第三十話 半年後――王城夜会へ、帰還します
辺境での半年間の隠遁生活の後、リリアーナとカインは王都へ向かうことになった。
カインが夜会への参加を決めたのは、政治的な必要性からだ。
王室――特にヘンリー王子が、リリアーナは辺境で孤立し、心身ともに衰えていると確信している今。
その誤認がもっとも強固なうちに、アルテミス公爵夫人として彼女の地位を公的に確立し、ヴァイスハイト公爵家の権益をアルテミス家へと取り込む。
カインは、それを今が最適解と判断した。
出発直前の夜。
リリアーナは私室で、カインが用意させたドレスを纏っていた。
追放の原因になった菫色のドレスとは違う。
深い紺碧のベルベットに、銀糸の刺繍。重厚で、威厳がある。
肌は、過剰な栄養管理と生命魔力の恩恵で内側から光を放つように澄み、体つきは、彼が理想とする豊満で健康的な辺境の女王に近づいていた。
鏡の中の自分は、もう『追放された元婚約者』ではない。
それでも胸の奥で、小さく警鐘が鳴る。
王都は、彼女を『役割』に戻そうとする場所だ。
そしてカインは、その役割を二度と渡さない男だった。
「リリアーナ。貴女の体型は計算通り、このドレスに最も適した形となった」
部屋の隅で、カインは魔導端末を操作しながら言う。
声は淡々としているが、その奥にあるのは、健康状態が完璧であるという結果に対する強い満足だ。
「ありがとうございます、カイン様。このドレス、辺境の寒さと王都の華やかさの両方に対応できるよう、魔導調整がされていますね」
リリアーナは、縫い目の内側に走る微細な術式を指でなぞった。
暖房魔術の維持、魔力干渉の軽減、結界との相性調整――装飾ではなく装備だ。
「ああ。最高級の素材と、私の魔力が織り込まれている。貴女の体温と魔力は、常に私の端末と連動している」
カインは一度も顔を上げない。
「万が一、王城の結界が貴女の生命魔力に悪影響を及ぼす兆候があれば、私が直ちに介入する」
その言葉に、リリアーナは唇の端を僅かに持ち上げた。
介入は、彼の言葉の中で最も柔らかな暴力だ。
守るという形で奪い、管理するという形で抱き込む。
「貴女は王都で、ただ一つの事実を証明すればいい」
カインが近づき、リリアーナの首筋へ指を滑らせる。
「辺境で憔悴するどころか、私の愛と管理の下で、誰よりも幸福で、力に満ちた公爵夫人になった――それだけだ」
そして彼は、アルテミス家の紋章が刻まれた重厚なチョーカー型の魔導具を装着させた。
金属の冷たさが肌に触れ、次いで馴染む感覚が広がる。
抑制装置であり、同時にカインの魔力を常時供給するための回路でもある。
「これは貴女の力を隠蔽するための枷であり、同時に私の愛の証だ」
耳元へ囁きが落ちる。
空気すら、彼の独占欲に染まっていく。
「王城で、誰の視線も私から逸らすな。特に――」
低く、鋭い。
「ヘンリー王子とセレナの前でだ」
ロゼリア王家の夜会は、断罪イベントの余波で、どこか緊張を孕んでいた。
ヘンリー王子が婚約を破棄し、平民出身のセレナを傍に置いたことで、伝統を重んじる貴族社会は揺らぎ続けている。
会場の喧騒が一瞬で途切れたのは、アルテミス公爵夫妻がエントランスホールに姿を現した瞬間だった。
カイン・アルヴァロ・アルテミス。
銀髪は完璧に整えられ、深い紺色の軍服のような公爵服。
立ち姿は、絶対零度の氷の彫刻のように冷たく、圧倒的な威圧感を放つ。
王都の社交界で、彼の登場は静かな地殻変動だ。
公の場に姿を現すことが稀な氷の公爵が――追放されたはずのリリアーナを伴っている。
その事実だけで、夜会全体は熱狂的な観察の場に変わった。
リリアーナの濃紺のドレスは、華やかな色彩の渦の中で異彩を放つ。
流行を無視した重厚なデザイン。
胸元から裾へ流れる銀糸の刺繍は、辺境の夜空に輝く星座のように緻密で、角度によって青白く光る。
ベルベットは最高級だと一目で分かる。だが、その紺碧には、染料だけでは届かない魔力的な深みがある。
そして何より――リリアーナの体を、堂々と満たされた者として見せつける。
追放されたはずの悪役令嬢は、以前の華奢な印象を払拭し、豊満で成熟した美しさを纏っていた。
透明感の増した肌。紫水晶の瞳には、義務感や焦りではなく、深い安寧と知的な自信が宿っている。
首元のチョーカーが、決定的な情報を付け加える。
彼女はアルテミス家の領域にいる。
支配下という言葉が最も正確に見えるほど、明確に。
貴族たちは囁く。
「まさか、リリアーナ様が……あんなに美しく、豊かに」
「憔悴していると聞いていたのに……あれは満ち足りた者の輝きだ」
「王子の軽率な婚約破棄が、この結果を招いたのか……」
囁きはカインの視線で押し殺されるが、好奇心は鎮まらない。
彼らは嗅ぎ取っている。アルテミス公爵の尋常ではない独占欲を。
リリアーナはカインにエスコートされながら、一歩一歩、装備の状態を確認していた。
裏地の暖房魔術は安定。体温維持は最適。
チョーカーの抑制はきつすぎない。外部の結界との干渉もない。
このドレスは飾りではない。彼女の命と秘密を守るための、防御システムそのものだ。
カインが耳元に囁く。
「動揺するな。全て計画通りだ。奴らの視線は、貴女の美しさと――力の片鱗に釘付けになっている」
リリアーナは無言で頷いた。
脳内は、政治的意図と契約履行だけで埋める。
過去の感情は不要。王都で必要なのは、結果と印象だ。
会場の一角。
凍り付いた空気の中、ヘンリー王子とセレナが立っていた。
ヘンリー王子は、以前の自信と輝きを失っている。
国政の軽視と、ヴァイスハイト公爵家の離反で、財政的にも政治的にも窮地。
金髪には精彩がなく、瞳には焦燥と満たされない欲望が滲んでいた。
セレナは、断罪の時の白いドレスではなく、王妃候補として相応しいとされる金糸の豪華なドレス。
だが、彼女には似合っていない。
疲労が濃く、光属性の輝きも以前ほどではない。
貴族社会からの冷遇と、王子の無能さが、彼女を削っていた。
カインは意図的に、彼らの前で足を止めた。
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