第二十七話 アイシング・ウルフが、なぜか懐きました
アイシング・ウルフの群れの中で、リーダー格と思しき一頭が、ゆっくり近づく。
巨体が雪を踏み、静かに――リリアーナの足に頭を擦り付けた。
威嚇でも屈服でもない。
ただの、懐き。
他の個体も続く。ローブに鼻先を押し付け、尻尾を揺らし、呼吸を落ち着かせる。
彼らは、生命魔力に魅了されたのだ。
リリアーナは恐れず、銀色の毛皮を撫でた。
「ああ、いい子ね。寒いでしょう。ここに居ても、食べ物はないわよ。……あなたたちの居場所に戻って――」
だが、離れない。
それどころか彼らは、リリアーナの周囲に円を作るように陣取り、彼女を守り始めた。
玄関側へ向けられる、警戒の視線。
――カインに向けられていた。
館の入口に立つカインは、完全に凍りついていた。
防衛壁を破壊できるはずの高位聖獣たちが、妻の足元で甘えている。
しかも、妻に近づく自分を牽制している。
彼の論理も権威も、根底から覆された。
「リリアーナ。今すぐ、その獣たちから離れろ!」
声に苛立ちが混じった。
リリアーナはウルフの頭を撫でながら、振り返って微笑む。
「カイン様。彼らはわたくしを守ろうとしています。この愛情表現は、生命魔力の効果の証明です。『聖女の力』の安全性を示す重要データにもなります」
論理の盾。
だが彼女の瞳の奥には、巨大な聖獣に懐かれるというファンタジー的幸福が、きらりと光っていた。
カインは、深く長いため息をつく。
暴力的排除は、リリアーナの実験を妨害する。
つまり――自分が折れるしかない。
彼はゆっくりと歩み寄り、敵意のない魔力波動を放った。
私はリリアーナの仲間だと、獣の本能に理解させるための処置。
アイシング・ウルフたちの唸りが消え、道が開く。
カインはリリアーナの肩に手を置き、耳元で囁いた。
「アイシング・ウルフは集団で行動する。排除できない以上、居座るだろう」
そして、硬い声で続ける。
「貴女の生命魔力は、彼らにとって薬物のようなものだ。……彼らは貴女を離さない」
「困りましたね」
リリアーナは困ったように言いながらも、手は毛皮を撫でるのをやめない。
「リチャード執事たちが怖がるでしょうし、庭園の維持にも問題が……」
「故に、新たな業務だ」
カインは即座に結論を出した。
「貴女は彼らの管理責任者となれ。館の規律を乱さないよう訓練し、統制しろ。生命魔力の応用範囲を探る、重要な実験業務として」
リリアーナは納得した。
家事スキルが、今度は聖獣の世話という形で業務化されたのだ。
「承知いたしました、カイン様。聖獣たちの管理業務、喜んでお引き受けします」
こうして、リリアーナはアイシング・ウルフたちを伴い館へ戻った。
使用人たちは恐怖で固まったが、次の瞬間、涙目でリリアーナを拝むように迎え入れる。
聖女だという確信が、恐怖を上書きしたのだ。
その夜。
カインは研究室で、聖獣管理に関する詳細な規約を書き上げていた。
「アイシング・ウルフは肉食だ。だが、貴女の生命魔力を濃縮した特別食を与えれば、他の魔獣を襲う必要はない。餌の調達はアルテミス家の特殊部隊に任せる」
そして、もっとも重要な条項を淡々と追加する。
「貴女は彼らに毎日、一定時間、魔力を込めたスキンシップを施すこと。これにより依存度を最大化し、貴女からの命令を絶対化する」
目的は、聖獣をリリアーナの護衛として運用すること。
だがその裏にあるのは――二重の囲い込みで、彼女を完全に自分の手の内に収めるという独占欲だった。
カインは書類から顔を上げ、青い瞳で射抜く。
「そして最も重要なことだ、リリアーナ」
声が、妙に冷たくなる。
「聖獣たちが貴女に懐いている姿を、私以外の者に見せてはならない」
「……それは、なぜ?」
「理由は明確だ。彼らが貴女の膝に頭を乗せる行為は、断じて許さない。貴女の膝は、私の休息のための最高効率の回復装置であり――私だけのものだ」
カインは即答した。
リリアーナは内心で苦笑した。
聖獣への嫉妬まで、契約と規約に落とし込もうとする。
この公爵の溺愛は、いよいよ制御不能な領域へ進んでいる。
それでも彼女は、表面上は完璧な契約妻として頷く。
「承知いたしました、カイン様。貴方様との契約を忠実に履行いたします」
そして――彼女は当然のようにカインの膝へ頭を乗せた。
彼の指が髪を梳き、闇属性の膜が彼女の脳波を整える。
同時に、ウルフたちの低い喉鳴りが、扉の向こうから響いた。
新しい業務は増えた。
古代遺跡の解読。
聖女の力の実験。
聖獣たちの統制。
そして――冷徹な公爵と、彼の妻に懐きすぎた聖獣たちの感情管理。
リリアーナの家事スキルは、国を救う聖女の力として、霜降りの館に奇妙で甘い混沌をもたらし始めていた。
溺愛ファンタジーは、予測不能な展開へ。
彼女の自由は、愛という名の最強の檻の中で――豊かに花開こうとしていた。
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