第二十九話 契約以上の口づけと、所有の宣言
カインはリリアーナの唇を塞いだ。
深く、熱い口づけ。
契約でも報酬でもない。
これは宣言だ。所有権を、肉体と魂に刻み込むための。
口づけの最中、微かな魔力波動が流れ込む。
闇属性が彼女の魔力回路を鎮め、同時に印のように馴染ませる。
彼女の身体に、彼の魔力が居場所を作っていく感覚。
唇が離れる。
カインの青い瞳は甘く溶けているのに、奥には敵意への炎が燃えていた。
「行こう、リリアーナ。公爵夫人としての業務を遂行する。奴らに見せつけろ」
声が、容赦なく整う。
「貴女が辺境に追いやられた悲劇の令嬢ではないことを。アルテミス公爵の愛と支配の下にある、最も豊かで安全な宝であることを」
リリアーナは、身体の芯から力が湧くのを感じた。
カインの論理と支配に身を委ねることで、この世界の理不尽から守られる。
その理解が、彼女の背筋を伸ばす。
「かしこまりました、カイン様。わたくしは、貴方様の愛と論理の盾となります」
ダイニングルームへ向かう廊下。
リリアーナはカインが用意した菫色と銀のドレスを身に纏っていた。
布は柔らかく、しかし仕立ては強く、肩口から腰のラインまで誇示するように整っている。
そして――彼の管理と高カロリーなスイーツによって、彼女の体つきは確かに豊かになり始めていた。
扉が開く。
待っていたのは、老練な伯爵。
目の奥が冷たい。観察する目だ。
彼はリリアーナが、痩せ細り、目に影を落として現れることを期待していたのだろう。
しかし現れたのは、満ち足りた光を帯び、カインに寄り添う完璧な公爵夫人だった。
伯爵の瞳が、僅かに揺れる。
カインは、リリアーナの腰へ手を回した。
それは親密さであると同時に、境界線の提示でもある。
「ようこそ、辺境へ。ロゼリア王室の使者殿」
冷徹な威圧が、室温を下げる。
「ご用件は、我々の妻リリアーナに関することではないことを願う」
我々の妻
その言葉が、伯爵の口を一瞬止めた。
「……カイン公爵。ご挨拶が遅れました。わたくしは殿下の命により、リリアーナ様が辺境で、王室の恩情による静養を受けておられるかを確認しに参りました」
「静養は完璧だ」
カインは遮った。
そして、リリアーナの頬に指先で触れる。
公的な愛情表現。見せるための手つき。
「見ての通り、私の妻は王都の義務から解放され、この辺境で最高の安寧と幸福を得ている。――この事実を、貴方の主君に報告しろ」
伯爵は言葉を探す。
憔悴の確認に来たのに、目の前にあるのは繁栄だ。
リリアーナは、ここで役割を果たす。
悲劇の元婚約者ではない。
新しい所有者のもとで、満ち足りている妻。
彼女は優雅に微笑んだ。
悲しみも未練も混ぜない、乾いたまでに綺麗な笑み。
「伯爵様、ご心配なく。カイン様は、わたくしに最高の環境を与えてくださいました」
視線を伯爵へ向けたまま、言葉だけを柔らかくする。
「毎日、論理的な管理の下で、幸福に過ごしています。特に……カイン様が私のためにお作りになったお菓子は、絶品です」
伯爵の頬が、ほんの僅かに引きつった。
太ったという情報は、普通なら侮蔑の材料になる。
だがここでは違う。
公爵家の財力と、囲い込みの徹底の証拠になる。
伯爵は理解したのだ。
リリアーナは未練を断ち切った。
そして今、より強力な檻――いや、より強力な庇護の下にいる。
「……承知いたしました。リリアーナ様のご様子、確かに殿下にご報告いたします」
伯爵は早々に退くことを願い出た。
偵察は、カインの圧倒的な独占欲と、リリアーナの満ち足りた姿という予期せぬ成果に終わったのだ。
使者が去った後、カインはリリアーナを研究室へ連れ戻した。
扉が閉じる。外の空気が消える。
「これで、しばらくは干渉は減るだろう」
カインはリリアーナを自分の膝に座らせ、髪へ顔を埋めた。
さきほどまでの支配者の顔が、彼女の香りで僅かに緩む。
「奴らは誤認した。貴女が完全に私の支配下にあると」
リリアーナは、指先で彼の髪を撫でる。
それは世話焼きであり、同時に安定化処置だ。
彼が最も落ち着く方法を、彼女はもう知っている。
「ですが、油断はできない。貴女の力は、魔族との戦いでも最大の鍵になる。貴女の力は私のものだ」
カインの声が、また研ぎ澄まされる。
そして、囁くように続けた。
「私は、この力を使って、貴女と共に――この王国と世界を、私の論理と愛で完璧に守り抜く」
リリアーナは、その言葉の中にある誓いと檻を同時に受け取った。
彼女の聖女の力は、冷徹な公爵の愛によって、永遠に囲い込まれた。
だが、それは彼女にとって、ただ奪われる檻ではない。
外の世界の理不尽から、逃げ切るための最強の壁。
その内側で、研究と管理と溺愛は、静かに――しかし熱狂的に進行していくのだった。
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