第十二話 氷の館「霜降りの館」へようこそ
カインの魔導馬車が雪に覆われた森を抜けた瞬間、視界が一気に開けた。
谷間に沿って霧が溜まり、白い息が漂うほど冷え切った空気の底――その中心に、黒と青の石で築かれた館が沈むように建っている。
アルテミス公爵家の領地内。
カイン個人の研究と活動の拠点、私邸『霜降りの館』。
王都の貴族邸が『見せるための豪奢』だとするなら、これは『守るための堅牢』だった。
外壁は黒い石と青みがかった大理石で、装飾的な彫刻はほとんどない。
窓は小さく、扉は分厚い。
寒さも侵入も、最初から想定して叩き潰すような構え。
――まるで、カイン・アルヴァロ・アルテミスという人物の内面を、そのまま建築にしたみたいだ。
冷徹な合理主義。外部を拒む閉鎖性。
そして、必要なものは必ず手元に置くという執着。
馬車が正面玄関前に止まり、魔導機構の唸りが消える。
外界の静寂が、戻ってきた。
リリアーナは深く息を吸い、ゆっくり吐いた。
馬車の中で交わされた契約結婚の提案と、最後に見せられた強烈な独占の気配を、頭の中で整列させる。
(あの口づけは、社交辞令じゃない。契約成立の署名――いや、印章だ。彼は「私物」となった私を守るつもりだ。守る、という名目で囲い込む。……なるほど。これがこの世界の『溺愛』という現象か。社畜の私にとっては厄介だけど、強力な保護プログラムでもある)
先に降りたカインが扉を開けたまま、手を差し伸べる。
館の魔導ランプの光を受けて、銀髪が青白く光る。
「着いたぞ、リリアーナ。ここが、当面の拠点だ」
声は馬車の中よりさらに冷たい。
公的な仮面――氷の公爵の声音。
リリアーナも、公爵夫人に相応しい温度を纏って、その手を取る。
「ありがとうございます、カイン様」
馬車から降り立った瞬間、視線が集まった。
玄関前に、十数人の使用人が整列している。
濃紺に銀のラインが入った制服。一糸乱れぬ姿勢。
規律が、空気として立っている。
だが――表情だけが、妙だった。
緊張は理解できる。カインは完璧を求めることで有名だ。
些細なミスも許さない、冷酷な主。
使用人が張り詰めるのは当然。
けれど、彼らの目は赤い。
メイドの何人かは涙を堪えるように口元を押さえ、護衛兵まで目元を腫らしている。
(……なぜ泣くの?私は彼らにとって他人のはず。追放された元婚約者を連れてきたから?同情?それにしては、感情の向きが違う)
カインは列の先頭に立つ執事へ、簡潔に命じた。
「リチャード。この方はリリアーナ・ヴァイスハイト。今後、アルテミス家の人間として最高位の敬意をもって扱え。彼女の要望は、私の命令と同等と見なす」
「……は、はい。旦那様!」
執事リチャードは老齢で経験豊かに見えるのに、その瞬間、顔色が変わった。
驚きではない。
動揺だ。しかも、長年抑えてきたものが決壊したような。
リチャードは深く頭を垂れた。
「ようこそ、リリアーナ様。この度の王室からの不当な仕打ち、心よりお見舞い申し上げます……しかし、この館へお越しいただいたことは、わたくしどもにとって、何よりも喜ばしいことでございます」
最後の言葉が、震える。
そして、後ろの列から、すすり泣きが波のように広がった。
(喜ばしい?この反応は、私への同情じゃない。主――カイン様に紐づいた感情だわ)
カインは過剰な反応に一切動じず、リリアーナの背中に手を添えて館内へ促した。
公的な場にしては、触れ方が親密すぎる。
――所有を示す手つき。
リリアーナは一瞬だけ、背中の温度の違いを意識してしまい、すぐに意識を切り替えた。
広大なエントランスホールに入る。
床は冷たい石。天井は高い。
空気が、しんと凍っている。
ここは住まいというより、要塞だ。
リチャード執事が、緊張と感激が混ざった声で恐る恐る口を開いた。
「旦那様……リリアーナ様をお連れくださったこと、誠に……これで、旦那様が長年抱えておられた、その、お心残りが、少しでも……」
カインの視線が刺さり、執事は言葉を飲み込んだ。
だが、途中まででも十分だった。
(お心残り……カイン様の?)
前世の記憶が、瞬時に補完する。
幼馴染。陰から見守る悲劇のサブキャラ。
リリアーナが王子を選んだことで、選ばれなかった側に回った男。
それでも彼は、彼女を切り捨てない。
献身と執着。カインルートの核。
リリアーナは使用人たちの涙と、その言葉を繋いだ。
そして、つい分析結果を、口に出してしまった。
「なるほど……カイン様は、使用人たちにも、わたくしへの深い愛情を隠していなかった、ということですか」
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