
「どういうこと?」
訊ねるフィリスに、シイロンはかるく口元に笑みをうかべる。
「フィリスは〈古よりの人々〉だろ?」
もちろん云うまでもなく、と彼女はうなずく。
「だけど姿は俺たちとそうかわらない。少し耳の形が違うだけだ」
確かにそうだ。耳が、ほんの少しとがった形をしているだけで、あとは同じだ。すらりとのびる手足。動物たちと違って体毛の薄い体。髪や目や肌の色に個体差がでるくらいだ。
「それがどうかしたの?」
それにシイロンはにやりと、ラインが云うところの意地の悪い笑みを浮かべ、云う。
「フィリスは〈古よりの人々〉だ。だけどそれ以上は答えられないだろ? 自分は何の一族か、云えるか? 云えないだろ?」
「それはっ……」
フィリスは言葉をつまらせた。だがシイロンは平然とつづける。
「つまりは、そういうことさ。〈古よりの人々〉たちは一族でわかれて暮らしていた。もちろん、一族にはそれぞれ名前があった。自分のアイデンティティのようなもんだ。だけど、フィリスはそれが云えない。これの意味するところは?」
云われて、はっと気づいたようにラインがシイロンを見た。
「──混血か!」
「正解」
それでもまだ、姿は見かけた。
人間とはかけ離れた姿をした、〈古よりの人々〉の姿を。
フィリスが祖母の影をおっていた頃は。
けれどそれは今から二千年ほど前の話である。
シイロンの話によると、〈ギルド〉時代から〈古よりの人々〉の混血は始まり、その全盛期から末期にかけて急速に進んだという。もともと、混血に対する嫌悪感や抵抗がなかったのだろうと。それはフィリスも大いに実感するところだ。なんせ、自分の血脈がそうなのだから。
「〈古よりの人々〉は飛天のように突然きえてしまうような、直接的な方法でいなくなったんじゃない。混血という間接的な方法だ。混血を繰りかえすうちに、〈古よりの人々〉は人間とほとんど違いのない姿になった。飛天なんかは、混血児には翼がなかったらしい。混血によって、人の姿はよりシンプルな方へと変化していったんだ。人の、一番シンプルな姿と云われてるのが、人間さ」
今では人間の姿しか見ないが、〈古よりの人々〉を祖先にもつ者がほとんどで、もなたい者の方が珍しいだろう、とシイロンはつけたした。
「つまり俺やお前にも少なからず〈古よりの人々〉の血がはいってる、と?」
「はいっていない方がありえないとも云える」
思わずラインは目を丸くする。今までそんなことは考えたこともなかったのだ。
「〈古よりの人々〉は、いわば人間と同化してしまったのさ。そして同時に人間も変質してしまった。──これも、一種の滅びだろう?」
それは、どこか嘲笑うようでもあった。
そして沈黙が落ちる。
砂が崩れ、手の中から落ちてしまうような感覚だけが胸に残った。こうしている間にも、どこかで何かがきえていってしまうような焦燥感。
「だんだんと、世界は喪われていっているのね……」
ぽつりとフィリスが呟いた。
「ああ、そうかもしれない」
溜息とともに吐されたシイロンの声は、少し渇いていた。ぼんやりと、ラインは視線を窓の外へやる。その先には揺れる幻の〈天空の島〉と流れゆく雲があった。
「どうなるんだろうな」
「さぁ? なるようにしかならないだろ」
そう。けっきょく、なるようにしかならないのだろう。彼ら三人には手のとどかない、干渉できないことなのだ。
窓のそとの空は青い。
なるようにしかならなくて、それで世界が喪われてしまうその日も、きっと空は青いのだ。雲や〈天空の島〉が、その空から喪われてしまっても。
それでもきっと、空は青いのだ。
世界中をさまざまな天変地異が襲う〈大災害〉が起こるのは、この数年後のことである。
〈喪われゆく世界・完〉




