第9話「学院試験・前編」
――そして翌朝。
柔らかな朝日が、窓から差し込んでくる。
アリシアはまぶしそうに目を細め、ゆっくりと身を起こした。
軽く伸びをすると、昨夜まで胸を占めていた不安が、ほんの少しだけ薄れていることに気づく。
起き上がり、窓の外を眺めながら小さく呟いた。
「……うん。行こう」
簡素な部屋で身支度を整え、腰の剣の状態を確認する。
深呼吸をひとつ置き、アリシアは学院試験へ向かうため、静かに扉へ手をかけた。
◇◆◇
階段を降りると、すでにルシアス・ヘイゼルがそこに立っていた。
長い金髪を後ろへ流し、白を基調とした高位魔導師らしいローブを纏っている。
ところどころに施された金糸の刺繍が淡く光を反射し、その姿はどこか神秘的で――
若くして宮廷筆頭に立つ者の風格が自然と漂っていた。
年の頃は二十代後半ほどだろうか。落ち着いた佇まいの中に、鋭い魔力の気配が静かに満ちている。
アリシアが驚く間もなく、柔らかな声がかかる。
「ギルドから紹介があったのは、君で間違いないかな?」
「はい。アリシアと申します」
ルシアスは優しく目を細め、まるで“うん、そうそう。君だね”と言うように頷いた。
アリシアが「本日はよろしく――」と言いかけた瞬間。
ルシアスは一瞬で目の前へと移動し、アリシアの手を軽く握る。
同時に足元へ、光の魔法陣が内側から外側へと咲き広がった。
「上級魔法・転移方陣」
「えっ――」
「よし、行こう」
次の瞬間、視界が白く弾け、アリシアは王立学院の魔法演習場へと転移していた。
◇◆◇
風が頬を撫でる。
目の前に広がるのは、想像以上に広大な演習場だった。
地面は踏み固められた土。
あちこちに魔法で抉れた跡や、黒い焦げが残っている。
そして外周には、高く積まれた石造りの観客席がぐるりと囲んでいた。
段々になった席からは演習場全体が見下ろせるようになっており、まさに“試合も行える規模”であることが一瞬で分かった。
気づけばルシアスは手を離し、少し先まで歩いて周囲を見渡している。
「ここは王立学院の魔法演習場だよ。普段は生徒たちが実技の授業に使ったり、魔法大会などの行事にも利用されている場所だ。――そんなわけで、今日はここが試験会場ということになる」
「分かりました……。よろしくお願いします!」
ほどよい距離まで離れたルシアスは、満足げに頷いた。
「じゃあ早速始めようか。初めて僕を超えるかもしれない逸材との試験……正直ワクワクしてしょうがないんだ」
ルシアスが手を軽く上げると、何もない空間から一本の杖が現れた。
両手で持つのにちょうどいいほどの長さの木製の杖で、先端には緑の宝珠が光を宿している。
アリシアは緊張を押し殺し、剣へ手を添えて構えを取った。
「ありがとうございます! 全力を尽くします!」
「そうしてくれると嬉しいよ。この会場には強力な対魔法結界が張ってあるからね。遠慮なくでかい魔法を打ってきていいからね」
「はい! ……お手柔らかにお願いします!」
ルシアスはニコッと笑い、杖を頭上へ掲げた。
赤い魔法陣が杖先に展開され、そこから炎が生まれ、膨らみ、巨大な火球へ姿を変える。
「上級魔法――豪炎なる火球」
「うん! 無理!!」
そう叫ぶや否や、火球がこちらへ撃ち放たれる。
「っ……!」
アリシアは氷華を構え、火球へ飛び込んだ。
凄まじい熱気を斬り裂くように、目にも止まらぬ速度で斬撃を重ねる。
火球は細かな破片となり、爆ぜて消滅した。
「いきなり上級魔法じゃないですか!! 焼け死ぬところでした!!」
空中で抗議するアリシアに、ルシアスは楽しそうに笑った。
「でもさすがだね。僕の魔法をこうもあっさり」
「ち、違います! たまたまです!!」
「たまたまで宮廷魔導師トップの魔法を切られちゃ、この国終わりだよ」
ルシアスは大笑いした。
だが次の瞬間、その表情が一瞬で真剣になる。
杖を腰の高さに構えると、杖先に紫の雷がバチバチと走り始めた。
「でも空中じゃこの魔法は避けきれない。もちろん切れる範囲でもないよ」
杖を向けた瞬間、紫の魔法陣が展開される。
「上級魔法――轟雷なる奔襲」
「……っ!」
アリシアの目が大きく見開かれる。
声にならない驚きが漏れた。
(ゴウライ・レイド……これは《今の》氷華じゃ捌ききれない……!)
一瞬だけ迷い、すぐに覚悟を決める。
(……仕方ない!)
「微弱なる清風!!」
手をかざすと緑の魔法陣が展開され、軽く身体が浮く程度の穏やかな風が生まれた。
アリシアはその風で空中で軌道を逸らし、ゴウライ・レイドの範囲から抜け出した。
「ほぉ……」
ルシアスが感心したように呟く。
アリシアはそのまま地上へ着地した。
少ない魔力を消耗し、足元がふらつきそうになる。
だが悟られまいと必死に耐え、剣へ軽く手を添える。
「空中で風魔法を使って避けるのは良い発想だけど……なんで上級魔法で相殺しなかったの?
君ほどの魔力量なら、一発や二発、訳ないはずだよね?」
「っ……」
アリシアの胸に、八十年ぶりに感じる――静かな緊張が走った。
冷や汗がひとすじ、そっと頬を伝う。
ルシアスは真剣な眼差しのまま、静かに口を開いた。
「もしかして……上級魔法を使えないのかな?」
アリシアは息を呑み、沈黙する。
「……そんなわけないか。それほどの魔力を持っているしね」
一度だけ明るく笑い、すぐにまた真剣な表情へ戻った。
「じゃあ今から剣は禁止。魔法だけの試験にしよう。
上級以上の魔法を――とことん打ち合おう」
「っ……」
アリシアは静かに焦りながらも、呼吸を整え、冷静さを取り戻す。
「……分かりました。魔法だけで、いかせていただきます」
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次回は学院試験の後編になります。
更新は27日21時頃を予定しております。
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