第十七話 衣装も魔道具も、全部『最適化』済みでした
そして彼は、そのまま隣接するドレッシングルームへとリリアーナを導いた。
ドレッシングルームは私室と同じく、紫と銀で統一された豪華な空間だった。
そこに並ぶのは、王都から届いたばかりの衣装。ドレス、ローブ、コート、手袋、靴。
下着類まで、サイズも素材も完璧に揃っている。
「これらはアルテミス公爵家が貴女のために用意した新しい衣装だ。過去の衣装は全て王都に置いてきたと聞いている。貴女の体温、肌の色、この辺境の寒さに最適化した素材で仕立て直させた」
最適化。
出た。彼の便利な免罪符。
「カイン様。わたくしは辺境で隠遁生活を送るのですよ。社交の機会など、ほとんどないはずですが……」
「ある」
即答。
「間もなく王室から派遣された使者や、周辺貴族の当主たちが、結婚を祝う名目で館を訪れる。彼らは貴女が憔悴し、無様な姿を晒すことを期待している。貴女が完璧な公爵夫人として迎え撃つことは、アルテミス家の名誉、そして貴女の地位を盤石にするための重要業務だ」
社交すら防御として扱う。
合理的で、腹が立つほど正しい。
その上で、カインは一着の絹のナイトローブを手に取り、差し出した。
薄いのに暖かい。繊細な魔力が織り込まれ、触れただけで体温が整う感覚がある。
「特に、寝室での業務は重要だ。貴女は常に最高の状態で、私を迎え入れる必要がある」
リリアーナの頬に、熱が走った。
公的社交は業務で処理できる。
しかし寝室での業務は、彼の私的欲望と契約の境界を意図的に溶かしてくる。
(彼は、どこまでが論理で、どこからが欲望なのか、境界線が曖昧だ。そして全部を業務として押し付けてくる気なのね)
彼女が受け取った瞬間、カインは淡々と追加情報を叩き込んだ。
「このローブは最新の魔導織物だ。着用すれば、私の魔力と常時連動し、貴女の体調変化を私に伝える」
「――連動?つまり、わたくしの体調が常時、貴方様に監視されるということですか」
「監視ではない。管理だ」
訂正の仕方が、ひどくカインらしい。
「生命活動を最高の状態に保つための遠隔保護だ。発熱すれば自動で冷却魔術を発動する。魔力を消耗すれば、私の魔力をローブを通して供給することも可能だ」
リリアーナは息を飲んだ。
世話焼きの範囲を完全に超えている。
技術で、彼女の体を自分の管理圏内に置く。
これは支配であり、溺愛の極致だ。
「カイン様……わたくしは、そこまでして管理されることを望んでおりません」
社畜時代、過干渉は最悪のストレスだった。
カインは、抗議に対して瞳を細める。冷たく、鋭く。
「契約を忘れたか、リリアーナ。貴女は私の妻だ。我々の戦略は、貴女の命あってこそ成立する。私は貴女という資産の価値を最大化するために、全ての手段を講じる。このローブの着用は、私の最優先命令だ」
資産。価値。最大化。
言葉は冷たいのに、やっていることは過剰な保護。
彼の愛は、論理の鎧を被った独占欲だ。
リリアーナは、深い溜息をついた。
敗北を認める溜息ではない。
戦略を切り替えるための溜息だ。
(駄目だ。この男は、自分の溺愛を、合理的な管理という名目で正当化している。私は研究パートナーという名の、最高の檻に入れられた宝物だわ)
なら、対抗策は一つ。
彼の論理に、彼の武器で殴り返す。
リリアーナはナイトローブを抱えたまま、顔を上げた。
「わかりました、カイン様。このローブは着用します。貴方様の管理に従いましょう」
カインの目が、僅かに緩んだ。
彼は従順が好きなのではない。
計画が予定通りに動くことが好きなのだ。
そしてリリアーナは、そこで終わらせなかった。
プロの交渉人の顔に切り替える。
「その代わり、カイン様」
「……続けろ」
「貴方様が私の体調管理にこれほど執着されるのであれば、わたくしからも貴方様への管理を義務付けさせてください」
カインが眉を上げた。
興味の色――否、計算の色だ。
「私への管理?何を求める」
「第一に、食事の時間の確保です。貴方様も、魔力ポーションで済ませがちだとリチャード執事から伺っています。これからは、わたくしと共に毎日三食、定時に食事を摂ってください。公爵夫妻としての対外的な愛の物語を維持するための重要業務です」
カインの瞳が僅かに揺れる。
執事からの報告が、ここで自分に刺さるとは思っていなかったのだろう。
「……論理的には合理的だ。二人で食事を摂ることは、情報共有の場にもなる」
「第二に、休息の義務化です。貴方様は私より遥かに魔力を消耗しています。わたくしが休息を取る時間には、貴方様も研究室から離れて、この館で休息を取ることを義務付けます」
反撃は、完璧な論理武装だった。
カインは沈黙し、数秒だけ考え、そして小さく頷いた。
「承知した。貴女の提案は、我々の戦略の持続可能性を高める。この二点を追加条項として認めよう」
リリアーナは、胸の奥で静かに勝利の旗を立てた。
これで彼女は、過剰な世話焼きを受け入れる代わりに、彼自身の健康を管理する正当な理由を得た。
つまり、彼の暴走を業務として抑制できる。
カインはそれ以上何も言わず、部屋を出ていこうとした。
扉が閉まる直前、彼はふと振り返る。
「リリアーナ」
「はい、カイン様」
「貴女の笑顔は、私の予想した計算値よりも高い効率を発揮している」
リリアーナは一瞬、理解に遅れた。
笑顔が、効率。
報酬を効率と呼ぶ、彼なりの照れ隠し。
「今夜は十分な休息を取れ。明日からの研究に期待している」
彼の口元に、微かな微笑みが浮かんでいた。
氷が、ほんの一瞬だけ溶ける程度の。
扉が閉まる。
リリアーナは静かな部屋で胸に手を当て、言語化する。
彼女の契約結婚の業務は、甘やかされることではない。
甘やかしを、論理で受け止め、彼に喜びという対価を支払うこと。
さらに、その歪んだ管理を、同じ業務で相殺してやること。
(私はこの公爵様にとって、世話焼き対象兼、研究パートナー兼、愛の証明……三重役。社畜時代より面倒な業務だわ)
なのに口元には、諦めではなく挑戦の笑みが浮かんでいた。
どこまでこの不器用な完璧主義者を運用できるか。
それは古代遺跡の探求に劣らない、スリリングなゲームだ。
リリアーナはナイトローブを手に取り、その冷たい絹の感触を確かめた。
そこに織り込まれた魔力が、静かに脈打つ。
彼の魔力と繋がる――ということは、彼が今この瞬間も、彼女の存在を確認できるということ。
(まったく……面倒で、最高だ)
雪深い辺境で、過剰な溺愛という名の業務が、今日も律儀に始動する。
そして同時に、遺跡攻略プロジェクトもまた、着実に前へ進み始めていた。
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