第36話「過去をなぞる爪痕」
「まぁでも……あれと君たちを比べるのは酷な話だよネ。あの剣士は異常だ、強すぎた」
死神は淡々とそう告げた。
感情の揺れは一切なく、まるで事実を読み上げるかのような声音だった。その落ち着きが、かえって異様さを際立たせる。
二人は思わず互いの顔を見合わせる。
だが、そのわずかな間すら待つことなく、死神はゆっくりと言葉を続けた。
「君タチも、僕と出会わなければ、もしかしたらもう少し強くなれたかもしれないけど、残念ダネ。もう死ぬ」
それは宣告だった。
殺意すら伴わない、ただ結果だけを置くような声音。
次の瞬間、二人が体勢を整える暇すら与えず、死神の身体がふっと宙を切った。
影が跳ね上がるように、空高く舞い上がる。
そして、大鎌を大きく構えた刹那――
刃に、黒いもやのようなものが、じわりと滲み出した。
闇は煙のように揺らめきながら、確かな重みを帯びていく。空気が冷え、沈み、張りつめる。
「――黒斬切」
たった一言。
その名を告げた直後――
死神は、それを払うように、大鎌を二人へ向かって振り抜いた。
刃に纏われていた黒は瞬時に形を変え、闇そのものが研ぎ澄まされたかのような、鋭利な斬撃となって解き放たれる。
黒の斬撃が、一直線に、迫ってくる。
それは、先にアリシアとの戦いで見せたものとは比べものにならない。
遥かに大きく、遥かに重く、そして――
避けるという選択肢を、最初から否定するかのような質量を孕んでいた。
二人は、これは防げないと悟った。
一瞬だけ互いの顔を見合わせ、無言のまま頷く。そして、その場を離れようと身体を動かした――その次の瞬間。
死神が、こちらへ向かって手を掲げた。
「――重圧支配」
魔法名のようなそれが告げられた刹那、二人の足元に巨大な黒い魔法陣が形成される。
禍々しい紋様が地面に刻まれた瞬間、身体が急激に引き下ろされる感覚に襲われた。
重い。
比喩ではない。骨も、筋肉も、内臓も、すべてが押し潰されるように沈み込む。
脚が、動かない。
踏み出そうとした足は地面に縫い止められ、身動きひとつ取れなくなった。
先程まで確かにあった勝利の予感は、跡形もなく消え去る。
避けなければ、斬撃を受けて死ぬ。
だが、避けようにも、重力操作魔法によって身体は完全に拘束されている。
圧倒的で、逃げ場のない――絶望的状況だった。
二人は必死に顔を合わせる。
視線で、表情で、何か手はないかと探るが、やはりどちらにも最善策は浮かばなかった。
もう、当たる。
そう思われた、その瞬間。
一筋の淡い閃光が、闇を切り裂いた。
同時に――キィィン! という、澄んだ金属音が空間に響き渡る。
恐怖のあまり目を閉じていた二人は、その音に導かれるように、ゆっくりと目を開けた。
そこにいたのは、
少し衣服に傷みを残しながらも、確かにそこにいるのは――アリシアの姿だった。
「待たせちゃってごめんね!」
アリシアは氷華で死神の斬撃を受け止めたまま、振り返って元気よくそう言った。
氷と刃が拮抗し、空気が軋む中で、その声だけが不自然なほど明るく響く。
セリアは、喜びが抑えきれず、思わず声を上げた。
「アリシア!?」
リッタもまた、言葉を失ったまま目を見開いている。
次の瞬間、アリシアは勢いよく剣を振り上げた。
氷華が煌めき、死神の斬撃は霧散するように消し飛ぶ。
さらにそのまま、二人の足元に生成されていた魔法陣へと剣を振るう。
刃が触れた瞬間、魔法陣は中央から分断され――
パリィン!
甲高い音を立てて、黒い紋様は塵となり、完全に消滅した。
重圧が霧散し、身体を縛っていた重さが一気に抜け落ちる。
そしてアリシアは、そのまま二人の真ん中へと着地した。
氷華を下ろし、戦場とは思えないほど自然な仕草で振り返る。
「二人とも、大丈夫?」
やけに落ち着いた声音だった。
つい先ほどまで命の瀬戸際にいたとは思えないほど、穏やかで、確かな声。
するとリッタが、戸惑いを隠せないまま口を開く。
「アリシア、大丈夫なの?」
それに対してアリシアは、
「ええ、この通り。問題ないわ」
そう言って少し手を広げ、無事なことを確認させるように、明るく返した。
するとセリアは、張り詰めていたものが一気にほどけたように、
「本当に無事で良かったわ……アリシア……どれだけ心配したか」
そう言いながら、手で目に浮かぶ涙を拭った。
アリシアは、セリアの傷んだ服と、至る所に刻まれた傷へと視線を落とす。
それだけで、何があったのかを察した。
そして、ゆっくりとセリアへ歩み寄り、
そっと抱きついて、頭を優しく、ゆっくりと撫でる。
「心配かけてごめんね。セリア」
その声音は、戦士ではなく、ただの一人の少女のものだった。
今は深くは問わない。
ただ、生きていてくれてありがとう――その想いだけが、静かに込められていた。
しかし、リッタの胸には拭いきれない違和感が残っていた。
先程まで確かにあったはずの、切迫感や恐怖。
それが、いつの間にか消えている。
いや、消えたのではない。
――最初から、存在しなかったかのように。
アリシアは妙に落ち着いていた。
それどころか、戦場に立っているとは思えないほどの余裕すら感じさせる。
何か秘策を見つけたのか。
死神への対抗手段があるのか。
それとも――。
思考がそこまで至った瞬間。
セリアからそっと手を離したアリシアが、静かにリッタへと振り返った。
まるで、その疑問を最初から見透かしていたかのように、
「ん?」
と、小さく首を傾げる。
刹那、再会の余韻が場を包む。
しかし、その空気は長くは続かなかった。
「どういうこと? さっき確実に、人としてのキミは殺したよね?」
死神の声に、明確な怒りが混じる。
これまでの淡々とした調子とは違う。
“想定外”を前にした者の声だった。
「そうね。確かに人として、一回死んだわ」
アリシアは、ゆっくりと死神を見上げてそう答えた。
恐れはない。
揺らぎもない。
「ならどうして、今ここにいるわけ?」
死神は首を傾げながら問いかける。
理解しようとするその姿勢自体が、すでに遅れている。
「さあ、答えてあげる義理はないわよ?」
アリシアは氷華を構え直す。
その所作に、一切の焦りはなかった。
余裕の表情が、はっきりとそこにあった。
死神は首を上へ向け、視線を泳がせる。
思考を巡らせる。
――落ちる直前に放った、あの淡く光る何か。
あれは、まさか……。
「二人は少し休んでて」
アリシアの声が、戦場に静かに落ちる。
その瞬間、死神は“気づいた”。
だが――遅い。
次の瞬間、視界が歪む。
アリシアは、すでに地面を蹴っていた。
音もなく、風を置き去りにし、
氷華を振り上げたまま、死神の懐へと踏み込んでくる。
「――っ!」
死神は反射的に声を漏らし、振り向こうとする。
しかし、寸分も間に合わなかった。
振り上げられた氷華が閃く。
その軌跡は、かつて“ある剣士”によって刻まれたという古傷へ――
なぞるように。
確かめるように。
そして、否定しようのない事実を刻み直すかのように。
斬撃が走り、古傷は再び裂ける。
死神にとってそれは攻撃であり、事実の刻印だ。
――あの剣士を超える実力者はいるということの。
氷の光が収束し、
死神の身体に、確かな一太刀が刻まれていた。
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