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悪役令嬢の追放からの逆転スローライフ〜辺境公爵の『溺愛業務』を請け負います〜  作者: 木風


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第八話 雪原のアウロラ領へ、九日間の旅路

王都を離れてから九日目。

リリアーナを乗せた馬車は、とうとう文明の最後の痕跡さえも置き去りにした。

アスファルトの道は消え去り、石畳は泥と凍結した土の悪路へと変わり果てている。

車輪が小石を噛むたび、底板の奥まで鈍い振動が伝わった。


窓の外に見える風景は、温暖な王都とはまるで違う。

針葉樹が空を覆い尽くし、太陽の光さえも届かない、暗く冷たい森が続いていた。

枝は氷をまとい、風が吹くたびに、乾いた音で擦れ合う。まるで、誰かが小さく笑っているみたいに。


「リリアーナ様、あと半日ほどでアウロラ領の境界に入ります。この先は、公爵家が所有しているとはいえ、事実上、魔物の領地です」


御者を兼任する老練な護衛隊長が、心配そうに馬車の窓から声をかけてきた。

声音がわずかに上擦っているのは、寒さのせいだけではないだろう。


リリアーナは厚手の毛皮の膝掛けをしっかりと巻き付け、冷気に晒された皮膚の感覚を鈍らせていた。

頬の先がじんと痛い。呼気は白く、すぐに窓の内側へ薄い膜を作る。

彼女は頷き、冷静に周囲の空気を吸い込んだ。空気が薄い。

そして、独特の土臭さと、微かな硫黄のような匂いが混じっている。舌の奥が、わずかに苦い。


――これは、魔力が濃い証拠だ。


「構いません、隊長。速度を緩めずに進めてください。夜営は、極力避けたい」


言葉は短く、余計な温度を持たせない。

公爵令嬢の口調としては不躾なくらい簡潔で、命令的だった。

前世の社畜時代、彼女は常に効率とスピードを最優先した。遅延は、余計な死者を増やす。

この旅は彼女にとって『アウロラ領移住プロジェクト』の最終段階であり、締め切りは――生存だ。


リリアーナは、公爵家から支給された旅用の簡素な革のポーチを抱きしめた。

中には、カイン・アルヴァロ・アルテミスから極秘裏に返送されてきた、古めかしい羊皮紙の巻物。

彼女が要求した『古代魔法文献のリスト』と、その解読のための基礎資料だった。


彼は意図を正確に理解し、迅速に対応してくれた。

余計な詮索をせず、必要なものだけを、必要な形で渡してくる。

そういうところが、彼女が彼を『ビジネスパートナー』として選んだ理由だ。


馬車が深い森の隘路へと差し掛かった時、異変が起こった。


突然、馬たちが一斉に嘶き、進路を拒んだ。

前へ出ようとする力が、次の瞬間には真後ろへ跳ね返される。蹄が凍った土を削り、泥を跳ね上げた。

御者が懸命に手綱を引くが、馬は興奮し、前足を上げて暴れ続ける。


「何事ですか!」

「ま、魔物です!森の奥から、気配が――」


護衛隊長の声が震えている。

リリアーナは自ら窓の分厚いカーテンを開け、外の様子を窺った。


濃い霧が立ち込める森の奥から、巨大な影がゆっくりと、しかし確実に接近してくる。

霧が裂けるたび、暗い鱗が一瞬だけ光った。


その姿は、獣と蛇の中間のような異形。

体表は岩石のように硬く、深緑色に鈍く光っている。

体長は五メートル以上。巨体が動くたび、枝が折れ、土が鳴った。


ゲームの知識が、即座にその名を特定する。


「ロックサーペント……低級だが、防御力が非常に高い。魔法防御力も高いから、生半可な火属性は通用しない」


霧を見て、舌打ちしそうになるのを堪えた。


「しかも、この霧は奴の魔力を増幅させているわ」


リリアーナは即座に状況を分析し、頭の中で護衛隊の装備と魔力構成をチェックした。


護衛は五名。

全員が公爵家出身で標準的な戦闘スキルは持つが、ロックサーペントを倒し切るには戦力が不足している。

この森に入って最初の本格的な魔物との遭遇が、いきなり詰みポイントになるとは。


「隊長!馬車を守りながら時間を稼いで!」


声を張る。ここで迷うと、声の揺れが伝播する。


「弱点は口腔内部の粘膜組織よ。魔石をつけた矢――あるいは、集中させた風属性で、開口した瞬間を狙って」


リリアーナの指示は驚くほど的確だった。

それはゲームの攻略情報そのものであり、彼女が前世でこの敵に何度も挑戦して得た知識。

護衛隊長は公爵令嬢の冷静さに驚愕しながらも、その的確さに従うしかなかった。

剣を抜き、他の護衛たちに声を飛ばし、円陣を組む。


ロックサーペントが森の霧を切り裂いて突進してきた。

巨体から放たれる威圧感は、並大抵のものではない。

地面が振動し、硬い岩の頭部が馬車へ向かって振り下ろされる。


「風よ、刃となれ!」


護衛の一人が風属性の魔法で迎撃する。

だが、刃は硬い表皮をかすめただけ。火花のように霜が散り、大したダメージにならない。


サーペントは咆哮し、護衛の一人に尾を叩きつけた。

骨の鳴るような音。

護衛は悲鳴を上げ、数メートル吹き飛ばされた。雪混じりの泥に転がり、動きが鈍る。


リリアーナは馬車の中で身体を安定させながら、状況の悪化を計算した。

護衛はあと四人。負傷者は一人。馬は半ばパニック。

奴が開口するタイミングは、獲物を丸呑みにしようとする瞬間か、あるいは熱線を放射する直前。

しかし、そのタイミングは一瞬だ。

その一瞬を、彼らは捉えられるだろうか。


(無理ね。練度が足りない。ここで戦闘が長引けば、周囲の魔物も集まってくる。脱出優先――)


冷徹に結論を置く。

リリアーナは、馬車から降りる準備を始めた。

革靴の紐を結び直し、ローブの裾をまとめる。手がかじかむのに、指先は妙に落ち着いている。

万が一の際は、彼女自身が囮となり、護衛たちに逃げる時間を与えるつもりだった。


目的は生き残ること。

必要なら、肉を切らせて骨を断つ選択も厭わない。生き延びさえすれば、取り返せる。


彼女が扉に手をかけた、その瞬間。

周囲の空気が、凍り付いた。


それは物理的な現象であり、同時に魂を貫くほどの強烈な魔力の奔流だった。

これまでの魔物や護衛たちの放つ魔力とは次元が違う。

絶対的な冷たさと威圧感が、森ごと支配する。


息を吸った喉が、痛いほど冷える。

リリアーナは思わず目を見開いた。


この魔力……前世のゲーム知識によれば、これはこの世界の人間が扱える最高位の、極寒の闇属性魔法の波動。


霧の中に、一人の人影が、音もなく立ち現れた。


月光をそのまま編み込んだかのような銀色の髪。

深く濃い紺色のローブ。

冷徹な顔立ちは完璧な造形美を誇るが、何より目を引くのは、その氷のように青く、感情の欠片も宿していない瞳だった。


カイン・アルヴァロ・アルテミス。

魔法師団総隊長。貴族社会では『氷の公爵』として畏怖される人物。


彼は、リリアーナの予想より遥かに速く、そして正確に危機を察知し、到着していた。

手には、魔法の発動体である杖さえない。

ただ、空間そのものが彼の意思に服従しているかのように、周囲の霧が彼の魔力で凍り、結晶化していく。


ロックサーペントは本能的な恐怖に駆られ、突進の勢いを急停止させた。

生物としての格の違いを、巨大な魔物は瞬時に理解したのだ。


カインは微動だにしない。

彫像のように静かにそこに立っているだけで、周囲の温度が零下へ急降下していく。

彼は護衛たちや馬車には一切目を向けず、ただ、獲物を見定める冷酷なハンターのようにロックサーペントだけを見据えていた。

ブックマーク、★★★★★、リアクション

よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ

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