第十五話 辺境開拓プロジェクト、静かに始動
その言葉は、保護の宣言に見せかけた、完全な囲い込みの宣告だった。
ヴァイスハイト家の庇護から離れた結果、彼女は今、より強大でより独占的な傘の下へ収まった。
リリアーナは、冷静を取り戻すために最重要項目へ切り替える。
必要なのは感情整理ではない。契約条件の確認だ。
「一つ、確認させてください。カイン様」
「何だ」
「この部屋は、わたくし専用の私室と認識してよろしいのですね?」
カインの瞳に、わずかな混乱が走った。
リリアーナの意図――逃げ場の確保が、即座に理解できなかったのだろう。
「もちろんだ。貴女のプライバシーは尊重する。私とて、四六時中貴女のそばにいるほど暇ではない」
リリアーナは内心で安堵した。
社畜時代に学んだ最大の教訓は、心身の維持に必要なのは自分だけの空間だということ。
契約結婚だろうと、そこが保証されるなら処理できる。
――しかし、その安堵は次の一言で砕けた。
「だが、貴女が私を必要とする時、あるいは私が確認を要すると判断した時は、いつでも入る」
カインは淡々と続け、視線をベッドへ移した。
「そして、公的な場では我々は愛し合う夫婦として振る舞う必要がある。その物語を維持するため、貴女はいつ求められてもいいよう準備をしておく義務がある」
リリアーナは瞬きを一つ。
顔色ひとつ変えずに問い返す。
「……それは、契約の範囲内、ということでしょうか」
カインは満足げに頷いた。
合理的な確認を好む男だ。そこだけは助かる。
「そうだ。安全と自由、研究環境の提供。その対価の一部だ。貴女は支払う義務がある」
そして、言葉を強調する。
「リリアーナ。貴女は私の妻だ」
私のが、やけに重く響いた。
魔力が言葉に乗る。空間に刻むみたいに。
リリアーナは理解する。
彼は感情を求めない代わりに、存在と、公的な証明を求める。
――過去のお心残りを、現実の形で回収するために。
(欲望を、最も論理的で回避不可能な『契約』という形で実現する。極めて危険……でも、この危険性が、私の安全を保障する盾にもなるかもしれない)
リリアーナは決めた。
目的は生き残りと遺跡探求。
そのために必要なら、愛の演技を職務として遂行する。
「承知いたしました、カイン様。わたくしは、この契約を履行します」
宣言した瞬間、思考は仕事へ切り替わる。
ストレスを仕事で上書きする。
元社畜の、最も確実な防御機制。
「早速ですが、カイン様。アウロラ領の遺跡解析に取り掛かりたいのです。明朝、この館の全資料に目を通し、最初の会議を開かせていただきたい。よろしいでしょうか」
カインは一瞬だけ驚いたように目を細めたが、すぐに冷徹へ戻った。
「構わない。貴女の切り替えは期待通りだ。研究員と魔導師団の配備は既に手配してある。貴女の指示ひとつで動ける」
一歩下がり、深い一礼。
敬意の形だけは完璧だ。
「まずは休息を取れ、リリアーナ。明日から、我々の戦略を開始する」
扉が閉まり、部屋に静寂が落ちた。
リリアーナは巨大なベッドに腰を下ろす。
豪華さと独占欲の残滓に包まれながら、呼吸を整えた。
(追放された結果が、これか……最高の環境、最高のバディ、そして最高の保護者。自由を制限する鎖かもしれない。でも、この鎖は、王子の手から私を守り、研究を成功させる保証でもある)
視線の先には、魔導情報端末。
リリアーナはすぐに手に取り、起動した。
画面に表示される。
「USER:LILIANA」
統合された研究ログ。カインが提供した資料。館内の文献リスト。
仕事のための檻が、完璧に整っている。
魂が、歓喜していた。
彼女は今、この辺境で、最強の待遇を得た研究主任だ。
「よし。バッドエンド回避どころか、最高のスタート。カイン様……貴方様の期待以上の成果を出します。それが、この部屋と契約の対価ですから」
指が、古代魔法文献のデータを貪るように読み進める。
この非現実は、もう日常に変わり始めていた。
――そして、その裏で。
扉の向こう、廊下の影にいる男が、静かに耳を澄ませている。
彼は確認だと言い訳しながら、足音も立てずに彼女の気配を確かめていた。
安全が確かめられるまで、眠れない。
それが彼の契約履行であり、彼にとっての愛の証明だから。
雪深い辺境の館で、共同プロジェクトは静かに、しかし確実に始動した。
それは同時に、氷の公爵が長年凍らせてきたものが、ゆっくりと形を得ていく始まりでもあった。
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