第十八話 初めての夕食、まずは厨房改革から
カインとの共同生活が始まって、最初の夕食の時間が来た。
リリアーナは、彼が用意した豪華な私室から、一階にある公爵夫妻専用のダイニングルームへと案内される。
回廊の途中から、空気が少し変わった。
扉の向こう――使用人たちの気配が、期待でざわついているのがわかる。
リチャード執事をはじめ、使用人たちはリリアーナの登場に、期待と感動の眼差しを向けていた。
彼らは本気で、リリアーナがカインの凍り付いた心を溶かす「太陽」だと信じ込んでいる。
だからこそ、リリアーナが一歩踏み出すたびに、空気が「物語」を求めて揺れる。
(よし。求められているのは成果じゃない。演出だ)
リリアーナは公爵夫人として、訓練された完璧な微笑みを浮かべた。
優雅で、親しみがあり、それでいて近づきすぎない。
王妃教育で叩き込まれた「貴族の仮面」が、ここで役に立つとは思わなかった。
ダイニングルームは広大だった。
暖炉の火が室内を照らし、黒い石の壁に赤い揺らぎを映している。
テーブルには、アルテミス家らしい質実剛健な銀食器が並び、装飾より機能を優先した重みがあった。
カインはすでに席についていた。
背筋は真っ直ぐ、姿勢に一切の無駄がない。
彼は視線だけで、リリアーナが入室した瞬間の温度の変化と、使用人たちの視線の向きまで把握しているようだった。
「座れ、リリアーナ。この食事は、貴女の契約における重要な業務の一部だ」
やっぱり言う。
言い方が、いちいち公爵様。
リリアーナは席に着き、運ばれてきた皿を見た瞬間――内心で深くため息をついた。
メインディッシュは、巨大な肉の塊と蒸された根菜。
そして、無味無臭の液体が張られた皿。
見た目は、栄養効率だけを突き詰めた未来の軍用食のようだった。
『おいしさ』という概念が、最初から除外されている。
カインは、その反応を待っていたかのように説明する。
「辺境に生息する魔獣、グラウト・ビーストの腿肉だ。高タンパク、低脂肪で魔力の回復効率が最も高い。根菜は繊維とミネラル補給。液体は魔力ポーションの成分を希釈したミネラルウォーターだ」
誇らしげに、というより、当然の仕様を提示するように。
彼の食事は、完全に燃料補給であり、趣味ではなく、儀式でもなく、ただの作業だった。
リリアーナはフォークで肉を一口切ってみる。
硬い。そして、味がない。最低限の塩と胡椒すら、存在しない。
「……カイン様。非常に効率的ですね」
最大限の賛辞を選んだ。
間違っても『おいしくない』とは言わない。
この人の効率に対する信仰は、宗教に近い。
問いは丁寧に、しかし逃げ道のない角度で。
「しかし、貴方様はこれを毎日召し上がっていらっしゃるのですか?」
「ああ。私の計算によれば、一日の平均的活動に必要な栄養素と魔力補給を、最短時間で、かつ最も安価に摂取できる。私は食事に時間を浪費したくない」
浪費、ね。
そこまで言うなら、彼の生活は呼吸すら浪費として削りそうだ。
リリアーナは理解した。
彼の論理と技術は完璧だ。
だが、完璧すぎて、人間を殺す。
(これでは駄目。脳が常に緊張状態に置かれる。食事で一度も緩まない生活は、長期戦で必ず破綻する)
研究は短距離走ではない。
遺跡攻略は、むしろ持久戦だ。
彼の論理は『今日の最適』を極めるが、『半年後の持続』を軽視している。
そして、それは――リリアーナが追加条項として握った領域でもあった。
「カイン様。わたくしは、この食生活が長期的には貴方様の健康を損なうと考えます」
空気が、僅かに冷えた。
カインが眉をひそめる。
「なぜだ?栄養学的データは完璧だ」
「栄養学は完璧でしょう。ですが、それは生命維持のためのデータです。精神活動を最高の状態に保つには、満足感と色彩、香りの刺激が必要です」
リリアーナは、前世の社畜生活で学んだ崩れないための知恵を、学術理論の顔で差し出した。
「例えば、この肉。最高の素材です。ですが調理が単調すぎる。脳は新しい刺激を求めます。香辛料や酸味を加えれば食欲が増進し、唾液の分泌が促進され、消化効率が上がる。消化器系のストレス軽減は、脳の疲労回復に直結します」
カインは目を細めた。
感情論ではない、と判断した時の目だ。
「論理的に説明してくれ」
「承知いたしました」
リリアーナは、ここで社畜メシの実践知を叩き込む。
「人間は無機質な環境で効率だけを追求すると、必ず精神的な飽和と疲弊を起こします。これを避けるには、意図的な非効率を取り入れる必要があります。五感の刺激は、脳に『安全』と『回復』を錯覚させ、結果として集中の持続時間が延びる。特に辺境のようなストレスの高い環境では、食事による精神的回復が、長期的な効率維持の鍵です」
カインは、沈黙した。
彼の思考回路が『効率』と『持続可能性』に反応しているのが分かる。
リリアーナの主張は、単なる好みではなく、パフォーマンス維持のためのリスクヘッジとして成立していた。
「……良いだろう。試行期間を設ける」
カインは淡々と告げた。
「貴女の提案する食事改革が、一週間の集中力と魔力回復速度を向上させた場合、貴女にメニュー立案権限を与える」
(勝った)
リリアーナは表情を崩さず、内心で小さく拳を握った。
論理で通した。この男には、これが一番効く。
翌朝から、食事改革が始まった。
リリアーナはリチャード執事と料理長を呼び出し、厨房へ向かった。
公爵夫人が厨房に入る――その前代未聞に、使用人たちは青ざめたり目を輝かせたり忙しい。
だが、カインの「リリアーナの要望は私の命令と同等」という一言が、全てを黙らせた。
「料理長。貴方の腕は素晴らしい。ですが、カイン様は単調な食事で精神的な飽和状態にあります。脳に喜びの刺激が必要です」
リリアーナは、王都から運ばれた香辛料と、辺境で採れる食材を並べながら指示を出す。
彼女が最初に着手したのは朝食だった。
これまでのカインの朝食は、高栄養の蒸しパンと冷たい乳製品。
速い、安い、終わり。回復は置き去り。
リリアーナはそれを、続く朝食へ作り替える。
色彩豊かな温野菜と、魔獣肉の濃厚ポタージュ。
鮮やかな根菜とキノコを軽くソテーし、レモンバームで香りを立てる。
肉は時間をかけて煮込み、香草と少量の乳で滑らかに仕上げる。
盛り付けは、皿の上に温度が見えるように。
朝のダイニングルーム。
カインは運ばれてきた皿を見て、訝しげに眉をひそめた。
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