第二十話 太るのも業務ですか?生存戦略です
リリアーナによる食生活改革は、彼女自身が想定していた以上の速度で成果を叩き出していた。
数日単位で記録されたデータは、どれもが異常値に近い改善を示している。
カイン・アルヴァロ・アルテミスの魔力回復速度。
集中力の持続時間。
長時間研究後の精神疲労の回復率。
そのすべてが、リリアーナの計算した理論値を軽々と超えていた。
冷徹な公爵は、もはや魔力ポーションを燃料代わりに飲み干す生活へ戻れないと悟っていた。
一度快適さを知った人間は、それを切り捨てられない。
「リリアーナ。貴女の判断は、極めて優秀だ」
朝の定例会議。
カインは魔導端末を操作し、自身の身体データがグラフ化された画面を彼女に示した。
折れ線は右肩上がりに安定し、過去の数値との差は一目瞭然だった。
彼の声に感情の熱はない。
そこにあるのは、純度の高い性能評価だけだ。
だが、それこそが――
リリアーナが社畜時代、最も渇望し、最も信頼していた評価の形でもあった。
(この感じ……懐かしい)
彼女は、理不尽な現場で結果だけを武器に生き延びてきた。
褒め言葉より、数字。
感謝より、成果。
「ありがとうございます、カイン様。食事は単なる燃料ではなく、最高のパフォーマンスを維持するための戦略です」
カインは満足そうに頷いた。
だが、その視線が端末の別のデータ欄へ移った瞬間、彼の表情にわずかな曇りが生じる。
「……だが、貴女のデータに、依然として異常値が見られる」
「異常値、ですか?」
リリアーナは眉をひそめた。
彼女は王妃教育で叩き込まれた自己管理によって、常に理想的とされる体型を維持してきた。
数値も、健康診断も、どこにも問題はないはずだった。
カインは画面を指さす。
それはアルテミス家が誇る、骨格・筋肉量・体脂肪率を詳細に可視化する最新魔導スキャンだった。
「貴女の体脂肪率は、王都の貴族女性の平均を大きく下回っている。内臓脂肪、皮下脂肪ともに、辺境の冬を越すには不適切だ」
「ですが……王都では、これが理想とされています。体脂肪が低い方が、動作も機敏で、思考も冴えます」
前世の知識と、現世の常識。
リリアーナは自信を持って反論した。
だが、カインの論理は、いつもその一歩先にある。
「それは温暖な王都における見栄えの基準だ。ここはアウロラ領。外気温は恒常的に零度以下。体温維持には、身体内部に断熱材が必要となる」
淡々と、だが容赦なく。
「魔物との遭遇、結界の一時停止、予期せぬ魔力遮断。いずれかが起きた場合、貴女の身体では熱消費に供給が追いつかない。結論として――」
カインは言い切った。
「貴女が痩せている状態は、私の戦略における最大の脆弱性だ」
脆弱性。
その言葉に、リリアーナの思考が即座に切り替わる。
彼女の生存は、プロジェクト成功の前提条件。
ならば改善対象になるのは当然だった。
「よって、この脆弱性を排除する。貴女の契約業務に新たな項目を追加する。適切な体脂肪率の維持と向上だ」
リリアーナの胸が、わずかにざわつく。
――向上。
驚きが隠せなかった。
王妃教育で長年費やしてきた努力を、まるごと否定される感覚。
しかも、改善方法は予想を遥かに超えていた。
カインは魔導端末を操作し、即座に館内放送を繋ぐ。
「リチャード。今日からリリアーナのために、栄養価と精神的満足度の高い間食を一日三回、指定時刻に供給しろ。炭水化物と糖質を優先する」
そして、彼女に視線を戻す。
「リリアーナ。間食を怠ることは契約違反と見なす。供給されたものは、すべて完食しろ」
午後三時。
遺跡解析に没頭していたリリアーナの部屋を、丁寧なノックが叩いた。
リチャード執事が、宝物を運ぶかのような慎重さでトレイを抱えて入室する。
そこに並んでいたのは――
視覚だけで幸福感を叩き込んでくる、完璧なスイーツの数々だった。
濃厚なチョコレートガナッシュのケーキ。
蜂蜜と生クリームを惜しげもなく使ったタルト。
辺境産ベリーを贅沢に包んだ、湯気立つクレープ。
「旦那様からのご命令です。午後の体温維持および脳エネルギー供給業務でございます」
リチャード執事は誇らしげに続けた。
「王都のロゼリア王室御用達パティシエを辺境に招聘し、この館専属といたしました。甘さ、食感、カロリー計算まで、旦那様のご指定通りに……」
リリアーナは、完全に言葉を失った。
太らせるという目的のためだけに、ここまでの手間とコスト。
(……怖い)
これは甘やかしではない。
達成するまで止まらない、執念だ。
ダイニングルームでは、カインがすでに席についていた。
彼の前にも同じスイーツが並んでいるが、手は付けられていない。
「まず、このタルトを完食しろ。午後の研究効率を最大化するための配分だ」
リリアーナは覚悟を決め、タルトを口に運ぶ。
濃厚な甘さが舌を満たし、脳が一瞬で幸福に侵食される。
(ああ……これは……)
前世で、深夜残業のあとに食べたコンビニスイーツ。
あの一瞬の救いが、鮮明によみがえった。
「美味しいですが……この量は……」
「美意識は王都に置いてこい。貴女は、ここで最も豊満で、最も魔力的に安定した身体を獲得しなければならない」
カインは淡々と言い放つ。
彼は自分のスイーツに手を伸ばさず、ただリリアーナを観察していた。
食べる量。速度。表情。
すべてが評価対象だ。
「甘味摂取時、貴女のストレス値は明確に低下する。よって、この時間も研究補助業務だ」
――慣れてきた。
この人は、すべてを論理で包む。
リリアーナは、逆にそれを利用した。
チョコレートケーキを一口食べ、わざと目を閉じる。
「ああ……美味しい。カイン様、こんな完璧なエネルギー源を用意してくださるなんて」
カインの瞳の奥で、かすかな熱が揺れる。
彼はそれを押さえ込むように、カップを強く握った。
「このパティシエは、三日間、貴女の嗜好を再現する訓練を受けている。不満は即座に報告しろ。貴女の満足度が、この館の評価基準だ」
――理解した。
これは栄養管理ではない。
彼自身の満たされない欲求を、彼女の満足で補完している。
リリアーナはクレープに手を伸ばし、そのまま話題を切り替えた。
「体脂肪率向上業務と並行して、遺跡防御結界の件ですが……」
甘い香りの中、カインは即座に研究者の顔になる。
魔導端末に結界構造図を映し出す。
スイーツを一口。
解析を一項目。
その奇妙なリズムの中で、二人の共同研究は深まっていった。
夜。
私室を訪れたカインの第一声は、やはり体調確認だった。
だが、満足はしていない。
「本日の間食と夕食は完食した。体温パルスも安定している。明日からは、夜にも温かい飲み物と高カロリー軽食を追加する」
「……限界です」
「限界ではない」
即答だった。
「貴女は、この辺境の女王となる身体を手に入れる必要がある。貴女が豊かになることが、私にとっての成果だ」
カインは彼女の腰に手を回し、抱き寄せる。
魔力と独占欲が、はっきりと伝わってくる。
「痩せていると、王都の連中は私が貴女を粗末に扱っていると誤解する。ふくよかな体躯こそ、私の愛の証明だ」
公的な見栄と、私的な欲望。
その融合。
リリアーナは、静かに息を吐いた。
「……承知しました。誰よりも豊満な体躯を手に入れることを、お約束いたします」
それは降伏であり、戦略でもあった。
カインは満足し、額に静かなキスを落とす。
「おやすみ、リリアーナ。貴女の休息は、私の魔力が守護する」
一人残されたリリアーナは、胃の重さと魔力の余韻を感じながら天井を見上げた。
(太るという業務。前世では地獄だったのに……)
だが今は、生存戦略だ。
この過剰な甘やかしこそが、彼の愛の形。
甘く、重く、逃げ場のない――
溺愛という名の業務が、彼女の日常になりつつあった。
ブックマーク、★★★★★、リアクション
よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ




