第34話「明確な実力差」
空気の変化を、誰よりも敏感に感じ取ったのは死神だった。
黒衣の影が、わずかに俯く。
口元が歪み、吐き捨てるような声が零れた。
「ぬりィな......」
低く、粘ついた呟き。
それだけで、場の温度が一段落ちる。
二人は即座に反応し、死神へと視線を戻した。
その瞬間、影の奥から露わになる感情があった。
怒りだ。
「ぬルいんだよ、そォいうの」
言葉が鋭く叩きつけられる。
声には明確な嫌悪が込められていた。
わずかな間を挟み、死神は続ける。
その間さえ、意図的に二人の神経を逆撫でするための“間”だった。
「愛だとか、絆だとか、なんだとかって、お前らは常に仲良しゴッコしてないといけない、何かの病か?」
おぞましいほどの憎悪。
それは個人への怒りではない。
“繋がり”そのものを否定するような、歪んだ感情だった。
死神は、大鎌を握る手とは逆の手を持ち上げる。
爪を立て、己の頬を削るように引っ掻きながら、視線だけを上へと向けた。
「戦う時までそれだもんなァ」
爪が肌を裂く仕草すら、苛立ちを誇示するための演出のようだった。
そして再び、二人を見下ろす。
恐怖へ突き落とすような視線と、歪んだ嘲笑を浮かべて告げる。
「でもそういうのを壊すのが、僕は一番好きなんだよなァ!いいよ壊してあげる、ぐちゃぐちゃになるまで壊すよ、いいよ。」
狂気を孕んだ独白。
直後、死神は鎌を構えた。
――嘘のように、静まり返る。
さっきまで空気に残っていた声の残響すら消え失せ、
世界は張り詰めた沈黙だけを残した。
リッタは即座に察する。
これは、前触れだ。
「来るよ。僕が前衛、セリアはサポートをお願い」
短く、迷いのない判断。
セリアは頷き、二人の表情から私情が完全に消えた。
覚悟が定まる。
その立ち姿は、もはや“仲間”ではなく、
戦場で互いの命を預け合う“戦士”のそれだった。
死神は、それを見て楽しげに息を吐く。
「お互いが死にかけた時、敗因をどっちのせいにするのか楽しみだ」
静かな声。
だが、それが合図だった。
次の刹那――
黒い影が、距離を無視して跳ぶ。
死神は、迷いなくセリアへと切りかかった。
仕掛けられた先が、自分ではないと気づいた瞬間。
リッタの思考は、反射の速度まで削ぎ落とされる。
狙いは――セリア。
前へ踏み込む。
剣を振るう。
だが、ほんの僅か――距離が足りない。
間に合わない。
その判断が脳裏を掠めた刹那、
最悪の結末が、はっきりと形を持って浮かび上がる。
セリアが死ぬ。
そう思われた、その瞬間だった。
リッタの視界に、わずかな違和感が走る。
動きの流れが、予測と噛み合わない。
次の瞬間――
ガキィン!!
甲高い金属音が、空気を裂いた。
衝撃が衝突点から弾け、音が一拍遅れて周囲へ広がる。
セリアが、剣を構えていた。
死神の大鎌を、正面から受け止めている。
刃と刃が噛み合い、火花が散る。
その光景に、リッタの思考が一瞬、止まった。
「セリア......?」
思わず漏れた声に、彼女はほんの一瞬だけ視線を向ける。
その表情には、恐怖よりも余裕があった。
「言ったでしょ?これでも首席争いしてる実力はあるのよ」
その言葉と同時に、剣が軋む。
死神の力を、真正面から押し返していた。
死神は、明らかに動きを鈍らせる。
まさか抑え込まれるとは思っていなかったのだろう。
驚きが、ほんの僅かにその顔に滲んだ。
だが、それも一瞬。
死神は間を置かず、大鎌を振り上げる。
今度は、連続。
容赦のない斬撃が、立て続けに襲いかかる。
――だが、セリアは退かない。
刃と刃がぶつかり合う。
鋭い金属音と、鈍い衝突音が重なり合い、間断なく響く。
攻撃を受け流し、弾き、いなしながら、確実に対応していく。
その光景に、リッタは思わず声を上げた。
「セリア、剣なんて使えたの!?」
激しい打ち合いの最中。
それでもセリアは、片手間と言わんばかりに返事を返す。
「もちろん!学院では剣の稽古だって一時も欠かしたことはないわ!剣術は、わたくしがフィアナに勝てる数少ない要素よ!」
その言葉を聞きながら、
リッタは思わず、苦笑を浮かべる。
「数少ないって、自分で言うんだ」
軽口とは裏腹に、
視線は戦況から一瞬たりとも離さなかった。
激しい打ち合いの中で、ふとリッタの脳裏に引っかかるものがあった。
違和感の正体に、今さら気づいたように口を開く。
「でもどうして?さっき攻撃が見えないって......」
その問いに、セリアは一瞬だけ剣の軌道を保ったまま、
ほんの少し明るい表情で振り向く。
視線が合う。
そしてそのまま、リッタの頭上へと目線を滑らせた。
「目を借りたのよ!」
その言葉に、リッタは反射的に視線を跳ね上げる。
頭上――
そこには、静かに回転する白の魔法陣が展開されていた。
薄く、澄んだ光。
だが確かに存在感を持ち、空間に固定されている。
リッタはすぐに視線をセリアへ戻す。
「見えさえすれば、少しは戦えるわ!」
即答だった。
自信というより、事実を述べている声音。
その瞬間、すべてが繋がる。
先ほど感じた、視界のズレ。
一瞬だけ世界が二重に重なったような感覚。
あの魔法陣は――
視覚を共有、あるいは借用する類の魔法。
理解が追いついた時、リッタは改めて戦況を見た。
“戦える”。
その言葉は、決して誇張ではなかった。
死神は、あらゆる方向から畳みかけるように攻撃を繰り出している。
速度も、軌道も、人の感覚を置き去りにするレベルだ。
それでもセリアは遅れを取らず、
刃を合わせ、いなし、時に受け止めている。
だが――
この状態が、長く続くはずがないことも明白だった。
リッタの視覚を借りているとはいえ、
そのリッタ自身ですら、死神のすべての動きを完全に見切れているわけではない。
見切れなかった分の斬撃が、
確実に、少しずつ――
セリアの身体へと、蓄積していく。
剣で防ぎきれなかった衝撃。
掠める刃。
積み重なる負荷。
均衡は、まだ保たれている。
だがそれは、崩れる前の静かな綱渡りに過ぎなかった。
刃が交わるたびに、
確実に、ひとつずつ。
セリアの身体に刻まれる切り傷は、数を増していった。
防いだはずの一撃が、浅く。
いなしたはずの斬撃が、確実に肉を削る。
そして次の瞬間――
死神は、唐突に攻撃を止めた。
風を裂く音だけを残し、
その身は一気に後方へと跳ぶ。
元いた大木。
太い幹の途中へ、影が軽やかに着地する。
セリアは、その場に踏みとどまったまま、
大きく息を吸い――吐いた。
呼吸は、完全に乱れている。
衣服は荒れ、引き裂かれ、
至るところに大鎌によって刻まれた傷が、生々しく浮かび上がっていた。
血の匂いが、空気に混じる。
さっきまで確かにあった余裕は、
もう、どこにも見当たらない。
一方で――
死神は、まるで別の時間を生きているかのようだった。
疲れた様子は、微塵もない。
大木の上で、ただ気だるげに、
上の空へと視線を向けている。
やがて、そっと視線を下ろし、
セリアたちを見据えた。
荒れた声で、静かに告げる。
「少しは楽しめると思ったんだけどなァ......」
その言葉には、落胆が混じっていた。
命のやり取りをしていたはずの相手を前にして、
まるで期待外れの玩具を評するような口調だった。
その間に、リッタはセリアへと歩み寄る。
「セリア、大丈夫?」
問いかけに、
セリアは、はぁっ、はぁっと息を切らしながらも顔を上げる。
「えぇ、でもこれ以上は......」
本音が、吐息に混じって零れた。
言葉の続きを、誰も求めなかった。
それだけで、限界が伝わってしまう。
だが――
そのやり取りの間も。
死神は、ひとりで言葉を転がしていた。
「さっきのやつは面白かったなァ......」
上を向き、
次には、地面へ。
視線をあちこちへ巡らせながら、
淡々と、独り言を続ける。
「もう少し楽しめばよかったか......?」
まるで、
“遊び”の振り返りでもするかのように。
その姿が、
この戦いの残酷さを、何よりも雄弁に物語っていた。
その状態を一目で把握し、
リッタは、迷いなく言葉を継いだ。
「ううん。セリアはよく戦ってくれたよ。あとは作戦通り、僕が前衛を引き受けるから、セリアは支援をお願い」
声は落ち着いている。
だがそこには、状況を正確に受け止めた者だけが持つ強さがあった。
真剣で、それでいてどこか明るい。
柔らかくも揺るがない表情で向けられた言葉に、
セリアは一瞬だけ目を細め、はっきりと応える。
「わかったわ。支援は任せて」
短い返答。
そこに迷いはなく、役割の切り替えが静かに完了した。
二人が揃って視線を前へ戻す。
死神は――
話し終えたのか、ぼんやりとした表情で、
どことも知れぬ虚空を見つめたまま、動きを止めていた。
その異様な静止を前に、
リッタは視線を外さぬまま、低く言葉を落とす。
「あの瞬間......僕は正直セリアを失った思った。」
戦場には似つかわしくない、率直な告白だった。
その声を受け、
セリアはゆっくりとリッタの方を振り向く。
見上げるようにして、その顔を捉える。
視線の動きを感じ取り、
リッタは、ほんの少し間を置いてから続けた。
「ありがとうセリア、生きててくれて」
リッタがそう言うと、
セリアは一瞬、言葉を探すように瞬きをし、
やがて、ふふっと小さく微笑む。
「何を言ってるの?本当の戦いはこれからよ」
その声には、覚悟があった。
恐怖を越えた先で、戦う者として立つ強さがある。
静かなやり取りの裏で、
戦場の空気は、確実に次の段階へと移行していく。
前に立つ者が変わった。
――それだけで、流れは変わる。
二人のやり取りが終わったことを察したのだろう。
死神は、ふっと意識をこちらへ戻した。
次の瞬間――
鋭利な刃物のような視線が、一気に二人へ突き刺さる。
「で、どっちから死ぬ?」
それは問いかけの形をしていたが、
選択肢など最初から存在していない声だった。
その殺気に、二人の身体が反射的に強張る。
本能が、危険だと叫ぶ。
それでも――
踏みとどまれたのは、隣に互いがいたからだ。
心強い友達であり、
背中を預けられる仲間。
信じるという行為が、
恐怖を押し留める楔になる。
死神は、その様子を眺めるようにして、
さらに言葉を重ねた。
「君たちさァ、僕が本気で遊んでなかったらとっくに死んでるんだよ?それ分かってないよね」
淡々とした口調。
だが、その裏には明確な断絶があった。
二人は、言葉の意味を即座に掴めず、
ただ困惑した表情のまま立ち尽くす。
死神は、そんな反応すら想定内だと言わんばかりに、
手に持った大鎌を高く掲げた。
二人にもよく見えるように。
それを見上げる形で、言葉を続ける。
「僕は普段、これに闇の魔力を込めて遊ぶんだ。でも予想通り、君たちにそれをしていたら、はじめので終わってた」
闇の魔力。
その一言だけで、理解は十分だった。
それを纏った攻撃が、
どれほど恐ろしい結末をもたらすか。
想像するまでもなく、
身体が答えを出してしまう。
だが――
二人は、怖気づかなかった。
圧倒的な差を前にしても、
わずかに残された希望と可能性に、賭けると決める。
抗う。
生きるために。
「全部避けないとその時点で終わる......か」
リッタは、静かに呟く。
一呼吸、間を置いてから、続けた。
「僕一人じゃ絶対に無理だけど、後ろにセリアがいる」
そう言って、視線を送る。
セリアは、その視線を正面から受け止め、
迷いなく応えた。
「ええ。わたくし達ならやれるわ」
短い言葉。
だが、そこに込められた信頼は、何よりも重い。
リッタは、静かに頷いた。
恐怖は消えていない。
だが、それ以上に――
二人で戦うという選択が、確かにそこにあった。
そんな二人の様子を前に、
死神は、ほんの一瞬だけ間を置いた。
「あっそ」
呆れたように、短く吐き捨てる。
そして、次に放たれた声には、もはや遊びの色はなかった。
「じゃあもう死になよ、終わらせてあげるよ」
言葉と同時に、
空気が、明確に変質する。
むき出しの殺意。
それまで薄く漂っていた“遊び”の気配は完全に消え失せ、
死神は大鎌に闇を纏わせ、その身を低く構えた。
闇が、刃に絡みつく。
触れただけで命を奪われると直感させる、濃密な気配。
対するリッタも、わずかに息を整え、
軽く肩を回してから口を開く。
「さてと......」
その言葉と同時に、
空中に、淡い光が収束する。
形を成したのは、手甲。
かつてアリシアとの模擬戦で使って見せたものと、
よく似た構造の装備だった。
生成された手甲は、そのままリッタの腕へと装着される。
金属が馴染むような感覚が、確かにそこにあった。
それを見たセリアは、思わず声を上げる。
「そ......それって」
驚きは無理もない。
リッタが使っていた手甲は、旅の前――
アリシアとの模擬戦ですでに損傷していたはずだった。
それなのに、なぜ今ここにあるのか。
視線を向けられ、
リッタは自分の手甲を見下ろしながら、静かに答える。
「これ、クラウスが旅の準備をしていた時にくれたんだ......特注品だって。僕の使っていたやつは壊れちゃったから」
その名を聞き、
セリアは小さく目を見開く。
「クラウスが......?」
手甲を眺めながら、わずかに驚きの色を滲ませるが、
すぐに納得したように表情を緩める。
ふふっと、微笑みが零れた。
「良かったわね」
その一言には、
仲間を想う温かさが込められていた。
リッタは短く息を吐き、
改めて手甲へ一瞬だけ視線を落とす。
「やるよセリア、こいつの実力も試してみたいんだ」
そう告げ、
体勢を整える。
前に立つ者。
後ろで支える者。
役割は、完全に噛み合った。
その瞬間、
空気は一気に静けさを増す。
音が消え、
気配だけが、張り詰めていく。
誰も動かない。
だが――
確かに感じ取れる。
再び、
先程よりも激しい戦いの幕が、
今まさに、上がろうとしていることを。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
読んでいて感じたことや、印象に残った点などがあれば、
感想として残してもらえると、とても励みになります。
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次回も、しっかり積み上げていきます。
毎日20時30分から22時までの間に投稿予定ですので
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