第二話 追放宣言の夜、私は泣かない
ああ、ゲーム通り。
本当に、この王子は視野が狭い。
セレナへの愛に盲目になりすぎて、自分がいま、どれほど国政を揺るがす危機的な事態を引き起こしているのか。
――まるで理解していない。
リリアーナは前世の記憶を頼りに、状況を分析した。
この場で感情的に反論するのは最悪手。
喚き散らし、泣き叫び、婚約破棄を拒否すればするほど、『悪役令嬢』としてのイメージはさらに強固になる。
王子も、セレナも、それを望んでいる。
彼女が醜く足掻くほど、彼らの『正義』は輝きを増すのだ。
リリアーナが動かないため、ヘンリー王子はさらに言葉を重ねた。
セレナの肩を抱き寄せ、その華奢な身体を庇うように立つ。
――庇う、という形で、彼女を使う。
「リリアーナ。貴様は常に私にふさわしい王妃になろうと、義務と格式を私に押し付けてきた。貴様の愛は、地位と権力に縛られた、冷たい打算的なものだ。だが、セレナの愛は違う。彼女の愛は純粋で、無償で、私の心を癒してくれる」
その言葉は、リリアーナの過去の努力を否定するものだった。
公爵令嬢として。未来の王妃として。耐え忍んできた重圧のすべてを、「冷たい打算」で片づける。
リリアーナは常に、王家の名誉を守るため。
そして婚約者である王子の地位を盤石にするため。
貴族社会の裏側で、泥をかぶってきた。
彼女がしてきた「嫌がらせ」や「妨害」とされる行為の多くは、王子の軽率な行動や、王室に対する不利益を――裏で密かに処理するためのものに他ならない。
表の舞台を美しく保つための、影の仕事。
しかし今、その影はすべて『悪行』として跳ね返ってきた。
この世界では、真実など誰も求めていない。
皆が欲しいのは、美しい物語。
そしてそれを彩る、分かりやすい悪役だけ。
リリアーナは静かに息を吸い込んだ。
胸が上がる。指先が少し冷える。
記憶の蘇りによって、彼女の魂は二つに分かれていた。
一つは、かつて王子を深く愛し、裏切りに傷つくリリアーナ。
もう一つは、この世界を俯瞰する冷静な前世の自分。
今、取るべき行動は一つ。
ゲームのシナリオを、ほんの少しだけ捻じ曲げる。
ヘンリー王子は、沈黙を「自分の言葉が核心を突いた結果」だと確信したらしい。
さらに追撃しようと口を開いた――その時。
リリアーナが、わずかに身動ぎをした。
菫色のスカートが、ゆっくりと揺れる。
その動作は優雅で、しかし確かだった。
断罪の舞台の中心で、彼女はついに口を開く。
驚くほど静かな声。
けれど、ざわめきをすべて押しとどめる、不思議な響きを持っていた。
「ヘンリー殿下」
婚約者に対する親愛を込めた愛称ではない。
冷淡な、儀礼的な呼び方。
その変化に、王子は一瞬たじろいだ。
「わたくしとの婚約破棄、並びに貴殿の『真実の愛』宣言。確かに承りました」
感情の欠片も見せない無表情で、リリアーナは完璧に一礼する。
公爵令嬢としての教育の賜物。非の打ち所のない優美な動作。
悲嘆に暮れるどころか、動揺すら見せていなかった。
予想外の反応に、王子の眉がわずかに寄る。
「リリアーナ……貴様、今までの罪を認め、この決定を受け入れるということか?」
「はい。罪状につきましては、貴殿のご判断に委ねます。わたくしが今ここに居るという事実が、貴殿の正義を証明するのでしょうから」
簡潔な返答。
罪を認めたのか、王子の判断を皮肉っているのか。
聞く者によって意味が変わる、曖昧さ。
だからこそ、会場の空気が妙に張りつめる。
悪役令嬢が取り乱す――その予定調和が崩れたのだ。
リリアーナは視線を、王子の隣で怯える演技を続けるセレナへ向けた。
セレナは、一瞬だけ瞳に警戒の色を宿す。
けれどすぐ、青白い『被害者』の表情に戻った。
「そして、セレナ様。貴女が殿下の『真実の愛』であると宣言されたこと、心よりお慶び申し上げます」
淡々と告げる祝福。
皮肉めいて聞こえた者もいれば、背筋が寒くなった者もいたはずだ。
「殿下は、この国の未来を担う方です。貴族としての責務や、王家が背負う重みを――何よりも優先されるべきお方」
リリアーナは、弁明ではなく事実を述べるように続けた。
その口調が、余計に怖い。
「もしその殿下が、公の場でこれほどまでに熱烈な『真実の愛』を宣言されたのであれば……それはもう、貴族の義務や家門のしがらみを超えた、揺るぎない天命なのでしょう」
表向きは肯定。
だが同時に、「責務も重みも捨ててまで選んだ恋だ」と突きつける皮肉が滲む。
王子の顔に、苛立ちが浮かんだ。
リリアーナが感情的にならないこと。
そして、貴族の義務という重い言葉を持ち出したこと。
彼の『純粋な愛の物語』に、水を差したからだ。
「リリアーナ、貴様は最後までそうやって、義務や格式で私を縛ろうとするのか」
「いいえ、殿下」
リリアーナは首を横に振った。
その所作さえ、乱れない。
「わたくしはただ、真実を申し上げております。王族が、その愛のために全てを捨てたのなら――貴賤を問わず、この愛が本物であると国民に示す義務がある。そうでなければ、公爵令嬢の婚約を公然と破棄し、王国の均衡を崩したことへの代償は……あまりに大きすぎましょう」
リリアーナはそう言って、ヘンリー王子とセレナに一歩踏み寄った。
驚きと好奇の眼差しが、四方から突き刺さる。
その中で彼女は、極めて冷たく、しかし決然と王子を見据える。
「貴殿とセレナ様の愛が、王国の未来を照らすほどの『真実』であることを、わたくしは心より願っております」
一瞬だけ、唇の端が弧を描いた。
笑み、と呼ぶにはあまりにも薄い。
「そしてこの度、わたくしは公爵家に戻り、王妃教育という重圧から解放され――安寧の生活を送ることを選びます」
そこにはもう、『王子のものを取り戻したい』という執着はない。
あるのは、運命を受け入れ、次のステージへ進むための意志。
強く、静かで、揺るがない。
リリアーナは再び完璧な一礼を捧げ――背を向けた。
それは断罪された『悪役令嬢』の退場ではない。
自ら舞台を降りる『主役』の姿、そのものだった。
熱に浮かされた王子の『真実の愛』宣言よりも。
彼女の冷徹な一言と、完璧な退場劇のほうが――会場に深い余韻と、政治的な波紋を残していった。
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