高級懐石よりもサブレに感動を覚えてしまう
ふと思ったことを追加してみました。
幸せに暮らすってどんな生活のことを言うんだろう。例えば美味しいものとか贅沢な体験に慣れてしまったら、幸せは目減りするんだろうか。
最近、ふと頭に浮かんでくる考えです。
いま私は、割と安定して暮らせています。身体に負担が少なく働けているし、心も穏やか。
もともと、私生活では一人で静かに暮らしているおかげでストレスは殆どありません。職場は色々と思うところはあるけれど、目を瞑れる範囲だと思ってます。
転職前よりも気力体力がともに余裕のある状況で、じゃあこれより上は? というか、この先の老年期を見据えて何か継続して深めていけるものを、と思いながら食器を集めて拙いなりに使ってみたり、天然石アクセサリーを集めては天気の良い日に眺めて見たりしておりました。
だけど、それももうおそらく十分なのかも知れません。
これも趣味と言っていいんでしょうけど、近場でホテルステイをまたしてきまして。そこで、今までの人生では最高金額で和食懐石を食べました。
食事自体はとても美味しかったです。
けれど、私はべつに自分をグルメだとは思っていませんが、それでも期待を大きく上回らなかったといいますか。
質も量も満足してますし、配膳も細やかに心配りされていました。
食事に問題はないと思います。
ただ、自分が食や食器に簡単に心が動かなくなっていることを感じまして。
この食器はこのくらいのものだろう、ということが、佇まいや質感で何となく伝わってくる。自惚れているのかもしれませんが。
使われている食器は良いものもあるけど、全てではないなーとか。宿としたら食器は消耗品でしょうし、それはそうかと思ったり。
少しばかり、複雑な気持ちになりました。
その宿のお部屋は重厚で多少陰鬱さもあり、古さを感じます。提供される飲食が豊かで、いつもお腹が満ちている、贅沢な気分を味わえます。
結局、その宿で最も印象に残ったのは、早朝に鳥の囀りを聞きながら入った部屋付きの露天風呂と、お茶菓子のきんつばと、素朴なサブレでした。
きんつばは小さいけれど小豆の味が濃くて、ちゃんと甘いけど甘過ぎないもので緑茶によく合っていました。
そして特にサブレは、私が定期的に食べたくなる、自分の中で「炎の風味がある焼き菓子」と呼んでいるものです。
私は本物のバターを豊かに使っている、オーブンの炎の気配を感じる焼き菓子が好きなんです。実際に焼いているのはガスではなく、電気オーブンなのかも知れませんけど。
きっと私が炎の気配を感じているのはバターの焼けた香ばしい風味だと思います。
とにかく、その風味があるものが好きなんですよね。
これはこれで、良い経験をしたと感じています。
冒頭に戻りますが、幸せな暮らしと言うものを、私は今現在していると思っています。
けれども知りすぎた、というべきなのか。
食器や料理に対して、前よりも感じ取れるものが増えました。それ自体は私の成長だと思います。
それでガッカリすることがないならいいのですが。
はじめて体験したときの感動を、色々と経験してるが故にだいぶ感じなくなったのかなと思うと、少しばかり寂しいのです。
昔は時間の経過と共に自然と成熟して、当然に人も豊かになっていくのだと信じていました。
知ったことで楽しみが減る可能性なんて考えていなかった。
だけどその分、目の前のものを正しく受け取れるようにはなって来たのだろうと思います。
それは私の長年の希望だったので、知らないよりは知っていて、しっかりと味わえたほうが良いよねと思ってます。




