第十六話 初日の朝から、過保護な管理業務
リリアーナが『霜降りの館』に来て一夜が明けた。
豪華な私室は、目覚めた瞬間から『研究に最適化された密室』だった。
外の雪と冷気を完全に遮断する魔導結界。一定温度を保つ暖炉。光量まで調整された魔導ランプ。
そして何より――ベッドサイドの魔導情報端末が、朝から彼女の脳を起こしてくる。
端末の中には、カインが既に解析を終えた膨大な基礎データと、リリアーナが昨夜立てた仮説に対するシミュレーション結果が格納されていた。
それだけではない。仮説の弱点候補、代替ルート、想定される魔導反応の例外パターンまで、整理されている。
「……準備が、完璧すぎる」
リリアーナは素直に感嘆した。
カインは情報を持つだけでなく、使い方まで最短の成果へ配置する。無駄がない。迷いがない。
そして、恐ろしいことに、彼の無駄のなさは、リリアーナの思考癖と完全に噛み合う。
「本当に、彼は最高のビジネスパートナーだわ。彼となら、遺跡は確実に攻略できる」
口に出してしまってから、リリアーナは自分の声の弾みを自覚した。
研究の熱が上がると、感情の制御が雑になる。
――悪役令嬢としては失格。研究者としては満点。
彼女は気づけば、朝食どころか水分補給すら忘れていた。
王妃教育時代も、社畜時代も、仕事が優先だった。
空腹は後で処理するが、身体に染みついている。
コンコン、と控えめなノックが響いた。
返事をするより早く扉が開き、カインが入室した。
彼は朝から冴え冴えとしていた。冷たい青い瞳は、部屋に入った瞬間から、端末の表示とリリアーナの視線の動きで進捗を把握しにかかってくる。
「おはよう、リリアーナ」
「おはようございます、カイン様。ちょうど今、貴方様のデータを統合し終わったところです。午前中に最初の進捗会議を開きたいのですが、いかがでしょうか?」
リリアーナなりの最適解だった。
熱がある時に詰める。勢いがあるうちに会議を挟み、論理の穴を潰す。
――しかし、カインは端末に一瞥もしなかった。
彼はリリアーナの手から魔導端末を取り上げ、無言でテーブルに置く。
続けて、彼が自分で運んできたらしいトレイが、同じテーブルに置かれた。
温かいスープ。焼き立てのパン。栄養価の高いフルーツと乳製品。
食欲を刺激する香りが、研究の熱に負けずに鼻腔を支配する。
「会議は、貴女が食事を終えてからだ」
命令だった。
リリアーナは目を瞬かせる。
「貴女は朝食を摂っていない。私は貴女の体調管理を、この戦略における最重要事項と定めている。貴女が栄養失調や過労で倒れれば、計画が頓挫する」
カインは事実だけで殴ってくる。
反論の余地がない。
「カイン様、その必要はございません。執事かメイドに頼めばよかったでしょう。わたくしは魔力ポーションで最低限の栄養補給は済ませています」
「論外だ」
即答。容赦なし。
カインは彼女の前の椅子を引き、座るよう促した。
促す、というより座らせるに近い圧がある。
「ポーションは緊急時のものだ。消化器官を満足させるものではない。体内環境の安定は、最高の思考力を維持するための基本条件だ。私は貴女の思考を最高の状態に保つ義務がある」
義務。
そう言えば、彼は何でも正当化できる。
さらにカインは、スープの温度を確かめ、スプーンを置いた。
まるで、徹夜続きの部下を監視しながら栄養を流し込む、異様に有能で異様に過保護な上司みたいだ。
「食べろ。貴女の集中力は、食事に集中する時間さえ惜しむほど高い。それは美点だが、私の管理下では許されない欠点だ」
リリアーナは、思わず笑いそうになった。
管理下では許されないという言い回し。
どこまでが契約で、どこからが彼の趣味なのか、境界線が曖昧すぎる。
(これは、私が想定していたドライなビジネス契約じゃない。契約という名の枷で、私を徹底的に甘やかしてくる気ね)
スープを口に含む。
身体の芯がほどけるように温まった。塩分も脂も、ギリギリまで脳に効く配合だ。
美味しい。悔しいくらいに。
「美味しいです、カイン様。さすが、貴方様の館の料理です」
素直な感想が出た瞬間、カインの青い瞳がわずかに揺らいだ。
冷徹な仮面の下に、ほんの少しの満足が覗く。
「当然だ。貴女の舌の感覚は執事から報告させている。好む温度、塩分、香草の比率。全て魔導調理器で調整している」
当然と言い切る。
そのくせ、どこか嬉しそうなのが厄介だ。
「……報告、ですか」
「必要な情報だ」
必要、で片付ける。
彼の辞書には、遠慮という単語が存在しないらしい。
食事を終えると、ようやく研究会議が始まった。
カインはリリアーナの仮説に対し、鋭い指摘を次々投げる。
仮定の抜け。前提の曖昧さ。データの偏り。魔導反応の例外。
リリアーナは即座に補強し、修正し、カインの論理に噛みつき返す。
議論は熱を帯びた。
否定ではない。破壊でもない。
互いの知性が噛み合って、歯車が回る音がする。
――気づけば日が傾き始めていた。
「カイン様。本日の議論は非常に有意義でした。これで、アウロラ領の遺跡解析に本格着手できます」
満足して立ち上がった瞬間、背中に手が当てられた。
止められた、というより戻された感覚。
「待て」
「……はい?」
「貴女はこの後も研究を続けるつもりか」
「はい。この興奮が冷めないうちに、もう一度データを統合したいのです」
「許可しない」
短い。強い。逃げ道ゼロ。
「貴女は一日の労働時間を超えている。人間の脳は一定時間以上の連続集中で効率が急激に低下する。貴女の最適な休息時間は、既に計算している」
リリアーナは反論しかけた。
社畜時代、三日連続徹夜など珍しくなかった。
だが、その反論は彼の論理に瞬殺されるのが分かっている。
カインは、さらに刺してくる。
「貴女は私の管理下にある。契約を破棄するつもりか」
「……いえ、もちろん」
「ならば私の指示に従え。今日から貴女の夜の業務は、研究ではない。休息と、公爵夫人としての社交の準備だ」
ブックマーク、★★★★★、リアクション
よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ




