第二十八話 王都からの招集、これは公的戦略です
リリアーナの『生命魔力の発現条件の解析業務』が始まって一週間。
カインの研究室は、彼女の存在によって完全にその性質を変えていた。
以前は無機質な魔導装置と、冷たい闇属性の残響だけが支配する空間。
今は違う。壁際には、リリアーナが世話をする鉢植えの薬草が並び、乾燥させた葉の香りがほのかに漂う。
地下にいるはずなのに、精霊樹の清浄な波動が、ほんのわずかに空気を軽くしている。
そして何より――研究室そのものに、カインの内に秘めた熱が、目に見えない圧力として満ちていた。
カインは魔導端末に最終結論を打ち込んでいた。
青い瞳は極度の集中で赤みを帯び、瞬きの回数すら減っている。
「リリアーナ。貴女の魔力は、この世界の法則を逸脱している」
淡々とした声。だが、それは冷静さではなく、制御された興奮だ。
「回復・治癒魔法の根源を書き換える。単なる『聖女の力』ではない。生命の根源に対する、絶対的な支配権だ」
リリアーナは隣で、『イノセンス・リーフ』を乾燥棚から下ろし、薬研に移していた。
指先に微かな痺れが残っている。生命魔力が強まったせいか、触れるものが少しだけ生き生きとして見える時がある。
心臓は、いつもより速い。
自分の力の恐ろしさと――その力を守ると言いながら独占しようとする、カインの圧のせいで。
「貴女が作ったポーションは、私の古傷を瞬時に完治させた」
カインの声が、僅かに低くなる。
「魔族が持つ『腐敗の魔力』に対抗できる、唯一の純粋な生命力だ。数年後に直面する侵攻では、貴女の力が王国全体……いや、大陸全体の命運を左右する」
その言葉と同時に、カインの手が伸びた。
リリアーナの肩を掴み、強く、しかし乱暴ではない力で彼女の顔を自分へ向けさせる。
研究者の眼差しではない。
宝を奪われぬために、先に世界を壊す覚悟を決めた支配者の目だった。
「故に、リリアーナ。この力は、いかなる理由があろうとも、王室、神殿、そして――貴女の父であるヴァイスハイト公爵にさえ知られてはならない」
「承知しています。ヘンリー殿下は、私の力を知れば私を『聖女』として神殿に幽閉し、国を救うための道具として利用するでしょう。そして……再び私を、彼の傍に置こうとする」
リリアーナは呼吸を整え、王妃教育で培った冷静さで答える。
カインの口元が、僅かに歪んだ。
嘲りではない。怒りだ。
「その通りだ。彼は、貴女を『真実の愛』の敵として断罪した。だが、貴女の力が自分の地位を守るのに必要だと知れば……物語を捻じ曲げてでも貴女を奪い返す」
闇属性の圧が、一瞬だけ強まる。
「彼の愛は常に自己中心的で、支配欲に満ちている」
その瞬間、研究室の扉が叩かれた。
厳重な扉。カインの許可なく開くことはない。
つまり、許可を得る前提を破ってでも伝えたい緊急ということだ。
カインの瞳が氷になる。
リチャード執事の声が、扉の向こうから響いた。
「旦那様。王都より特使が到着いたしました。ヘンリー王子殿下の私的な使者と名乗っております。極秘の面会を求めております」
空気が変わった。
精霊樹の波動があるせいで清いはずの地下の空気が、一瞬で刃物のように張り詰める。
カインは息を吐いた。短く、鋭く。
「特使……偵察か。思ったより早い」
舌打ちがひとつ。
彼は即座に分析し、即座に行動へ移る。
リリアーナの手を握り、背中へ庇うように引く。
「リリアーナ。奴らは、貴女が辺境で憔悴しているという王室の公式見解を確認しに来た。そして――」
目が細くなる。
「貴女の父上が動かした名誉毀損の賠償金が、アルテミス家に流用されていないかも確かめに来た。微塵たりとも、我々の目的を匂わせるな」
「わかっています、カイン様」
リリアーナは、胸の鼓動を意図的に落ち着かせる。
怯えた元婚約者でも、哀れな追放令嬢でもない。
見せたい顔は、こちらが選ぶ。
「わたくしは、追放された元・悪役令嬢として、完璧に振る舞います」
「使者をダイニングルームへ通せ。私は五分後に向かう。リリアーナは私と共に謁見する」
カインは扉へ視線を投げ、魔導システム越しに指示を出した。
そして、彼はリリアーナに向き直った。
両手で頬を包み込む。指先が冷たい。だが、力は熱い。
「聞け、リリアーナ。この謁見は、我々の契約を公的に強化するための儀式だ」
言葉の選び方が、既に戦術になっている。
「貴女が誰にも渡らない、私の所有物であることを、あの偵察兵に――そしてヘンリー王子に、徹底的に理解させる」
独占欲が、臨界を越えた気配がした。
守るという名目で、囲い込む。
その方法が最も確実だと、彼は本気で信じている。
「貴女の力は誰にも渡さない。この館から一歩も出ることを許さない。貴女の聖女の力も、知性も、身体も――すべて私のものだ」
リリアーナは、反射的に息苦しさを覚える。
けれど、その息苦しさは、外の理不尽より安全だと、もう知ってしまった。
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