第一話 卒業舞踏会、悪役令嬢は断罪される
王立学園の卒業記念舞踏会。
それは王都の貴族社会で最も華やかで、同時に最も残酷な社交の場だった。
会場の中心。きらびやかなシャンデリアの真下。
そこに、リリアーナ・ヴァイスハイト公爵令嬢は立たされていた。
豪華なサテンとレースで仕立てられた淡い菫色のドレスが、光を受けて艶やかに揺れる。
けれどその輝きは、祝福のそれではない。
彼女を飾るための光ではなく、晒し者にするためのスポットライト――そんな冷たさがあった。
目の前に立ちはだかるのは、婚約者である第一王子、ヘンリー・フォン・ロゼリア殿下。
太陽の光を集めたような金色の髪。冷徹なまでに青い瞳。
その視線がいま向けるのは、愛ではなく憎悪だ。
偽りの『正義』の熱で、彼女を射抜くように燃えている。
「リリアーナ・ヴァイスハイト!」
王子の声が、会場のざわめきを一瞬で凍らせた。
王族としての威厳を最大限に込めた、絶対的な断罪の響き。
数百人の貴族、学園関係者、そして王族が見守るこの公の場で――悪夢が幕を開ける。
「貴様がこれまでに犯した数々の罪状、今ここで衆人環視のもと、全て白日の下に晒す!」
王子の隣には、一人の少女が寄り添っていた。
セレナ。特待生として学園に入学した、平民出身の少女だ。
絹のような茶色の髪は控えめに編み込まれ、白い質素なドレスが彼女をいっそう清らかに見せる。
リリアーナの豪奢な装いとは対照的で――まるで、最初から役割が決まっているみたいだった。
セレナは青白い顔で肩を震わせ、王子の背中に隠れるようにしてリリアーナを見つめている。
怯えた眼差し。か細い呼吸。
その一つひとつが、私は被害者ですと語っていた。
「第一に、貴様は学園内でセレナに対する陰湿な嫌がらせを繰り返し、彼女の学業を妨害した」
「第二に、貴様はセレナの私物を盗み、それを自身の侍女に濡れ衣を着せようとした」
「第三に、そして何よりも許しがたいのは、貴様が、私の真の愛を認めず、自らの権力と地位によってセレナを退学させようと画策したことだ!」
次々と読み上げられる『罪状』の羅列。
――ゲームのシナリオ通り。
耳障りな王子の声を聞きながら、リリアーナの心の内側だけが、氷のように静まっていく。
数時間前まで、彼女は深い絶望と、婚約者を失う恐怖に苛まれていた。
胸の奥が、張り裂けそうで。息をするたび、痛くて。
「どうして……」と、何度も何度も、言葉にならない声を呑み込んだ。
けれど――ヘンリー王子が三つ目の罪状を口にした、その瞬間。
強烈な光が、頭蓋骨の内側で弾けた。
――違う。そうじゃない。私は、知っている。
閃光のように流れ込んできたのは、前世の記憶。
日本人としての自分。漫画や小説を愛し、特に乙女ゲームに熱中していた自分。
そして、目の前で展開されているこの状況こそ――夜通しプレイした『光と闇のアリア』の、最も有名な『断罪イベント』そのものだと。
リリアーナ・ヴァイスハイト。
彼女はそのゲームにおいて、主人公セレナをいじめる典型的な『悪役令嬢』。
この後、王子に婚約破棄を言い渡される。
公爵令嬢の地位を剥奪され、国外追放――あるいは修道院送り。
そういう運命が、最初から用意されている。
記憶の蘇りは、絶望を一掃した。
絶望は、未来が見えないからこそ生まれる感情だ。
しかし、彼女には未来が見えてしまった。
定められたバッドエンドのルート。
そこから逸脱するために必要な行動。
それらが冷徹なデータとなり、脳内で組み上がっていく。
情緒ではなく、設計図として。
紫水晶のような瞳の色が、微かに深みを増した。
けれど、その変化に気づく者は誰一人いない。
誰も彼女を見ていないのだ。見ているのは、『悪役』の役回りだけ。
ヘンリー王子は、糾弾の最終局面へと移行する。
顔は高揚し、正義の執行者としての役割に酔いしれているようだった。
「リリアーナ!もはや貴様を公爵令嬢として、そして何よりも王家の妃候補として認めるわけにはいかない!」
王子は右手を大きく振りかぶり、リリアーナを指差す。
「よって、ここに――貴様との婚約を、正式に破棄する!」
会場が、深い息を飲む音と微かなざわめきで満たされた。
ヴァイスハイト公爵家は、建国以前から続く由緒ある大貴族。王室の強固な支持基盤の一つ。
その令嬢に対する公然たる婚約破棄は、単なる色恋沙汰では済まされない。政治的な大事件だ。
――なのに。
リリアーナは動かなかった。
ただ、口元をほんの少し吊り上げるだけ。
滑稽だ、と胸の奥で呟く。
公私を混同し、一時の感情で国政の均衡を崩そうとしている。
これが未来の国王となるべき人間の姿なのか。
ヘンリー王子は、その無反応を罪を認めた証拠と解釈したのだろう。
勝利を確信したような傲慢な笑みを浮かべ、今度は隣のセレナへと優しく視線を移す。
「そして、聞け。ここにいる全ての者たちよ」
王子は、まるで吟遊詩人のようにドラマティックに声を響かせた。
貴族社会のしがらみも、義務も、全部打ち破る――純粋で高潔な『愛』を宣言する決意が、その声には満ちている。
リリアーナから、セレナへ。
王子の心は完全に移り変わったのだ、と言わんばかりに。
王子はセレナの手をそっと取り、華奢な指先に優しく口づけを落とした。
セレナは顔を赤らめ、羞恥と歓喜がない交ぜになった表情で俯く。
その仕草さえも、舞台の演出みたいだった。
「この、心清きセレナこそが、私の魂が探し求めていた真実の愛である!」
『真実の愛』の宣言。
それはただの恋人関係を意味する以上に、ロゼリア王家では重い言葉だ。
王妃の座、あるいはそれに準ずる特別な地位を約束する、公然たる誓い。
公爵令嬢を断罪し、平民出身の特待生を次期王妃候補として衆目に晒す。
貴族社会のヒエラルキーに対する、王子からの宣戦布告――そう言って差し支えない。
ざわめきは波となって広がり、やがて轟音に近い騒乱へと変わっていった。
古株の貴族たちは顔色を変え、中には憤怒のあまり体を震わせる者もいる。
ヴァイスハイト公爵家を支持する派閥の者たちが今にも口を開きそうになるのを、リリアーナは冷めた目で見つめた。
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